儚い

□涙を流す理由をください
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 戦で失う命は平等だ。たとえそれが軍を率いる大将でも地べたを駆けずり回る足軽でも失ってしまえば同じもの。他人の考えはよく分からないが、少なくとも俺はそう思っていた。
 いや、忍とはそういうものなのだ。そういう風に割り切らなければ早死にする職業で、そうやって考えていたからこそ俺はここまで生きてこれた。
 酒を酌み交わしていた友が辻斬りに合い志半ばで死んだときも、可愛がっていた部下が目の前で無数の銃弾を浴び無残に死んだときも、俺は涙ひとつ流さなかった。非情だと誰もが俺を罵った。
 けれど、あの方は違った。
 友が死んだとき俺の体をを抱きしめて「佐助が泣けぬというならば某が代わりに泣いてやる」と一晩中泣き続けたのだ。
 朝になりあの方は泣き腫らした瞳ですやすやと眠っていた。その顔を見て俺の心は安らいだ。
 俺の心を静かにけれど確かに占拠していた靄が清々しい朝のように晴れたのだ。それが、俺が頑なに表に出そうとしなかった悲しみだとその時ようやく気がついた。
 その日からあの方は俺の近しいものが亡くなると、何もいわずに部屋を訪れて、俺の代わりに泣いてくれた。代わりに泣いてくれることで俺の体と心は救われた。
 俺はあの方が死んだときどうするのだろう。代わりに泣いてもらわなければ己の感情にすら気がつけないような俺が、生涯ただ一人と決めた主を思い泣くことができるだろうか。そんなことばかり考えていた。

 まだ先の未来のことだと高をくくって、そんなことを考えていたのはほんの三日前。
 あの方が、わが主、真田幸村が戦場で死ぬ三日前のこと。


「滾るぅああああ!!」
「旦那!! ちょっと、前出すぎだって!!」


 彼は勇猛果敢で自分の身を省みないくらい猪突猛進な人だった。そんなんじゃ、長生きできないと戦が終わったあと俺はいつも愚痴っていた。彼は困ったような顔ですまないと呟いて、次の戦でまた同じことを繰り返す。そんな日々が楽しくて、愛しかった。そして、今日も同じことを繰り返すはずだったんだ。
 いつものように俺の先を走る彼の勇ましい姿を視線が追いかける。目を離さないように、その背中を守れるように。
 瞬きをした瞳が彼を捉えた瞬間、その視界に弾けたのは細い赤。突然、俺の視界から彼が消えた。次に鳴り響いたのは無数の甲高い音。音が、音が、反芻して離れない。耳障りな音が消えない。ずっと、ずっと、耳を支配して――。



 視界に鮮明な赤を残して、俺の意識は黒いもやに包まれていった。右手が人を殺める感覚だけを確かに感じながら。

 


「あ、れ……旦那? なんで、こんな所で寝てるの?」



 気がつけば戦は終わっていた。周りは屍累々で生の匂いが欠片もしないとても悲惨な状況だった。
 そんな敵陣の真ん中に彼が眠っていた。俺はそれを見下ろすように立っていて、無防備に眠る彼に恐る恐る触れた。彼の青白い肌はひやりとしていてまるで金属にでも触れているようだった。通った鼻筋、紫色をした唇、緩やかに伸びる睫毛。美しくて、愛しくて。ずっと、恋焦がれてきた彼がこんなにも近くで触れられることが嬉しかった。


「ねぇ、旦那……」


 でも、どうして彼の体はこんなにも冷たいのだろう。彼は眠っているだけなのに。
 頬を撫で、体を揺さぶりそれでも彼は目覚めない。まるで、美しいだけの人形のような、無機質な冷たさがそこに横たわっている。

 これじゃあ、まるで、死体のようじゃないか。


「ゆきむら、さま……?」


 さぁっと血の気が引いた。不謹慎な感情を持ち彼に触れていた手がカタカタと震え、やっとのことで搾り出した声は蚊の鳴くような微かな音でしかなかった。
 小さな音となったのは彼の真名。この不埒な思いを強くさせないために、戒めの意味を込めて一度たりとも呼ばなかった彼の真名を初めて口にした。
 こんな時でも戒めを破ったことで、彼を思う心は強く高鳴った。俺は確かに彼の名を呼んだ。この思いが届くのではないかという幾許かの希望をこめて。


「ねぇ、起きて、よ……」


 しかし、彼はその希望を無残に散らした。
それは無言の肯定であり、すべてへの否定。恐る恐る彼の心臓へと耳を傾けて、否定されたすべてを理解した。
 彼の心臓はすでに止まっていた。
 どんなときでも俺は忍だった。声を上げて泣き叫びたかったのに、叫びは声にすらならず俺の中で消えた。幼い頃から忍として心を殺す術を学んだ俺は感情を表に出す手段を知らなかった。
 

「ねぇ、こんなところで……死んで、どうするの?」


 彼の体は悲しい赤に包まれて、戦場という墓標の無い荒地に横たわる。いまだにその姿を追い求め愛し続ける愚かな部下の足元に。

 力なくダラリと垂れ下がる彼の体をどんなに強く抱きしめても、抱きしめても、彼が目覚めることは無かった。朽ちていくだけの死体、魂を失った器、かつて愛していた人の成れの果てであり、それは決して彼ではないのだから。


「俺を独りにしないで……幸村様」


 少し、寂しげで、危うい。
 この恋は最初からそんな気がしていた。
 俺はまだ、ひとりでは泣けない。泣き方も感情の表し方も彼のように自然にはできない。分からないんだ。
 そう、俺は彼がいなければ泣くことすらままならない。なぜなら、俺は彼を愛すことで精一杯で、彼を失う準備など一切していなかったのだから。

 俺の頭はまだ彼の死を理解していない。
 だから、まだ、泣くことができない。


  

end

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