朔月秘話
□修羅〜追憶の章〜
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仁王立ちで己に暴力を振るっていた生徒を威嚇する少女を、呆然とした顔で見上げた。
手に持った小さな竹刀を生徒達に突き刺した少女は銀時よりも年下だろうか、何処もかしこも小さく柔らかそうなのに、生徒達を睨みつけるその眼差しだけが鋭い。
「女はどっか行け!」
「妾の娘のくせに、えばってんじゃねーよ!」
口々に発せられる言葉に少女の顔が傷ついたように歪むが、すぐに元の表情となって己よりも体格のよい相手を睨み据える。
「おんなだめかけのむすめだいっているわたくしに、いつもまけているのはどこのどなたですか」
「っ!」
どうやら図星を指されたようで、生徒達は屈辱に顔を赤く染めて少女を睨む。
「だいたい、たぜいにぶぜいとは、それが侍のすることですか!はじをしりなさい!」
幼い少女から出てくるとは思えない程達者な言葉に、銀時はただ呆然とした顔で成り行きを見つめていた。
「それとも、わたくしともにんずうをたよりにたたかわれますか?」
突き付けられた竹刀と少女を交互に見た生徒達は、互いに小声で相談を始めた。
「ど、どうする?」
「あいつ…つえぇぜ?」
「そんなの所詮、女の力じゃねぇか、やっちまおうぜ!」
「で、でも…」
生徒の一人が恐る恐る少女へと視線を向ける。
「あいつを傷つけたら、高杉の奴が…」
「……」
生徒達の顔色が一斉に青くなり、冷や汗が頬を伝う。
「…ちっ!」
苦々しい顔で舌打ちをした生徒達は、少女と銀時を憎らしげに睨みつけると、一言も口を開かずに去ってゆく。
「ひとことのあやまりもなしですか!」
「うっせぇっ!」
銀時に謝りもせず去ってゆく背中に眉をしかめた少女がため息をつく。銀時もこれまでの短い人生で最短で終わった暴力に、呆然と去ってゆく背中を見つめた。
「まったく…だいじょうぶですか?」
呆然とする己へと差し出される幼い手を、銀時は目を見開いてその小さな手を見つめた。
銀時にとって、己の持つ色彩は忌まわしい物だった。
この色彩のおかげで、行く先々で向けられる人々の嘲笑や蔑み、いわれない暴力や行ってもいない悪行をなすりつけられる。そんな大人達を目にしている子供達にとっては、銀時は自分達よりも劣っている存在と認識され、この年になっても友人と呼べる存在がない。
彼の母がそんな銀時を見つける度に、相手をやり込めたり庇ったりしてくれては、慰めるように銀時の色彩を褒めてはくれる。しかし、その母が銀時の色彩を褒めるのも、今だ会った事も見た事もない父の色だからという事を、銀時は幼いながらに知っていた。
いや、幼いからこそ、母が己の髪へ向ける視線に含まれた感情に気付いたのかもしれない。
その、どこか遠くを見る懐かしさを含んだ視線に。
そして、一度だけ会った事がある、長崎に居た頃の母の友人という人物が零した言葉。
「あのお人そっくりやなぁ」
母とどこか似た視線を銀時に向け、しみじみと呟いていた。
その「あのお人」というのが誰かは知らない。
知りたくもなかった。
ただ、母が己を通して彼女が言うところの「あのお人」を見ているのだと、銀時はその時に知った。
銀時の世界である母の愛情を疑った事も母を嫌う事もなかったが、ただ、己の色彩が何故母や他の者達同様な色彩ではなかったのか、それだけを悲しんでいた。
この髪や瞳の色彩が漆黒であれば、己が暴力をふるわれる事も、母が各地を転々としながら苦労する事もなかったのではないだろうか。
そう思った事も、一度ではない。
銀時の目の前で仁王立ちして生徒による暴行を止めにはいった少女は、そんな彼が夢見ていた理想の色彩をしていた。
だからだろう、差し出された幼い手を咄嗟に払いのけてしまったのは。
パシッ。
思いの外、大きな乾いた音が銀時の耳に聞こえた気がした。