小説5

□1
1ページ/1ページ

僕は彼女と同棲していた。
2人の間にはいくつかルールがあって、風呂に入っているときには浴室のドアに【入浴中】というプレートをかけておく、というのもその1つだった。何故だかは分からないが、彼女がそう決めたのだからしょうがない。もともと彼女が住んでいたアパートに僕が転がり込んできたのだから、文句は言えないのだ。

そんなある日。
僕が風呂に入ろうと洗面所へ行くと、浴室の灯りがついていて、シャワーの音がした。しかし【入浴中】のプレートはかかっていない。
全く、自分で決めといてなんだ。

「おーい歌子、プレートかけてないぞ? お前が決めたルールなんだから忘れんなよ」

僕はドアへ近付いていって、浴室にいるであろう彼女に声をかけた。
しかし返事がない。

「歌子?」
「ただいまー」
「!?」

僕が振り返ると、きょとんとした彼女がそこにいた。

「どうしたのあるく? そんな驚いた顔して」
「…う、歌子今、帰ってきたのか…?」
「そうよ? 何バカなこと言ってるの?」
「じゃあ…今風呂に入ってるの、誰だ?」



僕と彼女と誰かの事情 1


2人で浴室を見ると、相変わらず中からはシャワーの音が聞こえた。

「え、え? 何、誰か来てるの?」
「知らねえよ。風呂入ろうと思ったら電気ついててよ。お前かと思って話しかけたらお前帰ってくるし…ワケ分かんねえ」
「え? じゃあ何よ。一体誰がウチのお風呂に入ってるの?」
「知るかよ」

2人でもう一度浴室を見る。電気もついている。シャワーの音もする。だが人影は見当たらない。

「…どうする?」

浴室の方を向いたまま、彼女が僕に訊いてきた。

「どうするって…風呂入ってんのに開けるわけにもいかないだろ。あがるまで待っとくしか…」
「そうよね…」

僕達は浴室から離れ、リビングに戻った。

「とりあえず、ご飯作るわ」

彼女はそう言ってキッチンへ向かう。

「ああ…」

僕は呟いてソファに座った。

「テレビ点けないの?」
「いや、シャワーの音が聞こえるように、と思って」
「ああ」

彼女は納得したようで、調理に戻った。
それから少しの間、彼女の調理の音と、誰かのシャワーの音だけが聞こえていた。
やがてシャワーの音が止まる。僕の鼓動は早まった。浴室の方へ視線を向ける。
そのままドキドキしながらしばらく待ったが、誰かが出てくる気配はない。

「…歌子」
「何? どうしたの?」
「誰も出てこない」
「…まだ入ってるんじゃない?」
「シャワーが止まってもうだいぶ経ってる」
「長風呂かもよ?」

そうだろうか。いや、そうだと思いたい。しかし、嫌な予感がするのだ。僕は立ち上がった。

「あるく?」
「…ちょっと、見てくる」

僕は浴室へ向かった。ゆっくりと洗面所のドアを開ける。しかし、そこに誰かはいなかった。それどころか、浴室の電気も点いていなかった。

「…っ!」

僕は勢い良く浴室のドアを開く。もわっとした空気が視界を覆うが、やはり誰かはいない。僕の心臓は早鐘していた。放心状態のままとりあえずリビングへ戻る。

「ちょっと、どうしたの?」

顔色の悪い僕を見て、彼女が尋ねてくる。

「…誰も、いなかった」

僕はそれだけ呟いた。
彼女は眉をひそめる。

「え? 誰も?」

僕は頷いた。

「…でも、ゆ、湯気が…明らかに、誰か入ってたみたいに…」
「…何、ソレ」

混乱したまま、僕達は夕飯を食べ、風呂に入り、寝ることにした。風呂に入るのは少し怖かったが、何か変わった様子もなかった。



そして翌日。
夜僕が帰ると、またシャワーの音がしていた。


2へ


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ