旅の記憶

□never cross 春
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――もし自分の命があと一年だと知ったら、貴方はその一年を誰とどう過ごしますか?





どんどんどんっ

ドアを叩く。
主は当然寝ているらしく、チャイムでは出なかった。

いや、留守なのだろうか…?


屋根に積もった桜の花びらが散る。

月に浮き彫りにされた心細さに拍車が掛かる。

たまらず手に力が込もった。

どんどんどんっ

頼む。
居てくれ。

「八戒…ッ」


「はいはい…あれ、三蔵。どぅしたんですか?こんな夜中に」
かちゃりと鍵が開く音がして、中から八戒が目を擦りながら顔を出した。

「寝てる所…すまない」
「いいえ」
笑いながら珈琲をいれてくれる。

八戒は、パジャマに柔らかい上着を羽織っただけ。

テーブルに座ってその細い後ろ姿を見つめると、不思議と心が静まった。

「丁度明日は学校が休みですから」
「そぅか…勉強を教えてるんだったな」

甘い匂いがする。
目の前に置かれたカップから。

「恵まれない子供たちが通う、小さい学校なんですけどね」

一口飲むと、口にふわっと甘さが広がった。

「八戒、これ…」
「ココアです。疲れてる時は、甘いものかなと」
言いながら、カタンと小さな音を立てて前に座った。

その翡翠に見つめられ、思わず目を逸らした。

「寺院を抜け出すなんて…何があったんです」



俺は病気らしい。

突然血を吐いて、その時検査で分かったものだ。

白血球値の超過。
新種ウィルス。
もちろん治療法はまだない。

延命処置を施した上で余命は自覚症状が現れてから約一年。

…タチの悪い冗談だ。


「俺はあと一年で死ぬらしい」

暖かいココアが喉を流れる。

反応が返って来ないので視線をカップから上げてみた。

…笑ってる?
「どこで覚えたんですか?そんな冗談」

冗談。

「真剣な顔で言うから一瞬どきっとしましたよ」

冗談…か。
そうだな。
今はまだ、黙っておいた方がいいのかも知れない。
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