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□今宵煽りし酒の味
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●今宵煽りし酒の味
どうにも寝付きが悪く、いやしかし恐らくは深酒のせいなのだろう。
情緒やら体質やらによるのだろうが、酒を飲んだからといっていつでも泥のように眠れる訳では、どうやらないらしい。
いよいよ長短の針共に、時を真上に指そうかという時刻。
季節としては初夏と呼んで差し支えはなかったが、夜はまだまだ薄ら寒としていた。
雨が降っていたことも、涼しさに拍車をかけていたのかもしれない。
襦袢一枚では震えも禁じ得ない深夜に、けれど土方は酒に火照らされ、自室前の縁側にデンと一人胡座をかいていた。
右傍らには一升瓶。
左手には清酒の注がれた小杯。
風もなく雨もシトシトと静かなものだった。
『濡れる心配はない』と土方は、ここぞとばかりに寝巻き浴衣の上を剥ぎ、火照りを冷まし冷まし酒を煽っていた。
さて。
土方は酒は好む、が決して強くはない。
仕事柄、酒との付き合い方も嗜み方も理解が深いほうだった。
つまり。
いつ如何なる時であろうと、酒に関して土方は慎重でありドライなのだ。
しかし今夜の彼は勝手が違い、随分と酒を進めてしまったようだ。
何か理由でもなければ、今夜のように土方が酒の深みにはまってしまうことは、まずない。
「…もう力付くにでも…」
呂律の回らぬ舌で呟くと、途端に土方は自己を嫌悪した。
瞬間脳裏を掠めた不純な情景を、酒を煽ることで無理矢理打ち消したのは、酔いはじめてからもう何度目だろうか。
その度土方は自らの酔いの深さを自覚するのだが、自覚したからといって自制出来る程、軽い気持ちで相手を想っている訳でもなかった。
近藤が、結婚をするそうだ。
相手は兼ねてより近藤が想いを寄せていた女。
悪い女ではない、と土方は思っていた。
物の思考に少々よがりはあるが、その信念と腕っぷしの強さ。
真選組局長の連れ添う相手に相応しいとすら思ったこともある。
思っていながらどうにも割り切れぬ感情を抱いてしまうのは、愚かなる人間の或いは本質なのだろう。
「なら、いっそ…」
酒に酔うとグニャリと景色が歪む、というのは些か表現に語弊がある。
景色は決して歪まない。
ただ単に、視点が定まらない故に世界が廻って見えるだけなのだ。
直線は直線のまま。
曲線はその波は大小すら変えず。
しかしならが、土方の視界は。
グニャリ。
「……死んでみるか」
アルコール混じりの呟きは、現実味を帯びずに、しっとりとした雨音に溶けていった。
「はは…はっはは!アッハッハハハハハ!!」
何を馬鹿なと土方は思い、高笑いのままにクッと小杯を喉へと傾けた。
この酒は甘口だったか?辛口だったか?キレは?口当たりは?香りは?
既に味の良し悪しすら判別できない。
ただの水のようにも思えたし、極端に強い酒のようにも感じた。
しかし今、土方は酔えれば良かった。
酔えれば、味などもうどうでもよかった。
(守れねぇだろうが)
(死んじまったらよ)
「ふっ…ふははっ…はっは…」
涙が下瞼の縁にいよいよ溜まったが、溢れぬうちに腕で拭った。
女々しい自分が無性に滑稽で、可笑しくて可笑しくて笑いが口許を支配するのに。
拭っても拭っても止まらぬ滴に、土方は自らを深く憐れむ他仕様がなくなり。
味すら分からぬ酒を、ぐいと煽った。
End.