朔月秘話


□修羅〜追憶の章〜
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 手を振り払われた少女のキョトンとした顔が銀時の視界に映るが、それ以上に驚いたのは銀時の方だった。

 今まで母の立場を悪くしないために我慢を続けてきたというのに、思わず手が出てしまった。しかも、この少女は助けに入ってくれたというのに。

 銀時の知る女という性を持つ者達は、遠くでこちらを指さしては悪口や嘲りを集団で話し、何かあればすぐ涙を流しては大人に泣きつく。きっとこの少女も、同じように大人に泣きつくに違いない。もしくは、恩知らずと罵るかもしれない。

 剣道着を着ているという事は、先ほど銀時に暴力を振るっていた者達と同じように生徒なのだと銀時にもわかる、では、あの優しい手で頭を撫でてくれた松陽に泣きつくか、それとも、己の親に泣き付いてその親が文句を言いにくるのだろうか。どちらにせよ、銀時と母はこの屋敷から追い出されるか罰を受けるかさせられるだろう。罰を受けるだけならば良いが、折角、職場の仲間と打ち解けた母に迷惑がかかる。

 銀時は悔しげに唇を噛んで俯いた。

「どこかいたい?」

 予想とは違い悲しげな声がかけられ驚いた銀時が顔を上げると、心配そうに己を覗きこむ少女と視線がぶつかった。銀時を覗きこんでくる少女の顔に予想していたような嘲りや怒りといった表情はなく、泣くのを堪えた顔で銀時を心配そうに見つめている。

 何故、泣くのを我慢して己を心配するのか判らなかったが、己を心配そうに見つめる瞳には負の感情といったモノはなく、あるのは、ただ一心に己を案じているのが銀時には判った。

 暫くその漆黒の瞳と見つめあっていた銀時だったが、真摯な光を宿して己を見つめてくるその眼差しから顔を背ける事で目を反らしてしまった。

「別に…痛くなんてねーよ…」

「ほんとうに?」

「ああ…」

「よかった」

 嬉しそうに微笑んで安堵の息をつく少女を横目で盗み見た銀時は、まるで己の事のように喜ぶ少女へ隠れるように訝しげな視線を向けた。

「(…おかしな奴…)」

 この時の銀時には、その少女がとった態度が判らなかった。

「あ!」

 突然あがった声に銀時の肩が大きく揺れ、何事かと少女の方を向いてしまった。

「はじめまして、わたくしトシともうします」

 深々と頭をさげて告げられた銀時は、驚きに目を見張り、頭を上げてニッコリと笑うトシをまじまじと見つめた。

「あなたは?」

「っ!」

 初めて他人に名前を聞かれた銀時が息を飲んだ。今まで銀時の名前を呼ぶ者は、母や悪口を通してすでに知っている者ばかりで、誰も本人である銀時に尋ねる者などいなかった。

「…ぎ…銀時…」

 トシが嬉しそうに微笑んだ。

「ぎんときどの?」

 ドクン。

 トシが名前を口にしただけで、銀時の胸の鼓動が踊りだす。何故鼓動が激しく動くのか判らず、銀時は汚れてしまった着物の胸元を握り締めた。

「きれいなおなまえね」

「違う!」

 大きな声で否定され、トシは驚いたのか何度も瞬きを繰り返している。しかし、銀時にはそれどころではなかった。

 嫌いな髪と同じ色の名。

 この髪の色と同じ意味を持つ名前が、銀時は嫌いだった。

「素敵なもんか!」

「え…」

「銀色なんか嫌いだっ!」

 叫び終えた銀時だったが、驚いた顔で己を見つめるトシに気付くと、バツの悪い思いに眉をしかめ俯いた。

「(何言ってんだよ、オレ…誰にも言った事なんかねーのに…)」

 母にさえ零した事のない思いを口にしてしまった銀時は、自嘲の笑みを口にのせた。

「こんなにきれいですのに?」

「へ?」

 聞き慣れない言葉に、銀時は思わず顔を上げた。

「…き…れい…」

「キラキラひかってて、とってもキレイなかみ!」

 笑顔で告げられたそれに嘘はなく、嬉しそうに銀時の髪を見つめるトシを、銀時は呆然と口を開けて見上げた。

「きれい…」

 呟く銀時の目の前に再び手が差し出された。

「おいしいおかしをいただいたんです。いっしょにたべましょ?」

 恐る恐る手を伸ばした銀時の手が、己よりも小さく白い手に重なった。





 そして、運命の輪がゆっくりと回り始める。
 
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