旅の記憶

□never cross 夏
1ページ/9ページ




八戒がうちに来たのは、昼も長くなり蝉も鳴き始めた頃だった。



ピンポーン。

「…ンだよ、客かな。ちょっと待っててお嬢ちゃん」

「あ、あたしそろそろ帰るからいいわよぉ?」
マニキュアを塗っている、昨日知り合ったばかりの名も知らない女にキス。

俺の来る者拒まず去る者追わずな性格は、治りそうにないらしい。

「はいはいどちら様…あれ」
ドアを開けると、暫く会っていなかった懐かしい顔があった。
と、その人がふと足元のハイヒールに目を落とす。

「…僕の事は遊びだったんですね?」
「勘弁して下さいよ八戒サンι」

一度言ってみたかったんです、と言って笑った八戒の顔を見て、ぎょっとした。

「ちょ、ちょい待ってて」
「いいんです。お客さんがいらっしゃるなら僕帰りますから」

んな事できるかっつの。
俺は早々に彼女を帰らせ、八戒を部屋に上げた。

「すみません悟浄、突然押し掛けてしまって」
「いや?…どぉしたの、珍しいじゃん。そんな顔」

そんな顔。

感情的にならない八戒が、目を真っ赤に腫らして。
まるで一晩中泣き続けたみたいな。

新しいハイライトを開ける。
冗談で一本勧めると、八戒はそっとそれを口に咥えた。

「何、マジに吸うの?」
意外な反応に少し驚いた。
「いけませんか?」
「いけなくはないけど…ほら。火」
ライターで火を点けてやる。
「ん…っけほ」
「バカ、思い切り吸うなι…やめやめ。慣れない事しない」
八戒の唇から煙草を取り上げ、そのまま咥える。
細く紫煙を燻らせ、視線を上げると目の前に透明の粒が落ちてきた。
慌てて親指で顔を拭ってやる。
「ワリ…何事も経験だよな?」
「こないだ…三蔵がうちに来たんです」

翡翠の瞳を薄く開き、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ