小説6
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Feind 2
「私達は“世界の敵”。そう呼ばれる存在なの」
森の奥にある古い小屋に入り、鳳加は言った。ユーリは鳳加を睨んでいる。
「世界の、敵…?」
「そう。かつての大戦は明子も知っているでしょう? あのとき大量に、“世界の敵”とされる人々が虐殺された。彼らは一様に紫がかった血の色をしていたというわ。でも実際は違った。血液の検査をして、偶然光の具合によって少し紫がかって見えた人を選んでいただけ。彼らは何の力も持たない、普通の人間。リラと呼ばれ、迫害された」
鳳加は自分の腕を出す。そして。
「っ…!」
獣のような鋭い爪で引っ掻いた。ユーリは息を飲む。鳳加は平然として、ユーリに引っ掻いた場所を見せた。それを見て、更にユーリは息を飲んだ。
「……」
「いい? これが本物の“世界の敵”の血」
鳳加の血は、光の具合でもなく完全に、紫だった。
「貴女もそうよ。明子」
「っ…何言って…」
ユーリが最後まで言う前に、鳳加はユーリの腕を持ち上げ、袖を捲る。そして同じように、爪でユーリの腕を引っ掻いた。
「っ!」
「ほら」
言われてユーリは自分の腕を見る。そして目を見開いた。鳳加の言う通り、ユーリの腕から滲み出てきたのは紫色の液体だ。
「なんで…」
「言ったでしょう? 貴女は私の娘だもの」
「っ…でも昔はこんなんじゃ…!」
「昔っていつ?」
「いつって…子供の頃よ! 子供の頃はよく走り回って転んで怪我したりしていたわ! でも血はこんなんじゃなかった…! ちゃんと真っ赤な血だったわ!」
「最近は怪我をした?」
「してないわよ! 私はブルーム家の跡取り娘なの! 怪我をするような危ないことしないわ!」
「なら気付かなかったのも当然ね。私達も最初は普通の人間と同じように赤い血なの。それが段々紫に変わっていって、19歳で完全な紫になる。それと共に、成長が止まるの」
「っ……」
ユーリは何も言い返せなかった。少なくともここ10年は、自分の血など見る機会はなかった。最後に見たときには絶対に赤かったが、今自分の腕から流れている紫の液体は紛れもなく血だ。血であるはずなのだ。
「信じた? これで。貴女は人間ではない。世界の敵。私の娘」
ユーリはチラリと鳳加の腕を見る。鳳加の腕から流れる血は、ユーリと同じ色だ。親子であるかどうかはともかく、同じ生物であることは疑いようがなかった。
「……」
「さ、信じてくれたところで、これから明子の敵のところへ案内するわ」
「っちょっと待ってよ! まだ肝心なことを聞いてないわ!」
勝手に話を進めて扉へ向かう鳳加を、ユーリが止める。鳳加は振り返った。
「世界の敵、って一体何なの?」
「……」
「私の敵、って…一体何なの?」
「…明子は、人間って一体何なのかと訊かれたら、どう答えるの?」
「は…」
「それと同じことよ。理屈じゃなく、世界の敵、という存在なの。まあそれでも敢えて言うなら…人間の突然変異ってとこかしら?」
「突然変異…?」
「そう。明子は私という世界の敵から産まれた訳だけど、私はそうじゃないのよ。私の親は両方とも人間。私は人間から産まれたの」
「……」
「私もずっと、自分が人間だと思って生きていたわ。リラとして迫害を受けるまでは」
ユーリは目を見開いた。リラ。先程鳳加が言っていた、大戦で虐殺された人種だ。約40年前に終戦した大戦で。
「ホーカ…貴女何歳なの?」
「38よ?」
鳳加は言う。しかしそれでは計算が合わない。
「38歳の貴女が、いつリラとして迫害されたっていうのよ…!」
「17のときよ。大戦はその20年前に終わっていたけど、リラの迫害はまだ続いていたの」
「な…」
「戦争が終わってもリラが“世界の敵”という存在だってことは変わらないわ。私の両親は血液検査でリラだと判断された。リラとリラの子供は、検査をせずともリラだと決められるのだけど、そのときは何故か私も検査されたわ。そして自分の血を見てゾッとした」
「……」
ユーリは何も言えなかった。終戦後も迫害が続いていたということにも驚いたが、鳳加にも人間的な感性があるのだということに対しても、少なからず驚いていた。
「勿論検査した方も驚いてたわ。何処からどう見ても紫の血に。それでもまあ紫には違いないということで、私はリラだと判断された」
「じゃあホーカ…収容所にいたの? いつまで?」
「その1年後よ。両親が殺されたとき、私は“世界の敵”として覚醒した」
「両親が…」
ユーリは呟いた。同じだった。鳳加も両親を目の前で殺されている。最も、ユーリの両親(本当の親ではないが)を殺したのは他ならぬ鳳加なのだが。
「まだ18歳だったけど、目の前で両親を殺されて覚醒が早まったんだと思うわ。私は収容所を破壊して逃げ出した」
「破壊して…? それが“世界の敵”の力なの?」
「まあ平たく言えばそうね。人間と明らかに違う点と言ったらそんな感じだわ。人間にはそんなこと無理だもの」
「…じゃあ私の敵は? 一体誰なの? 何故私はその人を殺さなければならないの?」
「それはさっきも言ったはずよ。貴女が世界の女王になるために、殺さなければならないの」
「その、世界の女王っていうのは何なの? 私別に女王になんてなりたいとは思わないわ」
「いいえ? 貴女はその存在自体が既に女王なの。世界の女王――云わば全ての生物の女王ね。ただね、もう1人いるのよ。女王と呼ばれる存在が。それが貴女の敵――ミヨン・レオンと名乗っているわ」
「ミヨン、レオン…」
ユーリは呟く。自分の敵の名前を。しかし敵と言われても、全く実感は湧かなかった。
「彼女を倒してこそ、明子が真の女王となれる。私は彼女でなく貴女に女王になって欲しいの。だから貴女に、彼女を倒して欲しいのよ」
「倒さなければ駄目なの? 話し合いで解決したりはできないの?」
「それは無理よ。明子が覚醒してしまえば、貴女達は2人共生きていることはできない。どちらかが死ななければ、世界が終わってしまうわ」
ユーリは再び目を見開いた。
「世界が、終わる…?」
「そうよ? だって貴女達は、“世界の敵”だもの」
「……」
ユーリは言葉を失う。説明を受けても、やはり訳が分からない。自分が女王になるため、世界を終わらせないために、会ったこともない相手を殺せと? ユーリが立ち尽くしていると、鳳加はさっさと扉を開けて外へ出ていく。
「何してるの? 明子。早く来なさい」
そして扉から顔を覗かせ、ユーリに手招きした。ユーリは鳳加に近付いていく。
「…タイムリミットは?」
外に出たところで、ユーリは言った。
「タイムリミット?」
「私がミヨンを殺すタイムリミットがあるんでしょう?」
「…ああ。そうね、1年…ぐらいかしら?」
「1年…」
ユーリは呟く。
「遅くなったわね、志津馬」
そのとき、鳳加が唐突にそう言った。ユーリは鳳加を見、鳳加の視線の先に目を遣る。木の傍に男が立っていた。男は鳳加に近付いてくる。そして跪き、鳳加の手の甲にキスをした。ユーリは目を丸くする。
「お待ちしておりました、鳳加」
男はそう言って立ち上がる。そしてユーリを見た。
「初めまして、明子。私は志津馬と申します」
「え、ええ…初めまして。ユーリ・ブルームです」
「違うでしょう明子。貴女は村咲明子よ?」
横から鳳加が言う。ユーリはそれをキッと睨み、再び男――志津馬を見た。
「貴方は何者なんです?」
「志津馬は私のリッターよ」
またしても鳳加が横から口を挟む。ユーリは鳳加に視線を向けた。
「リッター?」
「そう、リッター。眷属みたいなものよ」
「眷属…」
ユーリは志津馬に視線を戻す。確かに志津馬は、鳳加に対して忠実なようだった。
「明子はまだ覚醒していないから、私のスピードについてこれないでしょう? だから志津馬が明子を抱えていくわ」
「はっ!?」
ユーリがそう言ったところで、志津馬がユーリを抱え上げる。俗に言うお姫様だっこだった。ユーリは慌てて志津馬の首に腕を回す。
「ちょっ、ちょっと…!」
「志津馬、落とすんじゃないわよ? 大事な私の娘なんだから」
「御意」
「……」
ユーリは志津馬にしがみついたまま、鳳加を見た。やはり先程ブルーム夫妻を殺したときとは別人のようだ。少なくとも、自分は鳳加にとって大事な存在であるということは分かった。
「行くわよ」
次の瞬間、鳳加は物凄いスピードで走り出す。そしてその次の瞬間には、志津馬も同じ速度で走り出した。
「…ねぇ、シズマ」
「何でしょうか」
「貴方はいつからホーカと一緒にいるんです?」
「貴女が産まれる、1年前から」
ユーリは一瞬黙る。そして、20代前半に見える志津馬をもう一度見た。
「…そのとき、貴方は何歳?」
「24歳でした」
その言葉で、ユーリは理解した。彼もまた、鳳加と同じように時の止まった存在なのだと。“世界の敵”の眷属だというのだから、確かに当然なのかもしれない。
「そう…シズマが、私の父親なんですか?」
「いいえ、私はあくまで鳳加のリッター。貴女の父は別にいます」
「じゃあ私がお父様とお母様…ブルーム夫妻に連れていかれたとき、ホーカは何をしていたんですか?」
ユーリが今1番訊きたいのはそれだった。これほどユーリのことを大事にしているのなら、連れていかれぬようにずっと見ていればよかったのだ。
「休息です」
「休息?」
「“世界の敵”には休息期間がある。通常、覚醒から1年で最初の休息期間に入ります。鳳加の場合は覚醒から2年…貴女が1歳のときに休息期間に入りました」
「その、休息期間って何なんです?」
「眠りの期間です。休息期間に入れば、3年は眠ったまま。途中で目覚めることはありません。その間に、貴女はブルーム夫妻に攫われました」
「…シズマは? 何処にいたんですか?」
「私は食糧調達に出ていました。鳳加の命を受け、貴女の御世話をしておりましたので」
「…そう」
ユーリは少し前を走る鳳加に目を遣った。
「貴女がいなくなったあと、」
すると志津馬が再び口を開いた。ユーリは志津馬を見る。
「私は一足先に貴女を捜しに出ましたが見つからず、鳳加が目覚める頃に戻ってきてそれを報告しました。それから鳳加は、必死で貴女を捜していたのです」
「……」
ユーリはもう一度鳳加を見た。必死で娘の行方を捜していた鳳加。この人も被害者なのだと、その後ろ姿を見ながら思った。
「…でも私にとって、あの2人は優しい両親だったわ。…両親だと、思っていた」
「王位はシネラリアに継がせることになった」
「なっ…何故です!? お父様! 私の何処がシネラリアに劣っているんです!?」
「すまない、カトリーナ。劣っている箇所などない。お前はシネラリアよりも秀でている。それは事実だ。だがやはりお前が養女である以上、王位を継がせる訳にはいかないということになった。それも事実だ」
「そんな…」
「ごめんなさい、お姉様」
「シネラリア…」
「私も王位はお姉様が継ぐ方が良いと思いますのよ? でも決まってしまったことは仕方がありませんわ。養女なんですものね。嗚呼、本当に残念だわ。お姉様」
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