08/15の日記

00:02
愛犬が天に召されました
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こんばんは、朗月です。
前回そら豆特集をすると言っていた訳ですが、内容を変更してお送りする事になりました。


先週の金曜日、我が家の家族の一員である愛犬が息を引き取りました。

15時頃だったでしょうか。下で仕事をしていた父が重い足取りで、私の居る事務所にやってきました。

愛犬・ダンが倒れたとの事でした。

もう長くはないとだけ告げた父の背を追うように、私も急ぎ階段を下りました。
私が目にした時にはもう、瞬きも出来ずにただただか弱く息をするだけでした。
誰の呼び掛けにも反応を示さず、ただ静かに息をしていました。

それから何時間経ったでしょうか。
それまでずっと透き通っていて生気を感じられた彼の瞳から、光が消えたように濁りを見せました。
身体の末端から熱が引いていく姿を、ただただ見詰める事しか出来ませんでした。

晩年は身体が浮腫み、咳をよくしていました。
病気や怪我でもなく、長い年月を掛けて疲弊していった心臓に限界が来たようです。
17年と5ヶ月。
人間で言えば短いその年月も、犬である彼には長すぎるほどの年月でした。


嫌な事もありました。

私がまだ小さかった頃、私よりずっと力持ちだった彼は散歩中に駆け出し、力の無かった私は10m近く引き摺られました。
あの時は酷く叱り付けたけれど、ただ散歩できる事が嬉しくて走り出しただけだったのでしょうね。
最後に散歩をしたあの日、目を輝かせた彼にはもう手綱を引く元気も残っていませんでした。
ただのんびりと、短い距離を時間を掛けてゆっくりと歩いていました。

普段は大人しく、人や犬に向かって吠えたりする事など無かった彼が、一度だけ私の友達に噛み付いた事がありました。
思い返せば嫌な思い出ばかりのその友人を、私から引き離そうとしてくれていたのかもしれません。
言葉を共有できない限り、それは憶測でしかないけれど。

だけど嫌な思い出なんか両手で数えなくても済むくらいちっぽけで、ダンが残してくれたのは楽しい思い出と、それを与えてくれた彼を失った悲しみばかりでした。

私が4歳の頃、今住んでいる家に引っ越してきて間もなく彼を見付けました。
近所で放し飼いにされている二頭のわんちゃんについて歩く小さな野良の子犬を引き取りました。
今はもうその頃の記憶なんて無いけれど、本当に嬉しくて嬉しくて仕方がなかった事だけは覚えています。

あれから私は大人になり、そして彼はおじいちゃんになり、息を引き取りました。
17年という犬にしては珍しいとされるほど長く生きた彼に、何と言ってお礼をすれば良いのか分かりません。

ただ口を開いて出てくる言葉は「ありがとう」というありふれたものしか出てこない。
こんな言葉じゃなくて、もっともっと伝えたい事があるのに。
そんな言葉の代わりにただ「ありがとう」と言う自分を許してほしい。

可愛いダン、長い間ありがとう。
これからも皆の事を傍で見守っていてね。

そんな気持ちで先週土曜日、彼を送り出しました。
そして日曜日、お骨となった彼を連れて日光へ遊びに行きました。
毎年新年の御挨拶に行く日光ですが、彼は一度も連れて行ってないなって事で。
楽しんでくれたかな。
そうだと良いのだけれど。

生きている内に皆様に見せたかったのですが、生憎とそうはなりませんでした。御容赦下さい。
どうか此処を見てくださった方だけでも、生前元気だった頃の彼を見てやってください。
そしてどうか皆様のお宅の可愛いご家族が、末永く健康に暮らしていけますように。





☆コメント☆
[ゴンちゃん] 02-16 10:51 削除
昨日、昼ごろいつもなら私が帰ってくる13:00過ぎにウチの子は天に召されました。
16歳と8ヶ月でした。
最近は呼吸もしんどそうにしていましたが、昨日も私が出かける前には『ワンワン』と以前よりは声も小さかったけれど鳴いては誰かにかまってほしいと訴えていたのに。。。
悲しいです。
寂しいです。
15:00頃、彼の見送りに行ってきます。
10年ほど前に先に逝った父の元へ無事にたどり着けますように。
また大好きなお父さんと散歩やおやつの分け合い(取り合い)をしてください。
これからも私たちを空から見守っていてください。
ちゃんと元気になって見せるから!
今はまだ、できないけれど。。。

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