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□『嘘の台詞』上巻
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―― 熱帯夜 ――     

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 返り血代わりのねっとりとした湿気を肌に纏い、真島吾朗は神室町を闊歩していた。
好敵手(ライバル)の桐生一馬が服役中の今、自分に敵う相手はこの町にはいない。派手な電飾も隻眼には色褪せて見える。
熱気を孕んだ空気に気が触れたように血に染まる獲物を求めた。組員を引き連れて充てもなく夜の町を徘徊していると、鼓膜に響き渡る叫び声が聞こえた。
「なんやぁ面白そうやな」
 真島は冷笑を浮かべると組員達を気にも留めず、叫び声に向かって疾走する。
動物的な五感で容易くその場所を発見した。
小柄な女が一人、三人の男を相手に小動物みたいに震えながら必死に抵抗する姿があった。男達が無理矢理、彼女をどうにかしようとしているように見えた。
「嫌なものは嫌なの! 離して!」
 捕まれた腕を必死に振り解こうとしている。所詮女の力では解けるわけがなかった。
なんやねん。こないに仰山人歩いとるのに誰一人助けてやらんのかい……。ほんま世知辛い世の中やなぁ――
日頃、狂犬と呼ばれている真島が思うのも不思議なことではなかった。嫌がる女を無理矢理どうこうするのは彼の趣味ではない。寧ろその手の男には虫酸が走るほどだった。
「おどれらええ加減にしいや。彼女嫌がっとるやんか」
 言い終えた時、男二人はコンクリートの路面と濃厚な接吻を交わしていた。女の細腕を掴んでいた男は失神した仲間から視線を真島に移した。
派手な蛇柄のジャケット。黒革の手袋。そして左目を黒革の眼帯で覆った隻眼を一目見て声を震わせた。
「嶋野の、狂犬……ま、真島ご――」
全て言い終える前に、真島の硬いブーツは男の側頭部を捉えていた。男は見事なまでに一気に崩れ落ちた。
「い、いっ……嫌ーっ!!」
はっきりと拒絶する叫び声が真島の耳をつんざく。
「な、なんや? 何がイヤなん?」
「こ、来ないで……。そ、そばに寄らないでっ!」
異様な風貌に恐怖心を感じたのか、咄嗟に身構えた物言いに彼は唖然とした。
「なーんもせえへんわ。自分、絡まれとったから助けとったのに酷い言いようやなぁ」
大袈裟に肩を竦めて見せた。
「ごめんなさい、その……なんて言うか……」
「かまへん。こんな形(なり)やさかい。怖がられてもしゃあないわ。気にしとらんへん」
我に返ったのか、彼女は頭を下げ、口籠りながら詫びた。真島は黒革の手をひらひらと動かして口を綻ばせる。
神室町の住人なら自分が何者かを知っている。だが知らない人間もこの風貌を見れば、充分畏怖することを真島自身も自覚していた。
「それより自分、こない遅い時間に一人で歩いとったら目付けられてもしゃぁないわ。用が無いなら早う帰り」
自分より一回り以上は年下に見えた。この野蛮な町では何をされても無理はないだろうと彼は思った。
「用があるから来たんです」
小声で俯いていたが、きっぱりと彼女は言った。
訳ありかいな――
面倒な事になったと少しばかり後悔した。こんなくそ暑い日は目に付いたものを、次から次へと血祭りにしてやろうかと目論んでいた矢先だった。道にのびている三人など準備運動の足しにもならず、真島は次の獲物を求めて組員を引き連れ、町を練り歩くつもりでいた。
「ワシなこう見えて、いや見えとるか……。この辺りは顔が効くねん。訳言うてみい」
後にも退けず暇つぶしを兼ねて尋ねた。行き場を無くし地面を見つめていた彼女の視線が彼に向けられた。
なんやねん、まるで捨て犬みたい目しとるやん――
「捜してるんです。彼を……」
 真島を直視しているはずの瞳は何処か遠くを見ているようだった。
 結婚の約束をした恋人と突然連絡が取れなくなり、似た人間が神室町のホストクラブにいたと人伝に聞きやってきたと言う。
「もう五軒もお店廻って聞いてみたけど手掛かりすら見つからなくて……」
 喧騒の中を捜し廻り、疲れ果てたのか、今にも消え入りそうなほどか細い声だった。肩を落として溢す姿は余計に彼女を小さく見せた。
大小合わせれば百軒は優に超えるホストクラブを、闇雲に当たったところで簡単に見つかるはずがない。大きく溜息を吐いて呆れた口調でそのことを告げると、彼女の顔は一気に途方に暮れたようになった。
今更放り出す気にもなれず真島は手を貸すことに決めた。何よりも次の獲物を漁ることに飽きていた。
「一緒に捜したるわ」
そう告げると捨てられた子犬の顔が満面の笑みに変わった。
「地獄に仏ってこの事ですね!」
 さっきまで力の無かった瞳をきらきらと輝かせている。
『仏』やなくて『般若』やけど――
真島は口に出さずに失笑した。
般若はその形相からは想像し難い意味を含んでいた。
智慧(ちえ)――腕っ節以外にこの町を生き抜く智慧も兼ね備えた、彼の背中に般若が背負われていることを、まだ彼女は知るはずもなかった。
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