文章1

□山の唄声 一
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昭和初期、都心から随分と離れた静かな山奥にその村はあった。
村の名前は十津蔵(とつくら)村と言い、僅か四百人足らずの人間が代々十津蔵村を仕切っている地主を中心として寄り添うように暮らしていた。
村には一通りの役場があり、学校があり、田畑での農業を中心として人々は生活している。
そして村での全ての権限は地主の本家にあった。
十津蔵村を代々治める本家、雲雀家である。
雲雀家は二百年も前からこの十津蔵村を仕切っている地主の総本家で、現在の当主は五代目に当たる。
代々その総括能力の高さと誇り所以、村の民より崇められ、移り行く時代を見守りながら伝統と権威を護り抜いて来たのだ。

その雲雀家当主には代々専属の付人がつく。
本家との関係はだいぶ遠いが、分家の一つに配属する笹川家の長男が、昔から雲雀家当主の付人としてその役目を受け継いできた。

現五代目当主には一人の息子がいる。時期六代目当主となる雲雀恭弥だ。
昔から当主候補には幼いうちから笹川家の時期当主の付人となる男が就く。
そしてその笹川家にも六代目当主の付人として代を担う長男がいた。
長男の名は笹川了平。
何の因果か恭弥と了平は同じ年にこの村へと生れ落ちた。
元より当主と付人の年齢はまちまちであったが、雲雀家の現当主はいずれ恭弥の付人となる了平を可愛がり、主と付人ではあるが兄弟のように支え合える存在になって欲しいと願って、同い年である幼い二人を惹き合わせたのだ。
それは恭弥と了平が五歳の時だった。本家で盆の法事を行っているときだ。
「了平、こっちに来なさい。このお方が恭弥坊ちゃん。六代目当主となるお方だ。そしてお前が一生仕える主となるお方だぞ」
父親に手を引かれて連れて来られた本家で、了平は恭弥と出会った。
初めて顔を合わせた幼い二人は緊張からかほとんど会話することもなく、その初の顔合わせを終えた後も本家と笹川家の付属する分家のある場所との距離は子供には離れすぎていて、盆正月以外に顔を合わせることは滅多となかったが、子供ながらにお互いの存在を解っていた。







ある日笹川家に不幸が起きた。
山一つ超えた隣村から了平の両親が帰る途中に、二人を乗せた車が谷へと転落し、二人は即死したとのことだった。
幼い息子と娘を残してまだ二十代後半だった若い夫婦は、その短い一生を終えた。
息子了平八歳、娘京子七歳の時の出来事だった。

その事故があってから了平と京子の生活は大きく変わることになる。
本家の雲雀家五代目当主が幼くして両親を失った二人を可哀相に思い、当時五代目の付人をしていた了平の祖父と共に本家の敷地内にある小さな離れの一軒家へ呼び寄せたのだ。
これを機会に了平と京子と祖父の三人は雲雀家の加護の元、その一軒家で暮らすこととなり、それから了平と京子と恭弥は同じ敷地内に住む年の近い三人として、改めて大きく接点を持つことになった。
数年前からその存在を知ってはいたが、お互いそこまで仲良くなることもなく会話も殆ど交わすことが無かった少年が一気に近い存在となる。


それは了平と京子が本家と離れを繋ぐ庭で遊んでいた時のことだ。
広い庭の片隅で一人蹲って座っている恭弥を見つけた。
恭弥は八歳にしては感情が乏しく、何事にも無感動で口数の少ない大人しい子供だった。
一方了平と京子はそんな恭弥とは対象的に明るく人懐っこい性格だ。
庭の隅で蹲ってじっとこっちを見ている恭弥に二人は声を掛けたが、初日は見事に失敗してしまった。
それでも翌日、翌々日と、来る日も来る日も庭の片隅で自分達を見つめる恭弥に、嫌われてはいないのだろうと踏んで了平と京子は毎日根気強く声を掛け続けたのだ。



  
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