小説2
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“遥名さんへ
僕はあなたのことが好きです。
僕と付き合ってください。
しょう”
私にはそれが誰かも分からなかった。
遥名緑の恋 10
手紙をポケットにしまって、私は考えた。
――“しょう”って誰だろう…? まさか、山刀硝!?
“しょう”と聞いて浮かぶのは、去年同じクラスだった山刀硝だった。
――いやいやいやいやない! 絶ッッ対ない!! 気持ち悪い! 有り得ない!
私は必死にその考えを払拭する。しかし“しょう”と聞いて出てくるのはそれくらいのものだった。私は多村さんと永依ちゃんに近寄る。
「ねぇ、しょうって誰?」
「え? 越若硝でしょ?」
「こえわか……ああ!」
思い出した。同じクラスの越若くん。確かに硝という名前だった。しかし硝くんとは会話をした記憶がない。一目惚れされる程可愛い訳でもないし、何かドラマチックな出来事があった覚えもない。好きになられる理由がないのだ。罰ゲームか何かかもしれないし、大して信じていなかった。
家に帰った私は、部屋で深呼吸をしてからポケットを探った。夢でも冗談でもなく、確かにポケットの中には、あずけんに渡された手紙が入っている。
――ホントに話したことないのに、なんで。
私は部屋でずっと考えていた。
翌日。
給食当番の私がお盆で給食を運んでいると、席に着いていたあずけんが話しかけてきた。
「昨日の、考えてやってくれた?」
「そう言われても…なんか信じらんないし」
あずけんのいる班の机に配膳しつつ、私は答える。
「信じらんないって…、冗談で告白とか…誰もしねぇだろ!」
――いるよ。冗談で告白とかする奴。
私は心の中で思った。硝くんがそういうことをするような人に見える訳ではなかったが、今まで男子の命令ゲームのターゲットにされることが多かった私からしたら、相手の性格は関係なかった。
「…でも、なんであたしなんかを? 喋ったこともないのに…」
「え?」
あずけんは驚いた表情で言った。私は何故あずけんがそう言ったのか分からない。
「えって?」
「でも、硝…喋ったことあるって言ってたけど…」
「え?」
私は自分の耳を疑った。喋った記憶なんてない。
「なんか、学習係のクイズが一緒で…?」
「あ!」
あずけんの言葉で私は思い出した。学習係の資料調査の締め切りの日だ。しかも、話しかけたのは私。
「あと美術室掃除のときとかさ。ほんのちょっとだけど…覚えてないの?」
「全ッ然覚えてなかった…。越若くんそんなに存在感ないの…? ていうかあたし酷っ…」
私は自分に呆れて何も言えなかった。
そしてその日も何も言わずに下校し、土日の間ずっとどう断ろうか考えていた。硝くんの好きだという言葉が本当だとしても、本当は喋ったことがあるのだとしても、全くといっていい程なにも知らないのは事実だ。しかも自分では何も言ってこない。生まれて初めて本気で告白されてとても嬉しかったが、そんな相手と付き合って、上手くいくとは到底思えなかったのだ。
私はとにかく、月曜日に断ろうと決めた。
6月21日、月曜日。
断ろうとは思っていても、どう言ったらいいか、誰に言ったらいいか分からない。もたもたしていると、また給食の時間になった。そして再びあずけんに話しかけられた。
「遥名さんどう? 考えてくれた?」
「あー、あたしやっぱり…」
ちょうどいい。このままあずけんに断ってもらおう。私は思ったが、それを知ってか知らずか、あずけんに遮られた。
「まだ信じてくんないの?」
「いやっそうじゃなくて…直接言われたワケじゃないからなんかやっぱり…」
「硝、ホント遥名さんのこと好きなんだよ」
「え?」
「アイツ昔からすっげえ恥ずかしがり屋でさー。毎日遥名さん見ながら『可愛い』って言ってんだよ。正直俺には分かんないけど…あ! ごめん」
「いや、いいけど…」
「あ、あとこの間さ、遥名さん髪切ったじゃん? あんとき硝、『髪切って益々可愛くなった』って言ってたよ」
「…そうなの?」
正直私にも理解できない。
あずけんはそのあとも、必死に硝くんのいいところや、硝くんがどれくらい私を好きかということを語った。恥ずかしがり屋の硝くんの告白を成功させたいという親友の想いだったのだと思う。ずっと断ろうと思っていた私の心は、ここにきて揺らいでしまった。
――越若くんいい人だよな…。凄く優しそうだし、勿論嫌いじゃないけど…でも、そんな微妙な気持ちで付き合ってもなあ…
「遥名さん」
5時間目が終わった頃、多村さんに話しかけられた。
「うん?」
「今の授業のとき、希更が硝くん見てたんだって。そしたらさ、なんかチラチラ遥名さんの方見てたらしいよ」
「そうなの?」
「うん」
伊賀さんが頷く。私はこのとき初めて、硝くんの告白は冗談ではなかったのだと思った。
翌日。
5時間目の休み時間に、私は永依ちゃんにあずけんを呼んでくるよう頼んだ。
「ホントに私でいいなら…」
「マジ!? 硝ー!!」
私はまだ最後まで言っていなかった。しかしあずけんは振り返って、教室の入口付近にいる硝くんを呼んだ。硝くんはすぐに近付いてくる。あずけんは硝くんの肩に腕を回した。
「硝!! OKだって! よかったなぁ!!」
「え…!」
あずけんは嬉しそうだが、硝くんはとても驚いていた。それ以上でもそれ以下でもない。硝くんはチラッとこちらを見る。
「ホント、に…?」
私は小さく頷いた。何だろう、これは。照れる。
「ほらほら〜」
多村さんと永依ちゃんに押され、私は硝くんの前に立った。
「あ、よ、ろしく…お願い、します」
「う、うん…」
私が小さく頭を下げると、硝くんは小さく頷いた。
放課後、帰り支度をしていると、あずけんに声をかけられた。
「遥名さん、その、硝が一緒に帰ろうって」
どうやら自分で誘うことはできないようだった。私は少し考える。
「あー…でも私、帰宅部なんだけど…」
そうなのだ。私は部活に入っていない。硝くんは確か野球部のハズだ。
「あっそうなの!? ちょっと待って!」
あずけんは硝くんの方へ歩いていった。そして2人で少し話したあと、あずけんがこちらを向いて、
「遥名さーん! コイツ今日病院行くから部活行かないんだってー!」
と叫んだ。
「じゃあいいよ!」
私はあずけんに返す。硝くんはあずけんに何か告げて教室を出て行った。あずけんが近付いてくる。
「校門で待っててって」
「…分かった」
「あの、ホントにアイツ恥ずかしがり屋なんだよ。だからホント…よろしくな」
「…うん」
私は頷いて教室を出た。
自転車小屋で自転車を取り、校門で待っていると、硝くんがやってきた。後ろに知らない男子がいる。
「あ…自転車なんだ…」
「うん…」
それが硝くんとの最初の会話だった。それは誰だとは、訊きたいけど訊けない。まあ友達なのだろうが、彼女と一緒に帰るというのに友達を連れてくるのはどうなのだろう。私が学校帰りによく見る同学年や先輩カップルは、2人きりで手を繋いで帰っている気がする。その流れで3人は歩き出す。そして硝くんは友達と喋り始めた。
「……」
何なんだろう。これは一緒に帰っているというのだろうか。これではただ横を歩いているだけだ。私がイメージしていた“一緒に帰る”とは明らかに違う。
「おい硝ー折角一緒に帰ってんだからなんか話せよー」
もう1人の男子が硝くんに言う。なかなか気の利く男子だ。しかしそう言われた硝くんが私に言ったのは、
「今日返ってきたテスト、どうだった?」
だった。
「…最悪」
確かにテストも最悪だった。しかしどちらかというと、今のは質問に対する感想だった。そこで会話は終わる。そこまでで正門から伸びる坂道は終わった。ここからは道が2つに分かれる。硝くんは右を指差し、
「遥名さん…そっち、だっけ?」
と言った。確かに市富小出身の大体の生徒はここから右方向に曲がる。李郷小出身の生徒は左が多い。私も右だ。
「…うん」
「じゃあ、俺こっちだから…」
硝くんは左を指差して言う。私の知る限り、どのカップルも彼氏が彼女を家、もしくは家の近くまで送るのが普通のようだった。しかしどうやら硝くんには、私を家まで送る気はないらしかった。
「あ、うん…」
「じゃあ…また」
硝くんは手を振って去っていく。そのとき彼が、ホッとしたような表情を、息苦しさから解放されたかのような表情をしたのを、私は見た。明らかに彼女と別れたときにする顔ではない。
本当にこんな調子でやっていけるのだろうか。
友達と喋りながら帰る硝くんに背を向け、私も歩き出した。
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