痛み

□始まりは君、終わりを告げたのは僕
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純和風の部屋には二人で飲むには充分過ぎる酒と一組のやわらかな布団が敷かれていた。他にも花やらカケジクやら高そうな骨董やらがおいてあるが、今はこの話に関係ある二つに絞っておこう。
布団は乱れ、情事があったことを示す"証"がいくつか存在した。けれど、部屋には女の姿はなく変わりに男が二人いた。
一人は女物の着物を羽織り、窓際に腰掛け月を肴に酒を煽っている。
もう一人は着流しを引っ掛け、虚ろとも取れる瞳で天井を見上げて布団に横たわっている。


「土方」


男二人の時点でラブホならば追い返されているだろう。しかし此処はプライベートに一切干渉しない旅館。
それが、鬼兵隊総督"高杉晋助"と真選組副長"土方十四郎"と言う、有ってはならない組み合わせだったとしてもだ。


「なん…だ…高杉…」


この旅館は二人で会うときによく使うところだ。客の素性や秘密を一切他言せず、他の客と顔を合わせることもないことから幕府と攘夷派に関係なく人気があり、高い信用性がある。
だからなのか、そこに真選組副長としての土方の姿はなく、まるで遊女のように甘えた声を響かせた。


「腰、大丈夫か?」


高杉の分かりきった、問に土方は"うるさい"と顔を赤くしながら小さく啼いた。
赤くなった顔を気づかせまいと、土方は枕のそばに置いてあった酒瓶を傾け、杯に注いだ。


「痛ぇ…」


杯を持ち、身体を浮かせたとたん、腰に鈍痛が走りまた布団にへたり込んだ。
しかたなく、土方はその体制まま、散乱する衣服に手を伸ばし、見られる程度に整えた。それでも露出度は高く、目に毒とも言える姿にかわりはない。


「…おい…土方…」

「ん…?」


"こっちで飲めよ"と窓際にいる、同じく着物を羽織っただけの高杉に誘われたが、"誰のせいだ"と文句を言ってやった。
クツクツと笑い声を上げ、高杉はまた満月を見上げる。


「月見でもしようぜ? 血みたいに赤い綺麗な月だ…」

「赤…?」


土方は体を引きずりながら、布団が敷かれている部屋の窓を開け、空を見上げた。
空を照らす月は高杉の言う通り、真っ赤な禍々しい色をしていた。本当に血のようなと言う表現方法しか見つからない。
見慣れた色に恐怖を感じて、反射的に目をそらしてしまう。震える体を落ち着かせようと、キツい酒を一気に飲み干した。


「はっ…」


俺の側にあって、最も嫌う色。
今まで人を斬ることに躊躇はなかった。それが俺の強さでもあったから。
こんなにも、血の色が怖くなったのは高杉と居るようになってからだった。
より近く、より深く関係を結ぶようになって、人を斬ることを躊躇するようになった。
いつかこの手で高杉を殺す日が来る、高杉に殺される日が来る。そんな、未来に恐怖している自分がいるのだ。


「高杉、みたいだ…」

「あ?」


土方はちらりとと高杉の方を見て、か細い声で言葉を紡いだ。その言葉に疑問を持ちつつも、高杉は静かに耳を傾ける。


「血みたいな赤を纏ってる所とか、魅入っちまう所とか…」


いつも高杉は赤を纏う、派手な遊女の着るような赤だ。
土方はそれが怖いと思った。花のようで血みたいに、儚く、いや、呆気なく、散って消えてしまいそうで、この手から忽然と離れてしまいそうで、ひどく怖い。
この関係を守りたい、殺したくない、何も壊したくはない。あの契約など破り捨てて…


「俺も魅入られた人間のひとりだ。きっと、契約する前から…魅入って、堕ちていた」


敵として出会ってしまったら、刀を抜くこと。刀を抜いたら手加減をせず、情を掛けず、どちらかが死ぬまで戦うことをやめてはいけない。
完膚なきまでに跡形もなく切り刻み殺戮する。どちらかの死をもって関係を抹消するのだ。
それが、この関係を始めた時に交わした契約。


「魅せられて、手を伸ばしても朧で触れられない…」

「………」


触れたことなんて、一度もなかった。
表面的な感情、言葉、ぬくもり。高杉は一度だって心を見せたことなんてなかった。
土方は今にも泣き出しそうな、弱々しい姿で切なげに月を見上げる。
愛しさを噛み締めて、強く目を閉じた。思い出すのは高杉の姿ばかり、愛おしくて、苦しくて、もう、ダメなんだって感じた。


「高杉、もう、終わりにしよう…」


離れなければいけない。この関係を良い思い出にする為に、互いをダメにしてしまう前に。
それが、土方の矛盾した意志が出した答え。


「土方?」

「これ、以上深入りしたら元に戻れなくなる。」


浮気、密通、間諜、二人の関係はそういう類のものによく似ている。いや、ほぼ同じだ。だからこそ、誰にも知られてはいけない。
最初から何もなかったように、元々あった通りに、正常な状態に戻さなければいけない。誰も気付かないくらいに正確で、疑いようのないくらい完璧に。
そうすれば、その事実は当事者だけの記憶になる。誰も知らない、誰も傷つかない。


「この関係はそう長く続けられるものじゃないだろ? 完全に関係を断ち切るか、仲間を裏切るか、いつか決めなきゃいけない」

土方は何も断ち切ることなく、裏切ることのない、誰も傷つけない恋愛を望んでいた。
結果は正反対。裏切り、欺き、傷つけ、傷ついて、何も生まず、残らない。


「もし、俺が仲間を裏切って高杉の所に行っても、きっと、罪悪感で死にたくなる」


土方のことだ仲間を裏切っても罪の意識に苛まれ、壊れるか、自殺するかのどちらかだ。
関係を続けることも、高杉の側に行くことも裏切りになるのなら、いっそのこと断ち切って記憶にしてしまおう。


「たぶん、ここが限界なんだと思う」


土方は笑顔で言い切った。それは、見たことのないくらい、純粋な物で、ひどく痛々しかった。
土方は身支度を整え、戸の前に立った。ここを出ればもう終わりだと言うのに、不思議と涙は出なかった。


「いい夢を見せてくれてありがとう。 俺はお前を愛していた、きっと出会ったときから」


土方は清々しいほど簡単に終わりを告げた。
高杉の返答を待つことなく、拒絶したように戸を閉めた。


end?


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