小説4

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もしかしたら、電車で寝過ごしたのかもしれない。次の駅で降りて、もう一度こちらに向かう電車に乗ってくるかもしれない。私は次の上り電車がくるのを待った。しかしやはり上り電車にも、侑は乗っていなかった。もしかしたら寝坊して、1本遅い電車でくるのかもしれない。私は次の下り電車を待った。しかしやはり、侑は降りてこなかった。次の上り電車からも降りて来ないようなら、その電車に乗ろう。パパ達と勉強会する、と言って出てきたのだ。既に家を出てから1時間は経っているが、1時間では早過ぎる。電車に乗って宮崎駅まで行って、少し買い物でもして帰ろう。そして私は、次の電車に乗ったのだった。


名緑の恋 22


侑からの連絡は全くない。
行けなくなったとも、寝坊したとも、寝過ごした、とも。“もしかしたら”という僅かな望みに賭け、私は宮崎駅構内を歩いた。数少ない店をゆっくりと回り、どうしようかと思っていた頃。

“本当にごめん
今起きた”

侑からのメールを確認した。時間は12時半。大寝坊だった。私は“どうする?”と返し、携帯を閉じた。その場で少し待ったが、返事は来ない。ミスドで昼ご飯食べて帰ろう。私は歩き出した。
それから、侑からのメールは全く来なかった。翌日は侑の誕生日だったのだが、“誕生日おめでとう。勉強会のことは気にしなくていいよ”というメールを送っても、返事は来なかった。

「…お願い…返事して…」

嫌いなら嫌いと言ってくれていい。返事がないよりは全然マシだ。しかし、そんな願いとは裏腹に、全く連絡はない。2週間後、私はこれで来なかったらもう諦める、と最後の望みを賭けてメールした。勉強会のことには触れない、いつものメールだった。
メールは返ってきた。その日は1通だけだったが、少しずつまた前のようにメールを返してくれるようになった。





9月になり、文化祭が近付いてきた。演劇同好会では、『学祭前夜』という劇をすることになっており、私は幸江というブリッコの役だった。

「緑ー」

体育館での練習のあと、美画ちゃんに声をかけられた。美画ちゃんは最近演劇同好会に入ったところだった。

「何?」
「あたし華田と一緒に上で見てたんだけどさー、華田、緑のこと超見てたんだよ」
「…え?」
「でニヤニヤしながら『アイツキャラ全然違うな』とか言っててさー」
「えっキモー!!!」

私はあまりのキモさに鳥肌が立った。

「しかもあたしが『緑のこと好きなの?』って聞いたら急に真顔になって『全然』とか言ってさ、逆に怪しくない?」
「えっキモい! え、真顔とか…怪しすぎる…」

私が華田が近いと思い始めたのは、それからだった。
文化祭が終わって1週間後。私は図書委員会で、その週は当番だった。昼休みと放課後、図書室の貸出返却手続き等を行うのである。月曜日、ヤツ(華田)は図書委員でもないのに図書室にやってきた。いや、図書室に来るのは別に構わないのだが、カウンター越しに、同じく当番である1年生の男子達に話しかけるのである。カウンターに居座られるとはっきり言って邪魔だ。

「アンタ、どいてくれない? そこにいられると邪魔なんだけど」
「はいはい」

ヤツは移動するが、結局は当番の男子と喋り出す。ウザい。
5時になり、図書室が閉館する。私はそのまま部活に向かう。ヤツも一緒に来た。最近部活をサボり気味だったヤツを部活に連れて行くことに成功したが、何故私がヤツと一緒に部活に行かなければならないのだ。
火曜日、ヤツは放課後また図書室にやってきた。そしてまた男子達と喋り出す。やはりウザい。5時になり、図書室は閉館した。火曜日は部活はないので、私は帰る。私の仲の良いメンバーはほとんどが文芸部に所属しており、火曜日は文芸部の活動日だった。私は1人で靴箱へ向かう。靴を履き替え、玄関へと歩く。

「おーい」

聞き覚えのある声がし、振り返った。見上げると、2階からヤツが見下ろしている。

「…何」
「いや? 気を付けて帰れよ」

ゾワッとした。何を突然気持ち悪いことを。

「…うん」

一応返し、私は外へ出た。
水曜日、ヤツは今日も図書室へやってきた。また男子達と話し出す。私とパパも時々混ざった。そして5時に図書室が閉館し、ヤツは去っていった。
木曜日、ヤツはしつこくも図書室へやってきた。勿論カウンターにもたれて話し出す。邪魔だって言ってんだろうが。そしていつも通り5時に閉館し、私は帰ることにする。靴箱で念の為振り返るが、どうやらヤツはいないようだった。駅に着くと、私は椅子に座り、本を読み始める。電車の時間まではまだある。すると、ヤツが駅に来た。そして私の前に座り、振り返って話しかけてくる。面倒臭いが、それに応じる。そのまま電車が来るまでの間、喋り続ける羽目になってしまった。
金曜日、もう言うまでもないだろう。そういうことだ。ヤツはまた駅で話しかけてきた。
それからヤツの行動は日に日にエスカレートしていった。駅で電車を待っていれば、隣に座って話しかけてきた。誰かが私の隣に座っていると、前に座って話しかけてきて、そして隣の人が去るとさっと隣にやってきた。ついには後ろからついてくるようになり、追い抜かすときに私に話しかけてきた。
そんな状態が続いたある日。ヤツは図書委員長の士藤聖を連れてやってきた。士藤先輩が乗っている自転車の後ろを掴んで、引っ張りながら。

「この人がジュース奢ってくれるって」
「はあ!? そんなこと言ってねぇし!」
「マジすか先輩! ありがとうございます!」
「だから言ってないって!」

抵抗する先輩を私とヤツは引き止め、やがて先輩は折れた。

「しょうがねぇなー…」
「やったっ」

駅の隣にあるスーパーでジュースを選ぶ。

「ごちそうさまです!」

選んだジュースを先輩に渡す。

「はいはい」

先輩はジュースを受け取ると、ヤツを見た。

「お前は何にすんの?」
「いや、俺はいいっす」
「あー…そう」

私は眉をひそめた。ヤツが言い出したことなのに、何を急に。意味が分からない。結局私だけが先輩にジュースを奢ってもらい、駅に向かった。駅に着くと、私は1番後ろの椅子に座る。ヤツはその前の列に座り、先輩は更にその前の列に座り、そして3人で話し始めた。
それから数日後。同じく図書委員で仲の良い川杉伊玖を通じて、士藤先輩のメールアドレスを教えてもらった。すると先輩からある画像が添付されてきた。あの日先輩が撮った写真である。
そこには、ジュースを片手にカバンを漁る私と、その私をジッと見つめるヤツが写っていた。

「うわっ…超見てる…」

自分で言うと自意識過剰みたいで言わないように、というか思わないようにもしていたのだが、この頃既に、コイツ私のことが好きなんじゃないか、とうっすら思い始めていた。

それからヤツは、追い抜かさず、歩幅を合わせてくるようになった。そして話しかけてくるのである。別に嫌いという訳でもなかったし、無視するのも悪いと思ってしまい、私は言葉を返した。一緒に帰っているような形になってしまったのである。毎日ヤツは後ろからついてきて、横にくると歩幅を合わせて話しかけてきた。私も歩くスピードはそんなに遅くないと自負しているが、足の長さで圧倒的に不利だった。





そんな状態が続き、9月の最後の日曜日。私はもう一度賭けに出ることにした。

“侑! 私3日から高文祭で公欠なんだけど、その間の数学のノート見せてくれない?”

侑にメールを送る。“侑”と呼んだのはこのときが初めてだった。少し前に“侑って呼んでいい?”と聞き、“いいよー”と言われたのだ。そしてこれが、ドタキャンされた勉強会のリベンジだった。

“いいよー
でも字汚いよ;”

それが侑の答えだった。何も問題はない。侑の字が汚い訳がなかった。1年生のとき、いつも課題のプリントを集める際に彼の字を見ていたのだ。小さくて丁寧な字だった。

“全然大丈夫だよー”




そして10月になった。今年の高校総合文化祭は1日から6日、演劇部門は3日から6日だった。早工は去年私達が演劇同好会を作り、去年は高文祭には出場しなかったため、今年が初出場だった。ちなみに私達の公演は6日、最終日だ。
高文祭1日目、私達は舞台袖で他校の公演を観ていた。仕込み(舞台設営)とバラシ(解体)を手伝う為である。しかし袖にいるとあまり舞台上は見えない為、私達は時々話したりしていた。

「緑なら絶対お姫様だっこできる!」

岩さんが私を持ち上げた。

「え、じゃああたしもやるー」
「うちもやるー」
「軽っ」

そうやってどんどん回され、全員にお姫様だっこされたところで、私は漸く下ろされた。持ち上げられているときチラッとヤツの方を見ると、まるで“俺もしたい”とでもいうようにこちらを見ていた。
1日目の公演終了後。2日目の公演校のバミリ(位置止め)の手伝いもあり、帰る頃には外は暗くなっていた。

「ねぇー緑ちゃんー一緒に帰ろー? コイツと2人きりなんてヤだよー」

低田優香は家が会場から遠い為、電車で帰らなければならなかった。もう1人、電車で帰るのはヤツだった。他の部員は皆会場が近かったので、自転車や徒歩で来ていた。そして私は、朝は車で送ってもらい、帰りは電車で帰ってきてもいいし、会場まで迎えに行ってもいいよ、と言われていた。

「コイツと2人で帰るとかもう彼氏にバレたら…」

そして噂によると、優香ちゃんの彼氏はヤキモチ妬きだった。

「うーん…まあ浮気とか思われたら困るよね…」
「でしょ!? お願い!」

帰り道。私と優香ちゃんの後ろを、ヤツがついて来るように歩いていた。ヤツの前で、優香ちゃんのノロケ話を聞く。そして侑の話や、硝くんの話もした。

「ねぇー華田ー華田は好きな人いんの?」

突然、優香ちゃんが振り返って聞いた。何を言い出すんだと思ったが、ここで同調しないのも不自然だ。私も「えーいんの?」と乗る。しかしヤツは黙ったまま何も言わない。

「黙ってるってことはいるんだーえ、同じ学校?」

優香ちゃんは勝手に話を進める。ヤツは何も言わない。

「同じ学校かー同じ学年?」

やはりヤツは何も言わない。

「同じクラス?」
「…違ェよ」
「あー! てことはやっぱりいるんだー!」

いきなり1つだけを否定したら、その前までの全てを肯定することになるに決まっている。態となのか馬鹿なのか。ヤツはそう言い、私達は2人で盛り上がっていた。私は優香ちゃんと盛り上がりながら、“私か!? 私なのか!?”と思っているところだった。



高文祭2日目。ヤツは朝から沈んでいる様子だった。私が袖で公演を見ていると、優香ちゃんがやってきた。

「緑ちゃん、昨日さ」
「うん」
「緑ちゃんが帰ってから電車待ってるとき華田にさ、『ホントはどうなの?』って聞いたの」
「…うん」
「そしたらアイツさ、『叶わない恋だから』って。キモくない?」
「えーキモーい!」

因みに優香ちゃんは、ヤツが私のことを好きかもしれないということは知っていた。私は鳥肌が立つ。ヤツは何度私に鳥肌を立たせれば気が済むのだろう。しかし、少し良心の傷む言葉だった。叶わない恋をしているのは私も同じだ。だから、強く拒絶するのは悪い気がしてしまった。
沈んでいたヤツも次第に回復し、昼過ぎには袖で観ている私の横に座ってきた。
しかも一度座ったあと少しこちらに寄る。

「1人で観てて寂しくないの?」
「別に」
「…あ、そう」

ヤツの方も見ずに返すと、ヤツも舞台の方に視線を移した。移したが、それからもチラチラこちらを見ているのが分かった。



高文祭3日目。一緒に帰るメンバーが増えた。昨日まで放送部門に行っていた白川里恵が合流した為である。里恵ちゃんも電車だった。そして帰り道、優香ちゃんと里恵ちゃんは2人で喋り始めてしまった。私とヤツは並んでその後ろを歩く。しばらくの間黙っていたが、やがて沈黙に堪えかねて喋り始めた。ヤツが。

「そういえばさ、この間元彼と元カノの話したじゃん?」

駅が近くなってきた頃、突然ヤツが言った。確かに9月にヤツがついてきて一緒に帰っているとき、そういう話をしたことがあった。

「うん」
「今はどうなの?」
「何が?」
「いるの?」
「何が?」
「何がって…」
「何が?」
「彼氏だよ」

当然何を訊かれているかなんて分かっていた。私だってそんなに馬鹿ではない。はっきりと訊かれるまでしらばっくれていただけだ。

「いないよ」

ここで嘘を吐いたっていずれバレるに決まっている。というか余計面倒臭いことになるだろう。私は正直にそう言った。別に好きな人がいるかとは訊かれていない。侑の話をする必要はないはずだ。

「いないの?」

ヤツは確認するようにもう一度訊いてきた。だから私ももう一度繰り返す。

「いないよ」
「なんだ。…やった」

今なんつったああああああ!!!? と頭では思いながら、「何?」と聞こえなかった振りをする。

「別に? なんだー気になって夜も眠れなかったし」
「そんなに!?」
「いやそれは冗談だけど」

自意識過剰でも何でもなく、コイツ絶対私のこと好きだ。そしてコイツ絶対気付かせようとしてる。このとき私は確信した。
もう駅は目の前だった。


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