(蝉は、なんでないてるんですか?)
犬にか千種にか。
いつか小さくぽつんと問われて返事を返すことができなかったのは、




知らなかったからか、
否それを、
知っていたからなのか。



未だにわからない、でも貴方の香りに包まれて安らぐ今にそんな言葉はいらないと思ったし、そんな考えいらないと思ったから捨てておくことにした。
九月、初旬。
やっと幻覚伝いに好きだと告げられて、通じ合えた貴方と今を過ごす綺麗な床天井壁一面ガラス張りのテラスが太陽光に反射して、神秘に揺らめく少し小さな―それでも学校の教室ぐらいはある―部屋に似合い過ぎている噴水の水を虹色に輝かせていた。
夏ももうこの世界に飽き始めたと思ったが、そんなことは無く、暑苦しい空気に纏わりつかれ皆が皆やっと夏バテになりはじめていると僕自身は感じていて。
だけど貴方は違ったようで、その話をするときょとんとした後にっこり微笑んで噴水の側で床に寝転んで貴方の膝に頭を乗せる僕に肩を竦めて澄んだ小さな声で囁く。

「でもね、蝉がないてるよ」
「……?それは夏の印では?」

この部屋にそぐわない話だった。
貴方には似合わない話だった。
でも僕がそう思っているだけで貴方はまだ若学生で、自分の家で五月蠅く過ごしているのが似合うと言うのだから堪らない。
謙虚な貴方も、大好きです。
それでも貴方は未だにこの空間を自分に似合わないからと嫌がっている。

「それは、違うよ」

綺麗な白い細い指で僕の額を撫で髪をかき上げるようにして、にこりと僕の上でただただ微笑んだままの貴方。
でも優しげなその瞳にはどこか朧気に寂しそうな表情が伺えて、何故かこちらが悲しくなって、苦しくなってしまう。
僕はその手を取って両手で包み込めば、説明を欲するように首を傾げた。



「蝉は泣いているの、骸」

間を置いてから、静かに呟くように。
ぽつりと呟かれたそれはまるで、
あの時の質問を思い出させた。

(蝉は、なんでないているんですか?)
あの時の質問時彼は、世界に泣いていたのか鳴いていたのか。蝉は、何に泣いていたのか鳴いていたのか。

「でもみんみんぜみはわからない」
「なんでです?」
「一生懸命だから。もしかしたら生きることに必死で鳴いているだけかもね」
「では他の蝉は?」




また止まる。
考えているのだろうか。
申し訳無いと重いながらも質問ばかりが飛んでしまうのは、自分がなんなのかわからないことを彼が言っているからなのか、自分が自分のなかでわかっているくせに確かめようとしているのかさえ、
僕にはわからない。



「つくつくぼーしはね」

きん、と耳鳴りがした。
綺麗な彼の瞳が揺れて潤んだ。
それは、つくつくぼーしの名の元に。



「泣いているの」



息を飲んでから、優しく吐息を吐いて流れそうな涙を庇うように桜貝のように薄く可愛い唇を歯で噛んでから。
何かに怯えるかのように。何かをこわがるかのように。
なにかからにげているかのように。

「そうなんですか」
「悲しいの。夏が終わってしまうって夏を終わらせてしまうのは自分だって、自分が死んだら夏は終わり。みんなみんなしんでいっていく」

優しい声音なのに、
どこか震えて。

「、だからですか」
「そう、だから泣くの嫌だって」
「死にたくないんですか」
「夏を終わらせたくない死にたくないまだ自分は、自分は大切な人と、一緒にいたいのにお願いだから夏よってだからお願い殺さないで俺は死にたくないって…!」

停まりはしなかった。
連なることを決められたかのように、
なにかを吐き出すかのように貴方は言葉を次いで次いで次いで並べていく。
それでも僕は、それを止めた。

「だから貴方は、泣くんですか」



完全に時は停止した。
ぴたりと止まった世界に、たったにひきの生き物が見つめ合って佇んでいた。

「僕は思います」

それで世界が変わるわけでは無いし、貴方の心を安らがせることも、安心させることも、少しでも夢を見せることも、僕にはきっとできない。
これから言うのは誰かを、例えば僕みたいな世界の残り滓を貴方のように救うわけでも無いただの独白で、つまらないかもしれないし独白と言いながらも少しで終わってしまう脳の無い芸かもしれない。
それでも、

「みんみんぜみは泣いているんです」

残り香が残るように。
貴方の甘い香りのような世界が、
少しでも鮮明に残るように。







(生きる、世界の違う貴方と一緒に、ここで死にたいと)





I do not want to die.
If it is not with you

I do not want to die.


end

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