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□日日並べて忘却-かがなべてぼうきゃく-
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●日日並べて忘却−かがなべてぼうきゃく−
特に遠慮するでもなく近藤の部屋の襖を開けた土方は、主のいないガランとした部屋に、おや、と思った。
「いねぇ…な」
近藤に目を通してもらう為に持ってきた書類は実は単なる言い訳の産物でしかなく、懐の饅頭をさてどうしたものかと土方はポンッと服の上から軽く叩いた。
(しょうがねぇか。茶はまた後で…)
この数日、山積みの書類整理のおかげで土方は怒濤のような日々を過ごしていた。
それがようやく一段落付いたのはつい先程。
溜まった疲れのせいかなんとなく甘いものが食べたくなって、どうせならば近藤とお茶でもと思ったのだ。
肩透かしを食らった気分で踵を返しかけた土方は、なんだか妙な違和感を感じ庭の桜木に目を向けた。
既に見頃を過ぎてしまったその樹には、それでもまだ幾らかの残花がしぶとさを主張している。
だが疎らなそれは美しいとは言いがたく、しかしその見映えが土方に違和感を与えているのでは、どうやらないらしかった。
(気のせいか…)
違和感の元を辿れずにそう思った瞬間、花がポトリと落ちた。
桜が散らずに、花ごと落ちたのだ。
空恐ろしさを感じるままに土方が根本に目を移すと、そこには花ごとの桜が無数に落ちていた。
(何かおかしいと思ったら…これか…)
この桜木を近藤が気に入っていた事を思い出し、違和感が胸騒ぎに変わる。
近藤を探しに行こうとした時、後ろから声を掛けられた。
「何やってんですかィ土方さん」
声の方に顔を向けると沖田と山崎が歩きながら近づいてくるのが見えて、土方はどちらにともなく問いかけた。
「おい…今日近藤さんどこ行った?」
心中を悟られぬようなるべく落ち着いた低い声で尋ねると、山崎の顔が少しだけ曇るのが分かった。
その表情に自分の胸騒ぎが強くなるのを感じて、土方は拳を少し強く握った。
「…副長…」
「土方さん。近藤さんなら三日前から出張で京都に行ったでしょう。マヨの食い過ぎで脳ミソ腐って忘れちまったんですかィ?」
沖田の言葉に土方の眉が寄る。
近藤の出張の話など記憶にない。
副長である土方が局長の予定を把握していない筈がなく、疑問の目を沖田に向けた。
「んな話聞いてねぇぞ俺は」
「土方さんはここんとこ書類整理に追われてましたからねィ。聞き逃したとしても、まぁおかしくないでさァ」
言われて、ああ、と土方は思った。
確かにこの所の仕事量は少し異常な程で、朝から晩までそれこそ食事の時間すらろくに取れずに、土方は忙殺されていたのだ。だとしても、と土方は山崎を見る。
何か言いたげな山崎に鋭い視線を突き刺すと、山崎が口を開きかけた。
「副ち…」
「な訳で、その懐のもんは俺にくだせェ」
それを遮るような沖田の言葉に、土方の不審と胸騒ぎは大きくなる。
桜の落ちる不吉に拭いきれぬ胸騒ぎ。
だが土方はそれ以上の追及を止めた。
そうしないと何かが崩れてしまうような強い不安に襲われて、そして訳もわからず苛ついた。
不安を打ち消すように煙草をくわえてライターから熱を灯すと、無理矢理に思い切り白煙を吸い込む。
土方は桜の根本を一瞥してから懐の饅頭を沖田に放り、そのまま二人に背を向けて歩き出した。