小説6

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翌日。
僕が帰ると、またシャワーの音がしていた。


僕と彼女と誰かの事情 2


僕はドキッとする。恐る恐る洗面所のドアを開けて、ホッと一息吐いた。浴室のドアには【入浴中】のプレートがかかっている。彼女だ。

「脅かすなよな歌子…」

呟いて洗面所を出る。すると携帯が鳴った。電話のようだ。急いで携帯を取り出して開き、僕は静止した。
ディスプレイには、“歌子”と表示されているのだ。一度振り返って、通話ボタンを押す。

「も、もしもし? 歌子…?」
『あ、あるく? よかったーもう出ないかと思った。あたし今日同期の子達と飲んで帰るから、ご飯適当に済ませといて』
「……」
『あるく?』
「…歌子、今外か…?」
『そうよ? あ、周りうるさい?』
「いや、大丈夫だ…分かった」
『よろしくねー』

そして電話は切れた。僕は携帯を耳から離し、洗面所に目をやる。

「まさか…」

僕は時計に目をやる。時刻は9時前。大体昨日と同じ時間だ。再び洗面所に近付いていき、ゆっくりドアを開ける。電気はついているが、シャワーの音はしない。

「あるく…?」

すると、浴室からそう声がした。僕はドキッとする。誰だ? なんで僕の名前を知ってるんだ?

「…だ、誰だ?」

なんとか声を絞り出し、僕は言った。

「あっ…あの、私…美愛子! 水上美愛子! 美しい愛の子で美愛子!」
「美愛子…? なんで僕の名前知ってんだよ」
「えっ…あ、昨日、彼女…歌子? が呼んでるのが聞こえたから…えと、あるくでいいの? 合ってる…?」
「…ああ…十津川あるく。彼女は沢渡歌子」
「…そう…あるく…あるくなのね…」

誰か――美愛子は呟いた。僕は眉をひそめる。

「なんでうちの風呂に入ってるんだよ。昨日のもお前なんだろ? 昨日は風呂のあと何処に消えたんだよ」
「消えてないわ。普通に浴室から出た。信じがたい話ではあるんだけど…私は今、自分の家のお風呂に入ってるだけなのよ」
「…は?」

僕は更に眉をひそめた。何を言ってるんだ? コイツは。

「あるくの家の浴室と、私の家の浴室が繋がってるみたいなの。繋がってるのは浴室だけだから、私はそっちの洗面所には行けない。そういうことだと思うわ」

美愛子は言った。とても信じられる話じゃないが、しかしどちらにせよ、昨日の出来事も今起きていることも説明がつかないのだ。

「…なんだよそれ。じゃあプレートは? この入浴中のプレートはどうやってかけたんだよ」
「…ああ、そっちでもちゃんとかかってる? よかった。実はね…私の家にも、入浴中のプレートがあるのよ」
「…入浴中のプレートが?」
「そう。凄い偶然ね」

美愛子は嬉しそうな声音で言う。確かに凄い偶然だ。【入浴中】なんておおよそ使い道もなさそうなプレートを買う奴が、歌子以外にいるなんて。

「…じゃあお前も、誰かと一緒に住んでんのか?」
「…昔ね。恋人と一緒に住んでた。その頃使ってたんだけど…捨てられなくて」
「別れたのか? そいつと」
「…うん」

美愛子は悲しげな声で言う。相当好きな男だったんだろう。

「ねぇ、あるく」

黙っていると、美愛子が再び呼びかけてきた。

「…なんだよ」
「よかったら…少しお話しない?」
「は?」

僕は眉をひそめた。何故見知らぬ女と会話しなきゃいけないのだ。

「どうしてこんなことが起きたのか分からないけど…せっかくだし」
「せっかくだし、って…」
「これも何かの縁だし」

美愛子はそう言う。僕は“縁”という言葉に弱かった。歌子と出会ったときも、『これも何かの縁だし』と言われてアドレスを交換し、それから何度か会って付き合うようになったのだ。つまり僕は、“縁”と言われると断れない。

「まあ…」

だからつい、そう返事してしまったのだ。歌子は怒るだろうか。思いながらも、僕は浴室のドアの前に腰を下ろしたのだった。



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