文章3

□CLUB3
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都内の賑やかな繁華街から少しだけ外れた場所にその店はあった。
狭い路地に入り込んですぐに小さな白い看板が控えめに光を放っていて、その看板の隣から地下へと続く階段を下りて行けば、重さを感じさせる上品な茶色の扉の前へと辿り着くのだ。
店の名前はクラブ・スリー。
夜から営業する酒の扱いをメインとした業種は勿論いわゆる水商売と言うやつで、従業員は男だけの、一括りにすればホストクラブと同じものになる。
ただ詳細を付け加えるならばこの店の方針は本当に客の酌と話し相手をするだけの『話し屋』であって、客と外で会ったり恋愛ごっこをしたり寝たりするのは一切禁じられていた。
店の中で客の相手をし、それだけで如何に客が満足してもらえるか、また来ようと思ってくれるかを売りにしている店なのだ。
その分一般的に言われるホストに比べて給料は安いが、それでも昼間に働いて稼ぐ金額よりは遥かに大きい。
友人である持田にその謳い文句で紹介されて、半年ほど前に笹川了平はここに入店した。ちなみに持田もここの従業員の一人だったりする。
了平がこんな仕事を始めるようになったのには理由がある。
彼の父は五年前に他界し母親と一つ下の妹と三人で暮らしていたのだが、その母が突然病気で倒れた。原因は肝臓ガンで、幸い他に移転する前に治療を終え手術も無事成功したのだが、その際にかかった医療費が半端な数字ではなかったのだ。
自分も妹も既に働いてはいたがその稼ぎでは到底追いつく金額ではなく、了平は散々悩んで夜の世界に足を踏み入れることに決めた。そこで持田は、一年程前から自分が働いていたCLUB3を彼に紹介したと言うわけだ。
当初了平は、半年くらい働いてある程度纏まった金額が出来ればこの店を辞める予定だった。母親の通院はまだ続いてはいるものの術後の経過を見る程度のもので、高額な薬も日が過ぎる毎にその量は減っていく。半年も働けば後は昼の仕事の給料だけでも何とかやっていけそうだったからだ。
だがしかし半年以上経って母親が元気になってパートにまで出るようになった今でも、了平は相変わらずこのクラブに在籍している。それにはまた別の理由があった。いや、理由が出来てしまったのだ。


CLUB3のオーナーは若いイタリア人のディーノと言う男だった。彼はまだ三十前半だというのにこの店以外にもいくつかの店舗を経営するやり手の実業家で、海外を毎日のように飛び回っている。
そんなオーナーにCLUB3を任されているマネージャーが雲雀恭弥という男だ。
面接の時、自分の前に現れた雲雀を見て了平は一瞬目を奪われた。自分と同じくらいか上でも一つか二つくらいしか変わらないであろう男が、この店の最高責任者で権力者であるのにも驚いたのだが、中々に整った顔立ちと切れ長で意思の揺るぎのない目の強さが了平の心を大きく揺らしたのだ。
淡々と必要最低限のことしか喋らず感情を微塵にも顔に出さない雲雀との面接は10分もかからなかった。その10分の間了平は雲雀をじっと見詰めながら、この男はきっと強いだろうと考えていた。
それは了平にとって一目惚れでもあった。了平は店で働き始めるようになってからもずっと雲雀を目で追い続け、三ヶ月ほど過ぎた辺りで思い余って告白した。
馬鹿じゃないのかと冷めた目で見下されることは覚悟の上だったがどうしても抑えることが出来ず、彼の性格上抱え込むのも性に合わずで当たって砕ける勢いで行動に移したのだ。
だが結果は予想外な展開だった。
雲雀は了平の告白を無表情で聞き遂げた後、薄く笑って一言「いいよ」と口にした。そしてそのまま雲雀には珍しい愉快そうな口ぶりで更に言葉を続けた。
「君を僕の恋人と言う立場に置いてやってもいいよ。だけど条件がある」
その条件は何かと了平が口を開くより早く、雲雀は条件に当たる項目を言葉に表した。
「僕の行動に干渉しないこと。要は僕がする事成す事に口を挟むなってことだよ。僕はいつだって自分の好きな様にする。それでもいいなら、僕は君の恋人になってやってもいい」
それのどこが恋人だと言うのだろうか。こんな風に言われてしまっては、ここで仮に付き合うことになったとしても自分から連絡を取って良いものかどうかさえ分からない。
「もちろん僕も君の行動に一々干渉はしないよ。君は君で好きな様にしたらいい。こうすればお互い様だろ?僕だけに有利な条件じゃないと思うけど」
恋人同士になろうかと言うのにこの条件の飛び合いは何なのか。了平は開いた口が塞がらなかった。
だが雲雀は冗談を言ってる様子もなく楽しそうに口端を吊り上げているだけだ。これはもしかしたら雲雀流の恋愛観なのだろうか。
「嫌ならこの話は無かったことにしてくれていいけど」
尚も笑っている雲雀に了平は彼が全く自分に本気ではないことを知った。それもそのはずだ。
出会ってまだ三ヶ月でしかも自分の店の一従業員の男に告白されたのだ。
了平はやっぱりこの話は忘れてくれと何度も言いかけては留まった。おかしな条件があるとは言え、折角一段階上に進もうかとしているのに自ら棒に振っても良いものなのか。
出された条件と雲雀の顔を見れば彼が半分以上からかっていることは分かるのだが、了平にはそれでもこのまま雲雀への感情を水に流すことは出来なかった。
例え遊びでも、それでもいいと思える程には好きになってしまっている。恋愛はより好きになった方の負けなのだ。
条件を飲むと小さく呟いた了平を見て雲雀は一瞬だけ目を丸くさせたが、すぐにまた愉快そうな顔で薄く笑った。

それから別に何があったわけでもない。三ヶ月が過ぎても二人の間に進展も発展もあるわけなく、了平に至っては雲雀から連絡がなければ自分からは一切連絡も出来ない状況だった。
定休日の水曜と日曜以外は毎日店で顔を合わすのだから別段連絡を取り合わなくても事足りるわけだが、普通の恋人達のようにメールのやりとりをするわけでもなくデートなんて問題外だ。
雲雀の気が乗れば仕事が終わった後に二人で酒を飲むこともあったが、盛り上がる会話もなくすぐに終わる。そしてこれもたまにだが、雲雀の気が乗れば彼がキスを求めてくることくらいならあった。
キスをしても了平には雲雀の興味は自分に無いことがわかっていた。むしろそのキスは、たまに与える餌みたいなものだと踏んでいそうだ。適当に餌をやって手懐けておく。
あの時と変わらず自由気ままで秘密も多い彼に、了平は例えば年はいくつなのかとかそういった内容ですら質問できずにいる。全てはあの時出された条件を守るためだ。
雲雀に嫌われない様にと小さなことですら、「これはあの条件に引っ掛かるか」と考えてしまうようになった自分に了平は呆れて笑いたくなった。
豪快でまどろっこしいことを嫌う了平の性格上、本来ならこんなことは全くと言っていいほど彼には向いていない。それでもこんな風に相手の顔色を伺ってまで近くに居たいと思うなど、自分がそれほどどうしようもなく雲雀を好きなことを自嘲したくなるのだ。
雲雀の出した条件の意味を了平はあの後すぐに知った。
オーナーであるディーノが仕事の都合がついたと店に顔を出せば、雲雀は必ず彼と一緒に何処かへ消えてそのまま戻って来ず、何処へ行ったのか何をしているのか全く知らされることもなく聞き出すことすら出来ない了平の耳には、噂だけが次々と飛び込んでくる。
「オーナーとヒバリはそういう関係だ」とか「昔そうだった」とか「もうすぐイタリアに連れて帰るつもりだ」とか、本当かデマかそんなありきたりな噂だけが了平に情報を与える唯一だった。
自分と会っている時に雲雀の携帯が着信を告げれば、その後は必ずと言っていいほど自分を放って出かけるのにも慣れたものだ。そんな時の不満さえもちろん口には出さない。ただ気にしてない振りをして、気をつけて行って来いと送り出すしか術はないのだ。
何故あの時あんな条件を出したのか、あれはこういう事だったのではないかと、了平は鈍いと思っていた己の頭が案外敏感に働いたと妙なところで感心した。




     
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