□三殿の青姫
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辺りは疾うに夜のとばりが降りて闇につつみこまれていた。月明かりに照らされた獣道を、少女はひた走る。風を切る肩は密かに震えている。もう、どれくらい走ったかは知れない。かなりの道のりを進んできた筈だけれども、これだけ走れば行き着きそうなものなのに、目的の地は依然と見えてこない。少女は表情は恐怖と焦りを浮かべた。
自身に襲いかかるやみが恐ろしい。天に浮かぶ魔性のような満月が恐ろしい。それよりも、闇につつまれた森自体が恐ろしげにうねりを上げて、森の奥の方へと吸い込んでいるように起こるゆるやかな風が、少女の恐怖心を更にかきたてる。無惨に縄のあとが残る手首が痛むが、それより己れの生が先に続いてゆくことを願うことで必死だった。ふだん着なれていない裳のせいで足取りが鈍い。長い裾が足に絡まるのだ。無理に足を進めたところで、少女は転んだ。口から裳を呪う言葉を吐いた。
別に転んだのは一度ではない。ここまでがむしゃらに走ってくるのに、幾度か転んだ。上等だった衣はあちこち破けて、破れ目から見える白い肌と同じにところどころ泥に汚れている。それは、この時以外に二度と袖を通すこともないような素晴らしい着心地の物だったが彼女は少し勿体無い気がしただけで、別段どうでも良かった。
望んでこんな衣装など着ているわけではない。百年に一度の神降りの儀に選ばれなければ、一生着ることもなかったもの。けれど、村に身よりのない者は彼女だけで、村長の言葉は絶対だ。誰にも覆すことの出来るものではないし、またそれに異を唱える者もいなかったから仕方がない。決して着たく無かった。
なのに、その衣のせいで足を取られて思うように逃げられないのが酷く呪わしい。
少女が忌ま忌ましげに毒づいた途端、また転ぶ。すると遠くに聞こえていた唸りが近くで聞こえた気がして、また震えがおこる。
転んだ時にちょうど膝の辺りの布に出来た破け目に気がついて、一気に引きちぎる。もう一方の裾もほんの少しのほどけ目を見つけて破いた。程良く短くなった裾をみて、切れ端になった布を脇に放る。そして、また走り出した。
まだ、彼女は自分が乗せられた輿の前で命を奪われた生きた贄たちのようになりたくはない。今夜降りたまう神の儀式の為に用意された供物の中で、鏡やあまたの玉、銅剣以外の鳥や豚など生きたものたちは、無惨な悲鳴を上げながら、村人の持った鎌で魂と肉体を分けられ、肉体の方を神に捧げられた。
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