朔月秘話


□瓦礫の楽園
1ページ/3ページ

 
「(なんで…どうして…)」

 疑問詞ばかりが頭に浮かぶ。

 少し離れた場所では、修羅場が繰り広げられていた。

 登場人物は、親友の近藤に彼が縋り付いている女。そして、その女が愛しそうに抱き着いている男。

 名前は忘れてしまったが、近藤が足に縋り付いている彼女が、彼が最近惚れ込んだ女である事は、近藤によって写真を見せられていたため間違いない。しかし、その女に男がいるとは土方は聞いていなかった。もっとも、猪突猛進な性格をしている近藤の事なので、知っていても気にしなかったか、愛の言葉をまくし立てるのに忙しくて聞いていなかった場合も考えられるが。

 問題は、女が抱き着いている男を、土方がよく知っているという事だ。いや、知っているはずだった。



 少し離れた場所からも判る綺麗な金髪。



 ブランド物のスーツの上からでも判る、均整のとれた体格。



 そして、男でも惚れ惚れしてしまう程に綺麗な顔。



 男は、土方が見た事もない険しい表情で近藤を見下し、土方を優しく抱きしめ隅々まで這わしたその手は、愛しそうに抱き着いている女の肩を抱いている。

 土方に向けて優しい言葉を囁いてくれた唇を酷薄そうに持ち上げて近藤へ何かを告げ、そして、己へ抱き着く女へ何かを囁いている。

 土方へ温かな眼差しを向けてくれたその瞳は、近藤へ酷く鋭い眼差しを送っている。

 男の名は、坂田金時。

 全国でも有数の歓楽街である歌舞伎町で有名なホストだ。




 目の前で繰り広げられる修羅場に、土方の胸がジクジクと痛む。

 ホスト―――しかも、歌舞伎町の帝王とまで言われている金時にとっては、修羅場など日常茶飯事なのかもしれないだろうが、土方にとっては非日常茶飯事だ。もっとも、金時程のホストになれば、修羅場となる前にその場を納めてしまうかもしれないが。しかし、土方にとっては、目の前で行われている修羅場は、信じたくもないものだった。かといって、修羅場を見た事がないわけではない。

 普段はおおらかで人の良い近藤だが、何故か惚れた女に対しては陰湿な愛情表現を繰り返し、いつもフラれてばかりいる。本人は、自分の行いが陰湿であるとはまったく思っていないようだが、相手に付き纏う行為を続けるのは、どう考えても陰湿としか言いようがないだろう。土方も何度も諌めてはいるが、近藤曰く、自分がいない間に相手に何かあったらどうするんだと返ってきた。土方としては、近藤の行為自体がその「何か」に当たるんじゃないかとは思うのだが、何度諌めても止めない近藤に諦めたという事もあって、最近はあまり注意をする事はなくなってしまったが、そんな近藤とほぼ一緒に行動している土方は、近藤と彼が惚れた女との修羅場を目撃する機会がよくある。

 しかし、今目の前で繰り広げられている修羅場は、今まで目撃してきたどの修羅場とも違っていた。

 何故なら、女の肩を抱く歌舞伎町の帝王と有名なホストの金時は、土方の想い人だったからだ。

 自分の親友と想い人が一人の女を廻って修羅場を起こすなど、短い人生の中で起こる方がおかしい。いや、普通は起こらないはずだ。

「(もしかしたら、ただの知り合いかもしれねぇ…)」

 自分でも信じていない事を言い聞かすように繰り返す。

 土方の視線の先では、女が金時にしな垂れかかるようにして何かを告げている。その言葉に何か反論している近藤を足蹴にして、女と金時は少し離れた時計台に隠れている土方とは逆の方へと仲睦まじく去ってゆく。

 その仲睦まじい後ろ姿を見つめる土方は、息が止まりそうな程の胸の痛みを感じていた。

 人目を憚る事なく泣き叫ぶ近藤のもとへ駆け寄りたかったが、土方の足は地面に根が生えたかのように動こうとはせず、漸く土方の足が動いたのは、去っていった二人の姿が完璧に見えなくなってから、暫くたってからだった。




 大きな体を地面に付して泣き叫ぶ近藤に、覚束ない足取りで土方が近づいてゆく。

「…近藤さん…」

 躊躇いがちに声をかければ、涙と鼻水でグシャグシャになった顔が土方へと向けられる。その頬が朱く腫れているのは、女に叩かれたからだろう。

「トシィ…」

 情けない声で土方の名前を呼んだかと思うと、目の前にしゃがんだ土方の膝に縋り付いてくる。

「お妙さんがぁ…」

「(そういやぁ…そんな名前だったか…)」

 近藤が泣きながら告げるそれで、土方はあの女の名前が妙だった事を思い出し、ぼんやりと胸の内で呟く。

「結婚するから、俺とは付き合えないってぇ…」

 近藤の言葉に土方の心臓が一瞬止まる。

「…結婚…さっきの男とか?」

「そうなんだよぉ」

 違っていて欲しいと願いながら尋ねる土方の言葉に、膝に縋り付き泣き叫ぶ近藤が最悪な答えを返してくれる。

 土方の全身から血の気が下がり、目の前が暗くなって足元が揺れる。

「だ、大丈夫だって近藤さん。きっと他にもいい人が見つかるって…な?」

「トシィ」

 己の膝に縋り付く近藤の背を宥めるように優しく撫でて、慰めの言葉を口にする。その言葉は、近藤を宥めると同時に、己にも言い聞かせるための物だ。

「(そうだ…わかってた事じゃねぇか…)」

 相手は引く手数多の人気ホストだ。金時を好きになった時から、土方はいつかこんな日がくる事を予想していた。

「(それが、たまたま今日だってだけだ…)」

 何度も何度も自分に言い聞かすように繰り返す。

「(今は近藤さんだ…)」

 友人といっても大学関係ではない上に、いつしか友人以上の気持ちを土方が持ってしまったため、金時の事は親友の近藤は勿論の事、他の誰にも告げていない。そのため、いきなりここで同じように土方も泣き叫びだしたら、近藤が困るだけだと言い聞かせ、土方は近藤を宥め続ける。

「泣くなよ、近藤さん」

 自分はいつも通りの声を出せているだろうか。

 土方はそんな事を考えながら、周囲からの好奇の視線を感じつつもいつまでも近藤の背中を優しく撫で続けた。
 
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ