旋律


□次回連載零話
4ページ/4ページ

 
「個人授業」





 厳かな雰囲気の教会に、パイプオルガンが奏でる結婚行進曲が鳴り響く。

 その教会の祭壇の前で、銀八は白いタキシード姿で立っていた。

 教会内には、銀八の他には、祭壇を挟んだ向こう側に神父が一人。参列客もパイプオルガンを奏でる奏者も何故か姿が見えず、見渡す限り、その二人以外には誰もいない。しかし、銀八はそれを気にする事なく、花嫁の登場を今か今かと心待ちにして、ただ一心に花嫁が入ってくるであろう扉を見つめ続けている。

 やがて。

 ギィィィィィィ。

 教会内に鳴り響くパイプオルガンの音色に紛れ、蝶番の軋む音が銀八の耳に届くと同時に、わざと照明を落とされた教会内に、扉を開けた事により、まばゆいばかりの日の光が差し込み、薄暗い光に慣れていた銀八が、その光に眩しそうに目を細める。

 外からの光の洪水の中央に純白のウェディングドレス姿の花嫁を認め、銀八の鼓動が大きく跳ねる。

 一歩。

 花嫁が教会内に足を踏み入れる。

 ギィィィィィィ。

 バン。

 大きな音をたてて扉が閉まり、まばゆいばかりの日の光が消え、外界と遮断された教会内は、再び薄暗い照明のみとなるる。その中を、祭壇へと続く中央の通路に敷かれた赤い絨毯を、一歩、また一歩と踏み締めながら、花嫁がゆっくりとした速度で進んで行く。

 花嫁が己へと近づいて来るに従って鼓動の音が大きくなってゆき、銀八は教会に響き渡る結婚行進曲に感謝した。その音色がなければ、今や踊り狂う鼓動の音が、神父や花嫁に聞かれてしまうかもしれない。

 そんな考えが浮かぶ。

 一歩。

 また一歩と時間をかけて花嫁がヴァージンロードを進み、漸く、銀八の直ぐ傍へとやってきた。

 逸る心を鎮め、高鳴る鼓動をそのままにゆっくりと花嫁へと手を差し延べれば、レースの手袋に包まれた手が躊躇いがちに乗せられ、銀八は花嫁を一段高くなっている己の隣へとエスコートする。花嫁が銀八の隣へと立つ事で離れてしまい、その手の感触がなくなった事が、銀八は寂しかった。

「うおっほん」

 何時までも花嫁の事を愛おしいそうに見つめている銀八の耳に咳ばらいが届き、我に返った銀八が慌てて前を向けば、隣からため息が聞こえ、呆れられてしまったかと内心焦るが、そんな銀八の内心などお構いなしに、神父がゆっくりと口を開く。

「汝、坂田銀八は」

 お決まりの台詞に、それまで全く意識をはらわなかった神父へと視線を向けた銀八は、そこで眉をしかめた。

 キッチリとした司祭服に身を包んだ神父に、何故か見覚えがある。しかし、誰だったのか、全く思い出す事が出来ない。

「(誰だっけコイツ)」

 名前が喉まで出かかっているのに、どうしても出てこない。まるで、小骨が喉に刺さっているような不快感に、銀八の眉間に深い皺が刻まれる。

 奔放に飛び跳ねるロマンスグレーの髪。

 過ごした年月を表すように顔に刻まれた幾つもの皺。

 銀八はその神父が誰だったのか、どうしても思い出せなかった。

「(いや、ちょっと待てよ?そもそも、俺ってば誰と結婚すんだ?え?今隣にいるのって誰?誰?誰ですかコノヤロー!?)」

 これから生涯を誓い合う相手が判らないといった恐ろしい状況に、銀八の体が硬直する。

「此処に誓いますか?」

「はい、誓います」

「(えええ!?いつの間に、そこまで進んじゃったのぉぉぉぉ!?)」

 隣から聞こえてきた返答に、銀八が焦る。どうやら、無意識の内に銀八は神父の問いに返答していたようで、儀式は着々と進んでゆき、気がつけば、残すは指輪の交換と誓いの口づけだけとなっていた。

「では、指輪の交換を」

 神父の手により、祭壇に置かれたビロードの台が持ち上げられ、銀八の前へと差し出される。

「(いやいやいや!駄目だって!無理だって!花嫁が誰かもわっかんねーってのに、指輪の交換なんてできっかよ!?ってか、好きな奴がいるから結婚は無理だってぇぇぇぇぇ!!)」

 そう心の中で叫ぶが、何故か体が言う事を聞かず、気がつけば花嫁の手からレースの手袋を脱がせ、その女にしては太く感じる指に指輪を嵌めていた。

「(ノォォォォォオオ!!ばか馬鹿バカ!俺の馬鹿ぁぁぁああ!)」

 己の行動を罵るが、それが声に出る事はなく、ふと気がつけば、銀八の薬指にも銀色に光り輝く金属が収まっていた。

「(うそ嘘ウソ!ヤバイって!マジでヤバイから!どれぐらいヤバイかって言うと、マジヤバイからぁぁぁぁぁああ!?)」

 とても国語教師とは思えぬ叫び声があがる。

「では、誓いの口づけを」

「(きたぁぁぁぁぁああ!?きちまったよ!とうとうきちまったよ!どうすんの?どうすんのこれ!花嫁がハムみたいな奴だったらどうすんの!?ちょ、責任者!責任者出てこい!!)」

 そんな切実な銀八の叫びとは裏腹に、事態は刻一刻と進んでゆき、遂には、花嫁のヴェールに手がかかる。

 ゆっくりと持ち上がってゆくヴェール。

 やがて、ヴェールが取り払われあらわになった花嫁の顔に、銀八が息を飲む。

「(ありがとおぉぉぉ!神様、ありがとおぉぉぉぉ!?)」

 先ほどまでの動揺を忘れたかのように、掌を反して神に感謝の言葉を捧げる。

 紅いルージュが引かれた小さい唇。

 恥ずかしげに伏せられた瞳。

 うっすらと朱く染まっている頬。

 美しい程に整った貌。

 純白のウェディングドレスに身を包んでいたのは、銀八が秘そかに想いを寄せている生徒の土方、その人だった。

「(え?あれ?土方が花嫁って事は、いつの間に俺達ってば付き合ってたの?え?嘘!ラブラブ!?ラブラブなのか?)」

 土方と付き合っており、結婚までする間柄だった事をすっかり忘れていた事にショックを受ける。土方と付き合っていたという事は、彼が見せたであろうあんな表情やこんな表情を忘れてしまったのかと、銀八は悔しがる。

「(あれ?でも土方君って、男じゃね?ま、いっか)」

 根本的な疑問が沸くが、想い人である土方と結婚出来る喜びに銀八は直ぐにその考えを放棄して、目の前の御馳走に集中する。

「(嗚呼!神様、本当にありがとう!)」

 ともすればニヤケそうになる顔を引き締め、ゆっくりて顔を近づけて行く。

「グボォォォォッ!」

 後少しで重なるという時に銀八は腹に激しい衝撃を感じて、体を折る。

「飯はまだかのぉ?」

 その声に、痛みに引き攣る顔を向ければ、聖書を振り上げ、今まさにそれを銀八へ投げ付けようとしている神父の姿。

 その姿を目の当たりにした銀八の脳裏に、神父が誰だったのか漸く蘇った。





「ふざけんな糞ジジィィィィィイイッ!?」

 己の叫び声で目を覚ました銀八の視界に、己の腹に今まさに振り下ろされる木製の杖を認め、慌てて布団を跳ね飛ばして身を捻る。

 ゴスッ。

 とても布団に振り下ろされたとは思えぬ音をたてて、布団に突き刺さる木製の杖。心なしか、そこから摩擦による煙りがたっているように見えて、銀八の額に冷や汗が滲む。

「何すんじゃぁぁぁ、この糞ジジイ!?」

 杖を警戒してベッドの端へと避難しながら銀八が怒鳴るが、相手に反省した様子はなく、それどころか、手を耳の裏に当て、さも聞き取れなかったというような表情で首を傾げている。

 奇襲をかけてきた人物こそ、先ほどまで神父の恰好をしていた人物である。

 坂田銀時。

 銀八の実の祖父であった。

「は?じゃねーよ!おまっ、後少し間違えれば、内臓的な物が出てくんだろーが!?」

 腹を押さえながら叫ぶが、既に腹に痛みを感じているので、第一弾は既に喰らっている可能性が高い。銀八の剣幕に、銀時は不思議そうに口を開けて呆けていたかと思うと、何かに納得したのか何度も頷いてみせる。

「それは大変じゃったのぉ、みちゅ子さん」

「誰がみちゅ子さんじゃぁぁぁああ!?ってか、みちゅ子さんって誰じゃぁぁぁぁああ!?」

「うんうん…それで?飯はまだかのぉ?」

「ってか、どうやって入ってきやがったコノヤロー!!」

 銀八の怒鳴り声が辺りに響き、ベランダの柵に停まっていた雀達が一斉に飛びだった。

 その後。

 銀時との噛み合わない会話は延々と続いたのだが、銀時の飽きたの言葉で一方的に終了し、銀八は一人暮らしをしていたはずの己の家に不法侵入してきた祖父の朝食を作らされる羽目になった。

「っくしょぉぉぉ!」

 苛ついた感情のままに卵を溶いて、熱したフライパンへと流してゆく。

 祖父の好みは和食であると知っているが、朝から危険な起こされ方をされた銀八は、意趣返しとして洋食を作ってやる。

 はっきり言って、本当に些細な嫌がらせである。

「ああ!苛々する!」

 口に含んだ飴を噛み砕きながら、悪態をつく。

 未だ矍鑠としている銀時は、ボケ老人のフリをしては他人をからかう事を至上としている。それに毎回反応を返す銀八も銀八だが、相手の歳が歳だけに本当かどうか見分けがつき難いので質が悪い。もっとも、銀時の若い頃そっくりだと知り合いに言われる銀八は、性格もとても似ているので、授業を受け持っている生徒達から同じように質が悪いと思われている事を知らない。

「ってか、あとちょっとで、土方君とキス出来たのにぃぃぃぃいい!」

 結婚式はただの夢で、想い人である土方と銀八は、ただの教師と生徒でしかない。後少しで重なったであろう唇を想い、せめて夢の中では自由にさせろとばかりに銀八が台所で泣き叫んだ。

 孫の叫び声を聞きながらリビングでニュースを観ていた銀時は、テレビから流れてくる新しく可決された法案に妖しく目を光らせ、口元に笑みを浮かべた。




 それは、弥生月のある日の出来事。

 銀八は、その夢が正夢となる事をまだ知る由もなかった。
 



2008.04.22.
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ