小説5

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「こやけ!」
「ひっ」

冷蔵庫の前で、こやけは思わず身を固めた。

「キッチンに入るなってあれほど…」
「お、お茶飲もうとしただけだよー…」
「言ってくれたら俺がやるから」
「なんでそれくらいのことでゆうやけさんの手を煩わせなきゃいけないのー?」
「別に煩わされてるとは思ってない」
「そうやって誤魔化すーキッチンに一体何があるわけー?」
「…お前最近、ワガママになったな」
「ゆうやけさんに慣れたと言ってください」



から醒めた夢 #5



「…はあ」

こやけはバイト先の休憩室でため息を吐いた。

「なあにこやけちゃん? 何か悩み?」

一緒に休憩していた出口みことが尋ねる。

「みことさん…、キッチンに入れてくれないって、どういうことだと思いますか?」
「なあに? 彼氏?」
「いえっ…彼氏なんかじゃ…」

こやけは何か言いたそうに俯いた。やがてゆっくりと口を開く。

「私は、ただの同居人ですから」
「あら、一緒に住んでるの? 素敵ねぇ」
「そんなことないです。あの人の為にご飯を作って待ってることもできないなんて…」
「でも、出ていきたいとは思わないんでしょう?」

こやけは顔を上げる。そして辛そうな表情でみことを見た。

「…当たり前じゃないですか。あの人といると楽しいんです。今まで、家に帰るのがこんなに楽しみだったことない。家があんなに安らげる場所だったことないんです」

それを聞いて、みことは微笑んだ。

「こやけちゃん、その人のこと本当に好きなのねぇ」
「……好き?」

こやけは首を傾げた。

「あら、自覚してなかったの?」
「…へ? 好き? え、誰が、誰を、ですか?」
「勿論、こやけちゃんが、その人をよ」
「あ、私が、ゆ、ゆうやけさん、を?」
「まあ、ゆうやけさんっていうの? 素敵じゃない。夕焼け小焼け」
「は、はあ…」
「子供の名前はとんぼちゃんにするべきだわ」
「い、いやそれはちょっと…」
「何? 何の話?」

そこへ別の声がする。田口美了だった。

「あら美了ちゃん休憩? じゃあ私出るわね」
「お願いしまーす」

出ていったみことの代わりに、美了は椅子に座る。

「で、何の話してたの?」
「あ、いや…悩み相談…と言いますか…」
「悩み相談? みことさんには向いてないでしょーあの人ふわふわだし」
「ふわふわ?」
「天然てこと」
「ああ…」

こやけはみことの姿を思い浮かべて、妙に納得してしまった。

「何の悩み相談してたの? 恋愛、とか?」
「いや恋愛、というか…あ、いや、近い、です」
「何? 近いって。恋愛じゃないの?」
「分からないんです」
「ああ…そう」
「私…一緒に住んでる人がいるんですけど…」
「男?」
「はい。でも、彼氏ではないんです」
「何ソレ。ルームシェアって感じ?」
「あー…そんな感じです」
「で、その男が好きなんだ?」
「いや、そういうことじゃなくて…その人が、キッチンに入れてくれないんです」
「…は?」

美了は顔をしかめる。

「何、どういうこと? 一緒に住んでんでしょ?」
「はい…でも、元々私がその人の家に転がり込んだって感じで…家の主は一応、その人なので」
「なるほどね…でもなんでキッチン? キッチンに何かあんの?」
「それが分からないから悩んでるんじゃないですかー!」
「あ、そっか」

そして美了は腕を組んで、考え込むように黙った。少しして、何か思いついた風に顔を上げる。

「あ、分かった」
「え、ホントですか!?」
「きっとキッチンにAVでも隠してんだよ!」
「…え?」

こやけは目が点になった。

「AVだよAV! アダルトビデオ!」
「いや、それは分かりますけど…」
「男が隠してるものなんてそれしかないって!」
「それはアンタの周りの男でしょ」

再び別の声がして振り返る。美了と同い年の岩戸玉響が立っていた。

「玉響さん」
「美了の言うこと真に受けちゃダメよ。コイツロクな恋愛してないんだから」
「…そうなんですか?」
「そ。じゃ、あとはアタシが相手しとくから、こやけちゃんフロア戻ってくれる?」
「あ、はい! 行ってきます!」

そしてこやけは休憩室を出た。

「…悩み相談できる人いないなあ、この職場」






家に帰ったこやけはテレビをつけた。19時からあるクイズ番組にゆうやけが出演するのだ。ゆうやけは今日は帰りが22時頃になると言っていたので、テレビの中の“原祐也”を見ながら1人でニヤニヤするつもりだった。
ところが。

突然、ドアが開く音がした。

こやけは振り返る。ゆうやけは今日は22時頃帰ってくると言っていたはずだ。なら今の音は…

「どっ泥棒…?」

こやけは呟いてテレビを消した。ゆっくりと近付いてくる足音に耳を澄ます。とっさにリモコンを手にとって構える。やがてリビングの入口に姿を現したのは、ゆうやけだった。こやけはホッとしてリモコンを下ろす。

「なんだゆうやけさんかあー…どうしたの? 今日10時頃って言ってなかったっけ?」
「ああ…」

ゆうやけは呟いてリビングに入ってくる。そして次の瞬間、フラッとその場に倒れた。

「ゆうやけさん…?」

こやけは呼びかける。しかし反応はない。

「ゆうやけさん!?」

慌てて駆け寄り、抱き起こす。

「あつっ…え、ゆうやけさん、熱! 熱あるの!?」
「うー…」
「たっ大変だ、ちょっと! ベッド行こうベッド! 支えるから頑張って!」

こやけはゆうやけを支えながら立ち上がる。ゆうやけはほとんど力が入らないようで、はっきり言って重い。

「ゆ、ゆうやけさん…! もうちょっと…! 頑張って…!」

やっとの思いでベッドへ辿り着くと、ゆうやけは思い切り倒れ込んだ。こやけはゆうやけを仰向けにし、真っ直ぐ寝かせて毛布をかけた。

「えっと…何がいいんだろう…薬? あ、熱冷ましのシート…とかある?」
「冷蔵庫の…奥…」
「分かった、じゃあ取って…冷蔵庫?」

こやけは去りかけて振り返る。まあ冷却シートが冷蔵庫にあるのは当然だろう。しかし冷蔵庫は。

「……俺が行く」

ゆうやけが起き上がろうとして再び倒れ込む。

「ちょっと! 無茶なこと言わないで! その状態でキッチンまで行ける訳ないでしょ!?」
「でも…」

それでもゆうやけは起き上がろうとする。こやけは起き上がりかけたゆうやけをベッドに縫い付けた。

「ゆうやけさん!!」
「……」
「ゆうやけさんがそこまで人をキッチンに寄せつけない理由って何なの!? キッチンに一体何があるっていうの!?」
「…キッチン、他人に、使わせるの…」
「私 は 他人 じゃ ないん で す! もうゆうやけさんの家に私が泊まってる訳じゃないんだよ! ゆうやけさんが出ていかなくていいって言ったんでしょ!? お金だって少しは払ってるし、とにかく! 私達は一緒に暮らしてるの! ここは私の家でもあるの! 自分の家のキッチンに入れないなんておかしいでしょ! 私、自由にさせていただきますので!」

少し驚いた顔でこちらを見るゆうやけに言い放ち、こやけはキッチンへ向かった。堂々とキッチンに足を踏み入れ、冷蔵庫を開けて冷却シートを取り出す。ベッドに戻ると、ゆうやけはぼんやりと天井を見ていた。こやけはそんなゆうやけの額にシートを貼る。

「つめたい…」
「当たり前でしょ! 熱あるんだから」
「そっか…」

ゆうやけがふにゃりと笑う。初めて見る顔で、こやけはドキッとしてしまう。心なしか、ゆうやけがいつもより幼く見える。

「こやけ…」
「ん?」
「手…」
「て?」
「手…にぎって…」
「へ!?」
「にぎって…」

ゆうやけがうるうるとした瞳で見つめてくる。こやけはベッドの横に屈み、ゆうやけの手を握ってやった。するとまた嬉しそうに笑う。

「反則でしょこれ…」
「ん?」
「何でもない」
「なーこやけ…」
「ん?」
「引っ越して最初の頃さ…」
「え?」

こやけが顔を上げてゆうやけを見ると、ゆうやけは悲しそうな表情になっていた。

「最初の頃…」
「う、うん」
「高校のとき同じクラスだったやつから電話がきて…大して仲が良かった訳じゃないんだけど…東京に遊びに行くから泊めてくれって」
「うん」
「嬉しかったんだ。頼ってくれて、人に頼られるの初めてだったから。そいつは泊めてもらうんだから晩御飯は作るって言ってさ。…うまかった」
「…うん」
「…けど、風呂から上がったとき、そいつが友達と話してるの聞いちゃって…“ホテル代浮いて助かるわ。ゆうやけでもたまには役に立つよ”って…“晩飯作ってやったんだからこれくらいいいだろ”って、冷蔵庫の中のワイン、勝手に飲みながら…」
「ワイン…」
「竹村晴太郎って知ってる? すげぇ有名な俳優…大御所中の大御所だよ」
「うん…」

竹村晴太郎。テレビを全く観ないこやけでも知っているほどの名優だ。

「あの人が…共演したときにくれたんだ…“お前はこれから伸びる”って言ってくれて…大事に、だいじにしてたのに……」

ゆうやけは涙をぽろぽろとこぼしながら言う。こやけはゆうやけの手をぎゅっと握り締めた。

「だからっ…だれも、キッチンに、いれたく、なくて、こやけも、ごめん、ごめん…」
「…謝らなくていいよ。理由、分かったから。ごめんねこんなときに言わせて…もういいから、今はゆっくり休んで。私に何かできることがあったら、何でも言ってね?」
「…こやけ…こやけ、ひとつ…」
「何?」
「おかゆ…たべたい」
「…え?」

こやけは一瞬何を言われたのか分からなかった。そしてすぐに理解する。

「あ、そうだよね! おなか空いてるよね! ちょっと待ってて! 今から買ってく」

立ち上がりかけてこやけは止まる。こやけの袖を、ゆうやけが掴んでいたのだ。

「ゆうやけさん?」
「…いい」
「え?」
「こやけの作った、おかゆがいい」
「…え?」

ゆうやけは駄々をこねる子供のような表情でこやけを見ている。

「…作って、いいの?」
「……」
「…キッチン、使っていいの?」
「……ん」

ゆうやけは小さく言った。

「…こやけは、おれのかぞくだから」
「…!?」

こやけは自分の体温が一気に上がるのを感じた。段々ゆうやけの言ったことが恥ずかしくなってくる。そして一層体温が上がっていった。何だか自分まで熱で倒れそうだ。

「っあ、じゃあ、作って、きます!」

ぎこちない足取りでこやけはキッチンへ向かった。




熱だから…だよね!?


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