小説6

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Feind 3



ここで昔話をひとつ。
その昔…と言っても40年程前。1人の少女が産まれた。ケラーメイヤー家の一人娘、ダリア。世界規模の大きな戦争が終結して3年後のことだった。決して裕福とは言えないが貧しくもない、そんな“普通”の家庭で育ったダリアは、“普通”の友達と“普通”に遊び、“普通”の学校に入学し、“普通”の先生の授業を“普通”に受け、やはり“普通”に友達と遊んだ。特別劣っている点もなければ秀でている点もなく、成績も“普通”、身体能力も“普通”、“普通”過ぎて異常なくらいに“普通”だった。ダリア自身も自分のことを“普通”の女の子だと思っていたし、周りの友達からも彼女は“普通”だと思われていた。その後も“普通”に生きていたダリアは、あるとき家にやってきた軍人によって、“とある人種”の収容所へ連れていかれた。しかしそれはダリアだけに限らず、ダリアの両親、近所の人間達も皆まとめて、先の大戦の名残で未だに行われている人種差別の、該当者を捜すための検査が目的だった。その日はダリアの家の周辺区域が検査対象で、だから彼女が連れていかれたのは“普通”のことだった。明日にはまた自宅に戻り、“普通”の生活が待っている。そうダリアは“普通”に思っていた。しかしダリアの目の前で、両親は“収容されるべき人種”だと判断されてしまった。光の加減で生じる僅かな血の色の差で。通常、両親共該当者だった場合は自動的にその子供も該当者とされると、ダリアはそう聞いたことがあった。だがそのとき検査を担当していた軍人は、何を思ったのかダリアの血液も確認するよう命じた。命令通りダリアの血液を採取した軍人は、そのあまりに衝撃的な色に驚きを隠せなかった。だがそのとき1番驚いたのは、他でもなくダリア自身だった。今まで“普通”過ぎるくらいに“普通”だと思っていた自分の、あまりに“普通”じゃない血の色。これは本当に血液なのか。何か間違えて他の液体でも採取したのではないか。そう思ったが、たとえそれが血液ではないにしても、人間の体内から採取されるにはあまりにおぞましい色をしていることだけは事実だった。ダリアは狂いそうな程の悲鳴を上げ、次の瞬間には気を失った。そして目覚めたときには、両親と共に牢の中にいた。
そこには、ダリアと同様に迫害を受けた人間達が詰め込まれていた。しかし、狭い牢の中に入れられるだけ入れられているにも関わらず、ダリアの周りには十分な空間があった。不思議に思い顔を上げたダリアは、その場にいる全員が彼女を奇異の目で見ていること、そして自分が極端に避けられていることに気付いてしまった。“人ではない”と判断された人間達に、“人ではない”ものを見る目で見られている。そのことに恐怖したダリアは、助けを求めるために両親に視線を向けた。

両親も、同様の視線でダリアを見ていた。

そのとき初めてダリアは、自分は“普通”じゃないと思った。“普通”じゃない視線と“普通”じゃない自分に怯え、ダリアは牢の隅に蹲って震え続けた。やがて牢の中の人間が1人また1人と入れ替わり、ダリアを奇異の目で見る者は段々と減っていった。しかしそのときには既に、ダリアの精神は崩壊していたのだろう。ダリアは変わらず、周りの人間が全員自分を“普通”じゃない目で見ていると感じていた。
そしてダリアが収容されて1年後。ダリアと両親は牢の外へ出された。それは当然解放するためではない。その日は他の牢からも各3人が外に出され、20人程の人間が1列に並ばされていた。列の先には大きなガラス窓のついた部屋がある。その部屋が一体何か、その場にいる全員が理解していた。半分がまず部屋の中に入れられる。それがちょうどダリアの前――彼女の両親までだった。部屋の扉が閉まり、徐々に中の人間達が苦しみだした。中には窓に張り付きこちらに助けを求める者もいた。一方の部屋の外の人間達は、次にああなるのは自分達だということに震え、悲鳴を上げ、逃げ出そうとする者、恐怖のあまり嘔吐する者もいた。そんな中ダリアはただ無表情で、藻掻き喘ぐ両親を見ていた。両親は苦しみながら窓の方へ近付き、ダリアの正面に立った。懸命に口を動かしているが、ダリアには何も聞こえない。その様子はダリアに助けを求めているように見えた。そんな両親を目の前で見ていたダリアは、突然、ニヤリと笑った。狂ったような笑顔を両親に向け、肩を震わせた。両親の声はやはり聞こえない。しかしその口の動きで“バケモノ”だと理解した。

「バケモノで結構」

ダリアは言う。そのときダリアは“覚醒”した。誰よりも“普通”だったダリアは、誰よりも“普通”じゃないモノへと変貌した。それから僅か5分で、収容所はただの瓦礫の山と化した。軍人、囚人、その場にいた人間は、皆ただの肉塊と化した。辺りには例の部屋で使われていたガスが充満していたが、ダリアは口元を覆う必要もなかった。街の外れに位置していた収容所に人々が集まりだすと、ダリアは彼らに襲いかかった。そのときの彼女は何も考えていなかった。ただ本能のままに、集まった人間達を次々に肉塊へと変えた。

「“世界の敵”」

ダリアに対しそう言ったのは、彼女の血を採取するよう命じた件の軍人だった。どうやら騒ぎに紛れて収容所から避難していたようで、ダリアが集まった人間達も残らず葬ったあと、木の陰から現れた。

「呼んだ?」

ダリアは軍人に向かって、やはり狂ったような笑みを浮かべて言った。

「分かっているのか。己がなんたるか」
「知りたくなかったわよ? 正直なところね」
「だが分かっているのなら話は早い」
「あら、何か話すことがあるの? 私にはアナタと話すことなんか何もないけど」
「俺は“世界の敵”の研究をしていた」
「へえ?」
「リラではない、本物の“世界の敵”だ」
「本物、の。リラが“世界の敵”ではないって分かっていながらこんなことをしている人間がいたのね。びっくりだわ」
「本物の“世界の敵”を見つけるためだ。一目見たときにお前だと思った」
「まあ、情熱的な告白ね」
「俺と一緒になろう。俺はお前以上に“世界の敵”について知っている。俺達2人でなら最強の存在になれる」
「素敵ね。私もそうしたいと思っていたの。だってアナタ、美味しそう」
「そうか。それはよかった」
「私、本当はずっと“普通”でいられたらよかったと思うわ」
「でもお前はずっと“普通”じゃなかった」
「ええ、私最初から“普通”じゃなかったの。びっくりしたわ。だからもういいのよ。誰よりも“異端”になることにするわ」
「安心しろ。お前は既に誰よりも“異端”だ」
「ありがとう。最高の誉め言葉よ」

そしてダリアは軍人を喰らった。血を吸い尽くし、肉を喰らい、骨まで残さず。つい最近までは人間だったなど自分でも信じられないくらいに、全く躊躇いはなかった。口の周りに血をたっぷりと付けたまま、ダリアはやはり笑った。

「ああ、私、“普通”じゃない」












「ミヨンの居場所はもう分かってるの」

強い風に当たり疲れたユーリのための休憩中、眠りから目覚めたユーリに鳳加は言った。

「私が明子を捜してる間に志津馬がミヨンの居場所を突き止めてくれたのよ」

ユーリは何も言っていないのに、鳳加は勝手に説明する。ユーリは志津馬に視線を向ける。

「近いんですか?」
「そう。もう4分の3くらいは来てるわよ」

やはり志津馬が口を開く前に、鳳加が答える。ユーリは眉間に皺を寄せて鳳加を見た。

「…ミヨンって、どういう人なの?」
「どういう人、って?」
「見た目は? 性格は? 私のことはどのくらい知ってるの?」
「明子のことは殆ど知ってるわ。あっちには優秀なリッターがいるの。元々情報屋なのよ、彼」
「ミヨンには、リッターがいるの?」
「そうよ? 全く準備が早いわ。あっちはもう戦う気満々よ」
「……」

そう言われてもユーリには、顔も知らぬ人間に敵意を向けることは出来なかった。

「明子も早くリッターを見つけないとね」

鳳加が呟く。

「リッターってどうやって見つけるの?」
「見つけること自体は簡単よ? 既にミヨンのリッターになっている人間でなければ誰だっていいんだから。でもリッターにするからにはなるべく優秀な人間を選んだ方がいいでしょう? そこが難しいのよ」

言って鳳加は立ち上がる。そして「さ、そろそろ行きましょ」と言うと、志津馬がユーリを抱え上げた。ユーリは再び志津馬の首に腕を回す。

「…シズマはどうしてホーカのリッターになったんですか?」

走り出してから、ユーリは志津馬に問いかけた。鳳加も話を聞いている場面では、志津馬とまともに会話できない。この数時間でユーリはそれを理解した。

「鳳加は私の恩人だからです」
「恩人? ホーカがシズマの?」
「はい」

俄に信じられなかった。鳳加が人を助けるようにはとても見えない。 気紛れでも起こしたのだろうか。それとも最初からリッターにすることが狙いだったか。

「…リッターにするには、私の血が必要なんでしょう?」
「よくお分かりで」
「分かるわ。私のリッターになってください分かりましたで成立するような関係には見えないし、こんな血…そうとしか思えない」

ユーリは腕に巻かれた布を見つめながら言う。

「どういう風に使うんです? やっぱり相手に飲ませる?」
「そうです。しかし、先にやっておかねばならないことがある」
「やっておかねばならないこと?」
「貴女が相手の血を飲み尽くすのです」

ユーリは目を見開いた。思わず手を離してしまいそうになり、慌てて体勢を立て直す。

「え、と、ごめんなさい。もう一度聞いても…」
「貴女が相手の血を飲み尽くすのです」

志津馬はもう一度言う。一字一句聞き間違いではなかった。

「そして貴女の血を一滴、その者の口元に垂らす。そうすれば相手はリッターとして目覚めます」
「……」

ユーリは完全に言葉を失っていた。相手の血を飲み尽くす。自分は一滴口元に垂らすだけ。この差は何なのだろう。勿論問題はそんなことではないのだが。私にはできない、ユーリはそう思った。




「もうすぐよ」

しばらく走っていると、前を行く鳳加が言った。それから少しして鳳加は急に止まる。

「ちょっと危な…!」
「しっ」

文句を言いかけたユーリの口を鳳加が塞ぐ。

「ここよ」

それを聞いたユーリは前方に目をやった。そこには大きな屋敷がある。大きな屋敷といっても、ブルーム家の屋敷よりは少し小さいくらいだった。しかしユーリは、その屋敷に目を丸くする。

「本当に、本当にここなの…?」

屋敷の方へ数歩歩き、信じられないというようにユーリは言う。

「そうよ。ここに貴女の敵、ミヨンがいる」
「そんなはずないわ。だってここ…」

ユーリは振り返り、鳳加と志津馬を見た。

「伯父の家よ」




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