小説5
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「じゃ、じゃあ…付き、合うって、こと…?」
「……え?」
夢から醒めた夢 #8
室内が静まり返る。
2人は見つめ合ったまま黙ってしまった。そして。
「っえ!?」
ゆうやけが勢いよくこやけから離れ、思い切り顔を背ける。耳が真っ赤だった。こやけは驚いた表情でゆうやけを見つめる。
「ゆうやけ、さ…」
「わっ悪い!」
「え」
顔を背けたまま、ゆうやけが言う。
「そっ…そういう、意味、じゃっなくて…っ」
「っそ、そっか…あ、ごめん…」
こやけもゆうやけから目を逸らす。恥ずかしい。こんな人気俳優が、自分なんかと付き合う訳ないのに。
「こやけ」
こやけが俯いていると、ゆうやけが呼びかけた。
「なっ何…?」
こやけはそのままで答える。
「こやけ…は…、そういう…意味、なの、か…?」
こやけはドキッとした。もう一度言わす気か。
「そっ、そういう、意味…って?」
「そのっ…付き合う、とか、付き合わないとか、のっ、好き、って…こと…?」
「……」
「こやけ…」
「……そうだよ」
こやけはスッと立ち上がる。ゆうやけはこやけの方を向く。こやけは泣きそうな顔でゆうやけを見ていた。
「ゆうやけさんが好きだよ!!」
言ってこやけは走ってリビングを出る。
「こやけ!」
ゆうやけが呼び止めたが、こやけはそのまま家から出て行ってしまった。
『もしもし、村木ですが』
受話器の向こうから聞こえてきた声は、とても懐かしいものだった。とても懐かしい、しかし、二度と聞くまいと思っていた声。
「……」
『…どちらさまですか?』
黙っていると、相手が訊いてきた。
『…こやけ?』
更に黙っていると、相手は言った。こやけはドキッとする。
「…うん」
『ちょうどよかったわ。夕陽から連絡ない? もう帰ってきてもいい時間なのにまだ帰らないのよ』
「…知らないよ。携帯そこに置いてるもん」
『あ、そうなの? それならそうと早く言ってよ。無駄に料金払っちゃったわ。解約しちゃっていいわね?』
「…うん」
『あ、それと先生から連絡あったけど、アンタ学校行ってないんでしょ? 退学させといたからね』
「…うん」
『でアンタ今何処にいるの?』
「…友達の家」
『友達? アンタ友達いたの?』
「……うん」
『ふぅん。まあいいけど。何やってんのか知らないけど、他人様に迷惑かけるのだけはやめてよ』
「…うん」
『じゃあね』
そうして電話は一方的に切られた。こやけは受話器を置いて、電話ボックスを出る。特に意味はなかった。歩いていてふと電話ボックスが視界に入ったので、何となくかけみようかと思っただけだ。何も変わってはいなかったが。もとより家出したところで心配するような親ではないことは承知していたし、『今何処にいるの!? 心配だから早く帰ってきて!』などと言ってくるのを望んでいた訳でもない。そんな親であったなら、とっくに捜索願いが出されているはずだし、そもそもこやけは家出していない。
「見て見てアレ! 原祐也映ってる!」
「新しいCMじゃん! ラッキー!」
声が聞こえて、こやけは顔を上げる。ビルに設置されている大型の画面に、祐也が映っていた。途端に人混みの流れが遅くなる。見ると、あらゆる人々が携帯を手に、画面の祐也を撮影していた。彼は大人気の俳優なのだと、改めて感じる。そんな人とこんな地味な女が一緒に暮らしているなんて知ったら、この人達はどんな反応をするのだろう。そう考えると、とても申し訳ない気持ちになった。そうだ。一緒に暮らしているというだけでも夢みたいなことなのに、その上恋人になれたらなんて、贅沢だ。
――でもこの人達は、ゆうやけさんを知らない。
この人達は、ゆうやけさんを知ったら幻滅する。
「みんなゆうやけさんを知ればいいのに」
こやけはポツリと呟いた。
――そしたらゆうやけさんを好きなのは、私だけになる。
思って、こやけは我に返る。何を考えているんだろう。そんなこといい訳ないのに。こやけは頭を振って歩き出す。静かな通りに出ると、携帯が鳴っているのに気付いた。慌てて携帯を開く。
【ゆうやけ】
画面にはそう表示されている。ドキッとした。しかし出たくない。怖い。迷っていると、着信音は鳴り止んだ。そして待ち受け画面に戻る。
【着信あり 12件】
「12件!?」
思わずこやけは声に出して言った。周りが一斉にこやけを見る。こやけは周りに軽く頭を下げ、画面に視線を戻した。こんなに誰だと思って、こやけの番号を知っているのは1人だけだと思い出した。勿論そこには、ずらりと【ゆうやけ】の文字。ずっと人混みがうるさかったので聞こえなかったらしい。しかしやはり、かける勇気はこやけにはなかった。すると今度はメールがくる。メールは流石に見ない訳にはいかないだろう。
“今何処にいる?”
それだけだった。先程の母親と同じ質問。
“友達の家”
だから先程と同じように返した。勿論今いるのは屋外だが。するとすぐに返信がくる。
“どの辺りだ?”
またも簡潔な文章。ゆうやけらしくて、思わず笑ってしまう。こやけは近くの店に書いてある住所を見て、返事をする。
“今から行く”
またしても簡潔な文章だった。しかし今度は、その内容に目を丸くする。
――今から行く?
どういうこと? くる? 誰が? ゆうやけさんが? 今から?
こやけがパニックに陥っていると、再び携帯が鳴った。今度は電話である。しかしここで出ないわけにもいかない。こやけは意を決して通話ボタンを押した。
「も…」
『こやけか!?』
こやけが喋り出すより早く、ゆうやけが言う。荒い息遣いが聞こえた。
「うん…」
「今近くまできてる! 何処だ?」
ゆうやけの声は電話の向こうからも聞こえたが、それよりももっと近くから聞こえた。こやけは横を見る。携帯を耳に当て、ゆうやけが立っていた。
「ゆうやけさん…」
「こやけ…」
ゆうやけもこやけに気付き、携帯を耳から離す。
「ゆうやけさん…なんで…」
「こやけが、心配だから」
こやけの目を見て、ゆうやけが言った。こやけは悲しそうな表情になる。
「どうして…?」
「こやけ…」
ゆうやけはグッと携帯を握り締めた。
「好きだ」
こやけは目を見開く。
「え…?」
「好きだ。好きなんだよ。こやけが好きだ」
「え? だって、さっき…」
「いや、さっきのはその…さっきの好きは、ホントにそういう意味じゃなくて…っ、でも、そういう意味で、こやけが好きなんだ」
「……ホントに?」
「…ああ」
「…なんで?」
「えっなんで? いやえっと、なんていうか…落ち着くんだ。こやけといると。こやけには、本当の俺を見せられるっていうか…」
「……」
「“ゆうやけ”を受け入れてくれたのは、こやけだけだから」
「……私もだよ」
こやけがポツリと呟く。
「え…?」
「ゆうやけさん、私…ゆうやけさんに嘘吐いてた」
「嘘…?」
「私元から東京に住んでたの。だから…上京じゃないの。家出」
「えっ…えぇっ!?」
ゆうやけはとても驚いた。無理もないが。
「心配しないで。捜されてないから」
「は…?」
「さっき気紛れで電話したの。捜すどころか、心配もしてなかった」
こやけは笑って言う。ゆうやけは戸惑っていた。
「そういう親なの。半年も帰ってない娘を心配もしない。そもそも娘だとすら思われてない。だから家出したの」
「……」
「…だから嬉しかった。ゆうやけさんは、私を認めてくれた。初めて、私を受け入れてくれたから」
「…こやけ」
「好き。ゆうやけさんが好きです」
こやけは、ゆうやけを真っ直ぐに見て言う。ゆうやけはこやけに駆け寄り、思い切り抱き締めた。こやけもぎゅっと抱き締め返す。
ドラマのワンシーンのようだ、と思った。
夢の始まり。
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