小説6

□絞り染め死別
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右岸の愧死→し


「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」



絞り染め死別



“学校くんな”
“死ね”
“キモイ”
“目障り”
“消えろ”

「うわアホ美また来たよ」
「懲りねーな」
「辞めればいいのによー」
「つーか死ねばいいのに」
「キャハハハハハハ」

いつものことだった。
机に書かれた悪口を、悪口を聞きながら消す。愛合月亜湖美の朝の日課だった。止めてくれる人も助けてくれる人も、勿論友達もいない。何とか消し終わったあと椅子を引くと、椅子には大量の接着剤が塗られている。これもいつものことだ。椅子をひっくり返し、パイプの部分に座る。これ以上スカートを無駄にする訳にはいかないので最近はいつもこうなのだが、相変わらず毎日毎日律儀に接着剤が塗られていた。

「何だよー座れよー」
「つまんねーの」

周りからは下品な笑い声が聞こえてくる。吐きそうな気分だった。




亜湖美はいじめられている。真っ黒な長い髪を下ろし、伸びた前髪は視界を覆っている。その姿は貞子のようだと噂されていた。最初はその暗いオーラに誰も近寄らなかったのだが、とある男子がちょっかいをかけたのを気に、亜湖美はクラスメイトのストレス発散のターゲットになったのだ。亜湖美が抵抗も反抗もしないので、クラスメイト達にとっては好都合だった。



そんな日々が半年程続いたある日の事だった。もっともそれは亜湖美にとって、5年にも10年にも感じる半年だった。少なくともあと半年はこの地獄のような日々が続くのだと思うと、恐怖よりも先に吐き気がする。だが進級するときにはクラス替えはあるが、いずれにせよ数人はまた同じクラスになる。すぐにまた同じ状況になることは容易に想像できた。
自分の部屋で1人ふと窓の外を見ると、ふいに飛び降りてしまおうかという気分になる。亜湖美の家はマンションの12階だった。ベランダから飛び降りれば確実に死ねるだろう。そんなことを考えながら亜湖美は窓へ近付いていく。すると突然、後ろから物音がした。亜湖美はビクッとして振り返る。物音はクローゼットの方からだった。クローゼットの中で何かが落ちたのだろうか。亜湖美は恐る恐るクローゼットに近付く。するともう一度ガタガタッと音がした。今度は何かが落ちたような音ではない。明らかに誰かが中からクローゼットを開けようとしている音だった。亜湖美は足を止める。そして周囲を見回し、壁にかけてあったカレンダーを丸めて構えた。やがてゆっくりとクローゼットが開き始める。そして中から現れたのは、亜湖美だった。亜湖美は目を見開き、カレンダーを握り締めたまま後退る。クローゼットから出てきた亜湖美は亜湖美を見て、「よっ」と手を挙げた。亜湖美は言葉が出ない。だが1つだけ分かった。“これ”は自分とは違う。亜湖美は人
に「よっ」と言うような挨拶はしない。亜湖美がそんなことを考えているとも知らず、彼女は亜湖美に近付いてくる。亜湖美は更に後退った。

「だっ…誰ですかあなた…!」

亜湖美は震える声で言う。すると彼女はニヤリと笑った。

「見て分かんない? あたしはアンタ」
「そんなはずない…! 私、そんなんじゃない…!」
「はっそういうこと言う? 酷いねえ。アンタがあたしを生んだのに」

彼女は笑って言う。亜湖美は目を見開いた。

「は…? 何言って…」
「あたしは真智香。蝉羽月真智香。アンタが生んだアンタよ。亜湖美」
「…どういうこと…?」
「分かんなくていいのよ。あたしはアンタを救うために生まれたの。大体の状況は把握してるわ。亜湖美、もう大丈夫よ」

そう言って彼女――真智香は亜湖美を抱き締めた。亜湖美はまだ状況が飲み込めていない。飲み込めていないが、カレンダーは下におろした。





「蝉羽月真智香です。よろしくお願いします」

翌日、黒板の前に立った人物を、クラスメイト達は拍手をして迎えた。亜湖美は前髪が顔を覆っているので、クラスメイトは殆んど亜湖美の顔を見たことがない。見たことがある人でも1、2度だ。誰も覚えていなかった。真智香は教師の指示で1番後ろの席に座る。椅子をひっくり返してパイプに座っている亜湖美が見えた。




朝のHRが終わったあと、真智香に声をかけようと近付いてきたクラスメイト達を無視し、真智香は亜湖美の方へ歩いていった。クラスメイト達は呆然としてその様子を見ている。

「見た?」

亜湖美の横に立ち、真智香は言った。亜湖美は真智香を見る。

「あたしが黒板の前に立っても誰も驚かない。アンタ、クラスメイトに顔覚えられてないのよ?」

言って真智香は亜湖美の前髪を掻き分けた。クラスメイト達は亜湖美の顔に注目する。そこで初めて目を丸くした。

「せっ、蝉羽月さんとアホ…愛合月さんて、え? 双子、なの…?」

近くにいた女子が言う。真智香はニッコリ笑ってその女子の方を向いた。

「そうなの。訳あって別々に暮らしてたんだけど、今度また一緒に暮らすことになったの。よろしくね」

やはり真智香はニッコリと笑う。大嘘だった。クラスメイト達の笑顔は引きつっている。それから1日観察していたが、クラスメイト達が亜湖美に手を出すことはなかった。恐らく真智香がいるからだろう。誰にも話しかけられはしなかったが、いじめられることもなかった。

「凄い。真智香がいるだけで何もされなかった」

家に帰って自分の部屋に入ると、亜湖美が言った。

「甘いわね。あんなん様子見よ。双子の姉妹であるあたしが監視してるから手出さなかっただけ。本当の勝負はこれからよ」
「…勝負? 勝負するの?」
「勝負よ勝負! 戦いよ! 散々亜湖美を痛めつけてきたアイツらに復讐するの!」
「ええっ復讐って…」
「甘い甘い! アンタ今までアイツらに何されてきたか忘れたの!?」

真智香は亜湖美の腕を掴んで言う。

「……真智香知ってるの?」
「えっ?」
「私が今までに何されてきたか、知ってるの?」
「…知ってるよ。あたしはアンタなんだから」
「真智香…ホントに何者なの?」
「……」

亜湖美はまっすぐ真智香を見る。真智香は黙った。

「真智香…」
「…そのうち分かるよ。それよりっ、今後の作戦立てるよ作戦!」
「作戦?」
「言ったでしょ? アイツらに復讐するって!」

真智香は亜湖美の肩に手を置いて言う。

「大丈夫」











翌日。亜湖美と真智香は一緒に登校した。亜湖美の方が先に教室に入り、自分の机を確認する。机にはいつも通り落書きが、椅子にも接着剤が塗られていた。しかしクラスメイト達はいつものようには笑わず、じっと2人に注目して様子を窺っている。すると突然、真智香が椅子を持ち上げ、教室の入口へ歩き出した。

「ちょっ、蝉羽月さん何処行くの…?」

女子の1人が真智香を呼び止める。真智香は振り返った。

「椅子替えてもらってくるわ。これじゃ座れないでしょ?」

ニコッと笑って、真智香は教室を出ていく。教室内はシンとしていた。

「…何アレ」

やがて誰かがポツリと呟く。すると全員が亜湖美を向いた。

「つーか何なのアイツ。変なの連れてきてんじゃねーよ」
「それで勝ったつもり?」
「味方作ればイジメられなくなるとでも思った?」
「バカじゃない?」

教室内で笑いが起こる。やはりクラスメイト達が様子を見ていたのは真智香だけだと知る。亜湖美は拳を握った。そして机を持ち上げ、歩き出した。

「は? アンタ何してんの?」

クラスメイトが亜湖美の前に立ち塞がる。

「…机替えてくるの」
「は? ふざけんなよアホ美のクセに」
「いつもみたいに消せばいいじゃん。雑巾で」

また教室内に下品な笑い声が響く。亜湖美は机を前にいるクラスメイトに向けて押し倒した。

「じゃあアンタが消してよ!! アンタ達が書いたんでしょ!?」

クラスメイト達は呆然としていた。すると1人の女子が黙って教室を出ていく。少しして濡れた台拭きを持って戻ってきた。女子は亜湖美が倒した机を起こし、拭き始める。

「…何してんのアンタ」

机を当てられた女子が言った。

「見たら分かるでしょ?」
「はあ? ふざけてんの?」
「ふざけてんのはアンタらでしょ!?」

机を拭いていた女子は手を止めて、喋っている女子の方を向いた。

「もう嫌!! いつまでこんな馬鹿なこと続けるつもりなの!? 愛合月さん何もしてないじゃん!! 悪いのは全部アンタ達でしょ!? 自分がいじめられたら嫌だから、アンタ達が怖いからってずっと見て見ぬフリしてきたの!! でももう限界!! いい加減にして!!!」

女子が訴え、机拭きを再開する。

「オマエ…!」

不愉快そうに先程の女子が、机を拭いている女子に向かって動き始めた。すると今度は別の女子が教室を出ていく。そして台拭きを持って戻ってきた。他の生徒が次々と教室を出ていく。

「はあ? 何なんだよオマエら! ふざけんなよ!」

例の女子は相変わらず文句を言っている。

「はーいどいてー」

そこへ真智香が椅子を持って教室へ入ってきた。女子の前にドンッと椅子を置く。そして女子を見た。

「何だよ」

女子は真智香を睨む。真智香はニコニコしていた。

「別に? 恐怖でいつまでも人を押さえつけてられると思うなよ」

急に真剣な表情になって、真智香は言う。女子は舌打ちをした。亜湖美の机は台拭きを持った女子達が拭く。亜湖美は最初に拭き始めた女子に近寄り、

「あ、ありがとう…夏越さん」

と言った。

「なつこしさんっていうの? よろしくー」

真智香も彼女に笑いかける。

「うん。夏越希有。よろしくね」

彼女――希有も笑って真智香を見た。そして亜湖美に向き直る。

「ごめんね。愛合月さん。今まで助けられなくて」
「ううん。ありがとう。みんなもありがとう」

亜湖美は、希有と共に机を拭いている女子にも言う。それから亜湖美は半年振りにまともに椅子に座った。椅子とはこんなに温かみのあるものだっただろうかと感じる。いつもは1人だった昼食も、真智香と希有が一緒だ。

「愛合月さん絶対髪切った方がいいよ! 絶対可愛い!」
「ええっそ、そうかなあ」
「よし亜湖美、今度の休み髪切りに行こう!」
「ええっ、う、うん…」

そして日曜日には、長かった髪をばっさり切った。勿論前髪もだ。すると月曜日の朝、クラスメイト達がぞろぞろと亜湖美に近寄ってきた。

「わー! 愛合月さん髪切ったんだー! 可愛いー!」
「えっあ、ありがとう…」
「最初っからそうしてればよかったのにー」
「そ、そうかなあ」
「うんうん」

クラスメイト達にちやほやされて、亜湖美は照れていた。それを面白くなさそうに見ていたのは勿論、中心になって亜湖美をいじめていた女子だった。その翌日、亜湖美の上履きはボロボロにされていた。犯人は1人しかいない。

「アイツ…」

真智香は呟いた。亜湖美は真智香の袖を掴む。



 
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