龍NOVEL

□名前のない男
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「また人を殺しに行くのか?」
 所々に配置された燭台から灯る僅かな光が一つ消え、薄暗さが一層闇に近づく。
 古く年季の入った整然と並ぶ木の長椅子に腰を下ろしている男は、モノクロームとセピアだけの色彩の中で異彩の赤いコートに身を包んでいた。
 背後から声を掛けた男は彼とは対照的に真っ黒なガウンを羽織っている。

「あ、牧師様。お邪魔させてもらってます」
「お前さんは何度説明したら分かるんだ。私は牧師じゃなく神父だ」
 最初に問われた事には何一つ触れず、彼が振り返ると真っ赤なコートの襟元から微かに香水が薫る。

 神父と牧師の違いを懇々と語る神父に、困惑した笑みを浮かべたのは、既に数え切れないほど同じ事を聞かされていたせいだった。
「あぁ、そうでした。まぁ細かい事はいいじゃない。同じキリスト様の仲間なんすから」
 きりのいい場所で茶化すように話を遮ると、呆れた顔で神父は後ろの長椅子に腰を下ろした。

「いい加減足を洗ったらどうだ。神も今までの過ちは全てお許しになってくれるだろう」
「過ち? 人殺しが過ちだって言うならなんで宗教戦争なんて起きるんだろうね」
 長椅子の固い背もたれの上で組んだ両腕に顎を乗せ、皮肉めいた事を尋ねると神父の瞳は哀しげな色に変わる。
 
 皺の囲まれた瞳は闇よりも深く落ち窪み、何もかも見通している威圧感を放ち、思わず彼は目を逸らした。
視線の先にあるくすんだステンドグラスを見ながら、不意に言葉を漏らす。
「随分古ぼけたな……この教会も、神父様も」
「お前さんがここに連れて来られた時と比べればな」

 初めてこの教会を訪れたのはどのくらい前だったろうか。
何歳の時か覚えてはいない。
正確には本当の年すら知らないのだから仕方ない事だ。
 その時は自分一人ではなく、大人の男と一緒だったのは覚えている。
 男の瞳が緑だった事で幼い自分とは人種が違うのは明らかだった。
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