小説5

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“やっぱり晩御飯いらない”

その言葉と、楽しそうに歩いていたゆうやけと美空の姿が、頭から離れなかった。


から醒めた夢 #10


それからどうやって帰ったのか分からない。とりあえずスーパーへ行くのはやめて、道を引き返した。それだけは覚えている。それから気が付いたときには、こやけはリビングのソファに座っていた。キッチンの流し台には、食べ終わったあとの食器と調理器具が置いてある。どうやら有り合わせの材料で野菜炒めを作ったようだった。こやけはキッチンに立ち、洗い物を始める。もうすぐ20時半だ。

「ただいまー」

そのとき、扉が開いてゆうやけが入ってきた。洗い物していたから、玄関が開いたのも気付かなかった。

「…おかえり」

こやけは聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言った。ゆうやけはこやけに近付いてくる。

「ごめんこやけ。8時に帰るって言ったのに」
「…いいよ、別に」
「ご飯は?」

それを聞いたとき、こやけの手は止まった。そして顔を上げてゆうやけを見る。

「は…? いらないって言ったじゃん」
「え? …何言ってんだよこやけ。俺そんなこと、」
「何それ。現に私にメールが届いてるんだから、言ってないなんてことある訳ないじゃん! よくそんな嘘つけるね!」
「!? そんなハズ…!」

ゆうやけはリビングに走る。テーブルの上にこやけの携帯が置いてあった。開いて受信メールを見る。そこには確かに【ゆうやけ】からのメールで“やっぱり晩御飯いらない”とあった。

「…っ、なんだよこれ」

すると横からこやけが携帯を取る。洗い物は放棄してきたようだ。

「嘘はいいよ」

こやけは静かに言った。

「っ嘘じゃない! ホントに俺こんなの知らない!」
「じゃあこれは何なの?」
「これは…レストランにいた時間だ…俺がトイレ行ってる間に美空が…」
「美空?」

こやけが不機嫌そうに言った。ハッとしてゆうやけは顔を上げる。

「あ…」
「へぇー肥田木さんとレストラン行ったの。じゃあやっぱり晩御飯いらないんじゃん。ねぇ?」
「いやっ…あの、こやけ…」

ゆうやけが何か言いかけたとき、こやけはゆうやけの頬を叩いた。涙目でゆうやけを睨みつける。

「…ゆうやけさんが、そんな人だと思わなかったっ…」

こやけはそのまま家を出た。
エレベーターで下へ行き、マンションを出るところで、今1番会いたくない人に会ってしまった。

「あら、こんばんは」

何も知らないかのように微笑む、美空に。

「…こんばんは」
「今からお出かけ?」
「…はい」

話したくないのでそのまま横を通り過ぎる。

「祐也と喧嘩したの?」

そのとき、美空が言った。こやけは足を止める。そしてゆっくりと振り返った。

「図星ね」

やはり美空は余裕有り気に笑っている。

「何、言って…」
「まあそうよねーこんな地味な子が彼女じゃ、浮気したくなるわよねー祐也カッコいいんだし、やっぱり美人な子がいいわよねー女優とか」
「……」
「あ、ごめんなさいね。ホントのこと言われて何も言えなくなっちゃった?」
「……か」
「え?」
「あなたがあの人の何を知ってるんですか」

こやけは美空を真っ直ぐに見て、ハッキリと言った。そしてマンションを出て行く。

「…何なのよ。あの子まで」

こやけの後ろ姿を睨みながら、美空は呟いた。






『もしもし?』

夜の道を歩きながら、こやけは電話をかけていた。

「……」
『こやけちゃん? どうしたの?』
「あの、玉響さん」
『ん?』

電話の相手は、バイトの先輩の玉響だった。

「今から…玉響さんの家行っちゃダメですか?」
『今から? 別にいいけど…どうかしたの?』
「ちょっと…」




玉響の家に着いたこやけを、玉響の両親が温かく迎えてくれた。

「いらっしゃいこやけちゃん」
「ゆっくりしてってね」
「あーもーいいから! お父さんもお母さんもあっち行ってよ!」
「でもまだこやけちゃんと話が…」
「なんでお父さんがこやけちゃんと話すのよ! ほら! いいから行って行って!」
「えー」
「えーじゃない!」

玉響は困ったように2人を追い払う。そしてこやけの方を向いた。

「ごめんねー変な親で」
「いえ、いいご両親ですね」
「そう? うるさいだけだよ?」
「いいじゃないですか。私は親と、あんな風に話したことないです」
「……あ、まあ、上がって」

2人で玉響の部屋に向かう。

「適当に座って」

部屋に着くと、玉響がそう言う。こやけはテーブルの傍に座った。玉響も向かい合うように座る。

「で、」

そして玉響が切り出した。

「親と喧嘩したの?」
「…え?」

予想外の問いに、こやけは思わずそう言う。そして前にこやけが相談をしていたとき、玉響はほとんど聞いていなかったことを思い出した。

「…あ、玉響さんあのとき、いなかったんでしたっけ」
「あのとき?」
「あの、私実は家出してまして…」
「家出!?」

こやけは頷く。

「今はその…恋人、の家に住んでるんです」
「…なんで、家出なんて…」
「玉響さんのご両親みたいに、優しい人達じゃなかったから、ですかね」
「…虐待、とかってこと? 凄い厳しかったとか?」
「いえ、」

こやけは首を横に振った。

「娘だと思われてなくて。うち、4人家族だったんですけど…私だけ、同じ家に住んでる他人みたいな扱いで…家にいても、とてもじゃないけど心が休まらなくて」
「そんな…」
「現に半年も帰ってなくて、捜索も心配もされてませんから」
「……」
「家出して、でも友達もいなくて、行く宛てなくて…そしたら、助けてくれたんです。…その人が」
「…こやけちゃんの、恋人?」

こやけは再び頷く。

「私最初、上京だって嘘吐いてたので…家が決まるまでの間だけって、見ず知らずの私を泊めてくれて…けどそのうち、出て行かなくていいって言われて…そのまま一緒に住むようになって…」
「ああ、それでキッチンにAVがどうとか言ってたのね」
「まあ…はい」
「で、好きになったと」
「…そうです」
「じゃあ付き合い始めたのって最近?」
「はい」
「へぇ…」

そして少しの間黙る。

「じゃあ、その彼と喧嘩したの?」
「あ、その…喧嘩というか、私が一方的に怒って出てきちゃって…」
「あー…それは…何があったの?」
「…玉響さん」
「ん?」
「これは…誰にも言わないで欲しいのですが…」
「え、何?」
「実はその、私の恋人は芸能人なんです」
「…え?」

突然の告白に、玉響は一瞬こやけが何と言ったのか分からなかった。

「それで、同じマンションに住んでる女優さんと、今度のドラマで恋人役なんです」
「はあ…」
「しかも私と付き合う前、その女優さんと熱愛報道があったりして…」
「…ん?」

そこで玉響は眉をひそめる。

「それで今日も撮影で、8時には帰ってくるって言ったんです。晩御飯よろしくって。それなのに…見ちゃったんです私、その女優さんと楽しそうに歩いてるの。そのあとやっぱり晩御飯いらないってメールが来て…」
「ねぇ…ちょっと話止めてごめんね。もしかしてだけど…」
「え?」
「こやけちゃんの恋人って、まさか原祐也?」
「…なんで分かったんですか?」

こやけは本当に驚いたように言う。

「いやっだって、今度ドラマで恋人役で、前熱愛報道があったって…原祐也と肥田木美空しかいないでしょ!?」
「…そうなんですか?」
「そうよ!!」

玉響は力いっぱい言う。こやけは元々そういう話には疎いので、よく分からない。

「え、嘘、原祐也って彼女いたの!? っていうかこやけちゃん!? え、しかもこやけちゃん、原祐也と同棲してるの!? しかも肥田木美空も同じマンション!?」
「あ、はい…」

玉響はパニックに陥っていた。物凄く驚いている。当たり前だ。原祐也と肥田木美空は、今大人気の芸能人なのだから。それでもこれまで芸能人のことなど何も知らなかったこやけには、玉響の驚きようが新鮮ですらあった。そして2人がここまでの人物なのだと、改めて認識したのだった。



遠い、遠いはずの存在。

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