小説6
□右岸の愧死
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排他的少女の排他的思考→う
「いつか必ず迎えにくる。約束する」
そう言って去っていったあの人は、まだ来ない。
右岸の愧死
「川の向こうに引っ越すことになったんだ」
「え…? なら、住所を教えて? 手紙書くわ」
「ああ…まだ住所分からないんだ。分かったら教えるよ」
「約束よ?」
少女は川辺に座り、向こう岸を見つめていた。
「ベリー!」
少しして、向こう岸に1人の少年が現れる。少女は立ち上がった。
「ラファエル!」
そして向こう岸の少年に呼びかける。少年が少女に手を振り、少女も振り返した。
「ごめん! 待った?」
少年は少女に向かって叫んだ。
「いいえ! そんなに待ってないわ!」
少女もそう返した。
「よかった! 元気だった?」
そう訊ねられ、少女は微笑んだ。
「昨日も会ったわ!」
それを聞いて、少年も笑った。
「そうだね!」
「何か変わったことはあった?」
「ああ! 隣の家の人と仲良くなったよ!」
「本当? 何ていう人なの?」
「サフランだよ! サフラン・マクラフィン!」
「サフラン! 素敵ね! サフランは歳が近いの?」
「ああ! 僕らと同い年なんだ!」
「そう! よかったわね!」
「ベリーは何かあったかい?」
「そうそう! 姉さんが音楽学校に合格したの!」
「シルヴィーが? 凄いじゃないか!」
「ええ! 私も嬉しいわ!」
少年――ラファエル・ランスロットと、少女――ベリー・アシハラは、恋人同士だった。2人はもともと近所に住んでいたが、ラファエルが川向こうの街に引っ越した。そしてその直後、2人が暮らす国は川を境に真っ二つに分かれてしまい、互いの国を行き来することが禁じられてしまったのだ。その為2人は毎日、川を挟んで会話していた。
「ラファエルはどう? 元気そう?」
家に戻ったベリーに、シルヴィーが話しかける。
「ええ、元気よ。姉さんが合格したことを教えたら喜んでたわ」
「…そう。明日も行くの?」
「ええ。早く行き来できるようになればいいのに…ラファエルともっと近くで話したい」
「……」
それからも2人は、川を挟んでその日起きたことを話した。話すことがない日には、互いに向かい合って座っているだけでも幸せだった。
「ベリー!」
互いに手を振り、帰ろうとしたとき、ラファエルがベリーを呼び止めた。ベリーは振り返る。
「愛してる! 今も! 昔も! この先も! ずっと!」
離れていても分かるくらいに顔を真っ赤にして、ラファエルはベリーに告げた。そんなに恥ずかしいなら言わなくても…分かっているのに。そう思いながら、ベリーは微笑んだ。
「私もよ! ラファエル!」
そしてもう1度手を振る。
その翌日、ラファエルは来なかった。ベリーは川辺に座り、日が暮れるまで待っていたが、やはりラファエルは来ない。
「…ラファエル、風邪でも引いたのかしら」
しかし翌日もその翌日も、ラファエルは来なかった。ベリーは心配だったが、住所は結局教えてもらっていない。それにたとえ住所が分かったところで、人の行き来も禁じられている今は手紙を送ることもできなかった。
「ベリー」
自分の部屋にいたベリーは、扉の外から聞こえた声に振り返った。
「何? 母さん」
声の主は母親のコレットだった。コレットは扉を開けて入ってくる。
「……」
「やあ、ベリー」
コレットの後ろには、見知らぬ男がいた。
「ベリー、こちらリール・ヘザーさんよ」
コレットが言い、リールが微笑んだ。
「初めまして。リール・ヘザーと言います」
「…どうも。ベリーです」
「ベリー、彼が貴女と結婚したいって」
「え?」
ベリーは眉をひそめた。そしてリールを見る。見た目も悪くはないし性格も良さそうだが、ベリーは全く興味がなかった。
「今すぐってワケじゃないんだよ。僕と結婚を前提に付き合って欲しいんだ」
「…お断りします」
リールの目を見て、ベリーはハッキリと言った。リールの後ろでコレットが焦り出す。
「ベリー…!」
「母さんが仕向けたの? 信じられない…! 私はラファエル以外の人とは結婚しないわ!」
「でもね、貴女が毎日行ってる川にも、ラファエルはもう来ないんでしょう?」
「何か事情があるのよ! きっと忙しいんだわ。今にまた会いに来てくれる」
「ベリー…! そう言って何年経ってると思ってるの!? もう5年なのよ!?」
コレットはベリーの両肩に手を置いて言う。コレットの言う通り、ラファエルが来なくなって5年もの月日が過ぎていた。
「…ッ5年ぐらい何よ! ラファエルは絶対に戻ってくるわ! 行き来さえできるようになれば…!」
次の瞬間、コレットがベリーの頬を叩いた。
「いい加減にして頂戴! 一生そうやって待ってるつもりなの!?」
コレットが叫ぶ。ベリーは何も言わずに、走って出て行った。
「ベリー!」
コレットの声が聞こえたが、ベリーは振り返ることなく走る。そして川辺に座り、向こう岸を眺めた。
「ラファエルは絶対に来るわ…約束したもの」
ベリーはずっと待っていたが、やはりラファエルは現れない。
「ベリー」
しばらくして後ろから声をかけてきたのは、リールだった。ベリーは1度振り返ってその姿を確認したあと、すぐに前に向き直る。
「私は待つわ」
向こう岸を見ながら、ベリーは言った。
「もう5年も来ていないんだろう? 向こうで新しい女でもできたんじゃないか?」
「ラファエルはそんな人じゃないわ! 約束したもの! 必ず迎えにくるって!」
「それが絶対だとどうして信じられる? 5年も会ってない男が、変わっているとは思わないのか?」
「変わらないわ! ラファエルは…変わったりしない…!」
ベリーは耳を塞いだ。これ以上何も聞きたくないというように。リールは溜め息を吐き、その場をあとにした。
それから3年もの間、ベリーは川辺でラファエルを待ち続けた。そしてラファエルが来なくなって9年目、ついにベリーの待ち望んだ日がやって来た。川向こうの国との関係がようやく正常化し、行き来が可能になったというのだ。朝のニュースでそれを聞いたベリーは、急いで川の向こうへ走った。
「ラファエル! ラファエル!」
橋の上を沢山の人が行き交い、溺れそうになりながらベリーは必死にラファエルを呼んだ。すると視界に、見覚えのある姿が映る。
「マエル!」
ベリーはその人物を呼んだ。ラファエルの兄、マエルだった。マエルはベリーに気付き、駆け寄ってくる。
「ベリー!」
マエルが傍までくると、ベリーはマエルにしがみついた。
「マエル! ラファエルは? ラファエルは何処?」
するとマエルは目を丸くしてベリーを見る。
「ベリー…ラファエル、言わなかったのか…」
「え?」
マエルは気まずそうに視線を外した。
「ラファエルは最期まで…ベリーの名前を呼んでたよ」
その言葉に、ベリーは表情を失った。
「…え?」
マエルを見るが、マエルはベリーを見ない。
「嘘でしょう…? そんな…嘘よ…! そんなハズないわ…! ラファエルがもう…」
ベリーはその場に座り、静かに泣き出した。
その後マエルは、引っ越したのが病気の治療の為だったことを告げた。しかしその甲斐なく、7年前に死んだことも。ラファエルが川に来なくなった日にはもう、手遅れの状態で入院していたことも。ラファエルが死んだことを受け入れられないベリーは、変わらず川に通い続けた。二度と来るはずのないラファエルを、それでも川辺で待ち続けた。
「ラファエル…」
川辺に座り、膝を抱えて呟く。
「知らない…何も聞いてない…勝手にいなくなるなんて…ずるい…」
手で顔を覆い、ベリーは呟いた。
「ラファエルのところにいきたい…」
そのとき、チャプンと聞こえた波の音に、ベリーは表情を変えた。顔を上げ、向こう岸を見る。ラファエルは当然いない。そしてベリーは立ち上がり、川を見た。次の瞬間、ベリーは勢いよく川の中へ入っていった。
「ラファエル…ラファエル…!」
――ここを渡れば、ラファエルに会える。
「ラファエル…!」
首もとまで水がきたところで、ベリーは向こう岸にラファエルが立っているのを見た。
「ラファエル…っ!」
ベリーは嬉しそうに手を伸ばす。
「ラファっ…」
そのとき、ラファエルが悲しそうにベリーを見ていることに、気付いてしまった。そして次の一歩で川は一気に深くなり、ベリーは沈んでいった。
――ラファエル…
目が覚めたとき、ベリーは病院のベッドに横になっていた。
「ベリー…! よかった、気が付いたのね…!」
声のした方を見る。シルヴィーがベッドの脇に座っていた。
「姉さん…私…」
「覚えてない? 川辺でびしょ濡れで倒れてたのよ」
「川辺で…?」
ベリーは先程のことを思い出した。川の真ん中辺りまできたとき、向こう岸にラファエルが見えて…。ふと思った。あれは一体何処の川だったのだろう。本当にベリーが入ったのは、いつも見ていたあの川だったのだろうか。だって、向こう岸にラファエルが。
「リールに感謝しなさいよ。彼がベリーを見つけてくれたんだから。もしもう少し発見が遅かったら、危なかったのよ」
「…そう」
ベリーは微笑んだ。ラファエルが川辺に運んでくれたのだと、そのときベリーはそう思った。そしてリールを呼んでくれたのだと。何故だか、そんな気がしたのだ。
「姉さん、私ね」
窓の方に目をやり、ベリーは言った。
「何?」
「…ラファエルのところにいきたかったの」
「え…?」
「でも…まだダメだって。今いっても、ラファエルは笑ってくれない。私分かったの」
シルヴィーの方を向き、ベリーは笑った。
「ベリー…」
呟いて、シルヴィーはベリーを抱き締めた。
大丈夫。向こう岸でラファエルは、ずっと待っていてくれる。私が川辺で彼を待ち続けたように、ずっと…私が笑顔で向こう岸へ渡るのを。
そして恥ずかしそうに笑いながら、私を迎えてくれる。
右岸の愧死→し