小説5

□弐
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男がいなくなってまた本を読み始めようかと思っていると、男が戻ってきた。

「…どうしたんですか?」

蜜樹が驚いて訊ねる。

「…道が分からん」







「えっと…何処まで送ればいいですか?」
「この近くに弥山という山はあるか」

蜜樹が訊ねると、男は言った。

「みやま…? あ、ちょっと待って下さい!」

そう言って蜜樹は部屋を出ていく。そして隣の頼子の部屋へ向かった。

「お姉ちゃん、みやまって山分かる?」
「みやま? そこの雪山でしょ?」
「やっぱりそうか! ありがとう!」

蜜樹は自分の部屋へ戻る。

「あの、分かりました! 案内します!」

そして2人は家を出た。






「あの、」

しばらく無言で歩いたあと、蜜樹が口を開いた。

「…何だ」

不機嫌そうだが、男は返してくれた。

「お名前、何ていうんですか?」
「…そんなものはない」
「え? でもっ、昔は人間だったんですよね…? だったら、そのときの名前とか…」
「そんなものは疾うに捨てた」
「……じゃあ、私付けてもいいですか?」
「…は?」

男は顔をしかめて蜜樹を見る。

「えっと…雪男…じゃ流石にまんますぎるし…雪人。でどうでしょう?」

蜜樹は男の了承も得ずに勝手に考える。それを聞いて、男は目を見開いた。

「ゆきと…?」

『あ! ゆきとさんだー! あそんであそんで!』
『あら、いらっしゃい雪人さん』

男はある親子を思い出した。

「ダメですか…? 雪人」

黙っている男に、蜜樹は訊ねる。

「…いや、そんな風に呼ばれていたこともあった気がする」
「あっそうですか? なんだ…じゃあ元から雪人さんなんですね」
「…そうなるな」
「あのっ、私今西蜜樹です! 蜂蜜の『蜜』に樹木の『樹』!」
「蜜、樹…」
「はいっ」
「そんなことを私に教えてどうする」
「え? いや、なんとなく…」
「…ふん」

それきり、2人は喋らなかった。ただ黙って道を歩き、時折蜜樹が道を指示するだけだった。歩きながら蜜樹は、チラッと雪人を見る。殺されて雪に埋められた、そう言っていた。やはり人間を恨んでいるのだろうか。雪人も元は人間だったのに、人間を恨まなければならないなんて悲しすぎる。どうにか人間を好きになってもらうことはできないだろうか。そう思うが、自分ではどうにもできないことも分かっていた。それでもどうにかしたいと思うのが、蜜樹だった。蜜樹があれこれ考えているうち、2人は弥山の麓に着く。

「山にはここから入れます」

蜜樹は山道の入口を指差して言った。

「世話になったな」
「いえっ! 雪人さんここに住んでるんですか?」

行きかけた雪人を止めるように、蜜樹は問う。

「いや? 私はここから少し行ったところにある真江山に住んでいる」
「まえやま…? あの、スキー場ができるとこですか?」
「…すきぃ…ああ、確かそんな名前だったか。何やら最近人間共が“土地開発”などとやらをやりおって、騒がしくなったな」
「…そうなんですか…じゃあ、ここにはなんで?」
「…昔の馴染みがおるのでな。様子を見に来た」
「昔の、馴染み…? 同じ、雪男さんですか?」
「いや、雪女だ」
「あ、女性なんですか…」

雪人が女に会いに来たと知って、蜜樹は何故だか少しショックを受けた。

「もういいか。話は済んだだろう」

気が付けば、雪人は不機嫌そうに蜜樹を見ていた。

「あっ…はい…」

それを聞いて、雪人は蜜樹に背を向け、歩き出す。蜜樹は雪人が山道を登っていくのを悲しげに見ていた。

「…あ、あの!」

思わず蜜樹は叫ぶ。雪人は不機嫌そうにしながらも、やはり振り返ってくれた。

「また、遊びにきて下さい!」

蜜樹は言うが、雪人は何も言わない。ただ不機嫌そうに蜜樹を見ていた。

「あの、今は暑いでしょうから、冬にでも! 冬だったら、雪だって降りますし! そんなに暑くないと思うんです! だから、冬になったら! また遊びにきて下さい!」

蜜樹は一生懸命叫んだ。雪人は少しの間不機嫌そうに蜜樹を見たあと、向き直って再び登り始める。蜜樹はその後ろ姿が見えなくなるまで、その場に佇んでいた。

ある、暑い夏の日のことだった。



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