朔月秘話
□修羅〜零れ噺〜
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修羅〜こぼれ噺〜
それは、ほんの些細な日常風景。
銀時達万事屋一行は、一般入院患者として病室を移ったトシを見舞うべく、朝早くから松本医院のナースセンター前で面会開始時刻になるのを、今か今かと待っていた。
土方十四郎の死亡届けを提出したため、一般患者用の病室へと移されたわけだが、万が一、一人で病室を出た時に男と遭遇する確率を少しでも減らすために、医者や看護士、入院患者に至まで女性しかいない産婦人科の個室を与えられていた。
真選組との関係を気付かれないために警護も外された事で、彼女の元を訪れるのは専ら銀時のみとなっていた。
記憶を取り戻した彼女にもそれまで通り懐いている神楽と新八も、一緒に行きたがっていたが、大勢で押しかけ怪我人を疲れさせるわけにもいかず。かといって、どちらか片方と見舞いに行けば、残りの片方が拗ねてしまう。バラバラに行けば、神楽の暴走をトシに止めることなどできるはずもなく、さりとて、新八のみや神楽と新八の組み合わせでは、銀時がいないため男性恐怖症のトシがちゃんと対応することが出来ず、余計に疲れさせてしまう事になりかねない。
結果。トシの見舞いには主に銀時一人が行く事に決まったのだが、今日は子供達にごねられたため、三人一緒に行く事になった。
松本医院では、入院患者の安全確保のため、見舞い客は必ずナースセンターで名簿に記入し、ナンバープレートを受け取らなければならない。
それを持たずに見舞い先に行っても、病室に入るどころかナースセンターを横切っただけで壁に埋められたセンサーが作動し、守衛に捕まって強制退場もしくは警察に引き渡されてしまう。
そのナンバープレートを貰うために、面会時刻前からナースセンターの窓口を陣取っている銀時達は、白衣の天使であるはずの看護士達から生温い眼差しを投げかけられていた。
漸く面会時刻となった瞬間、神楽が差し出された名簿へ真っ先に名前を書き込み、銀時、新八の順に記入していく。
「アバヨ!」
「ちょ、神楽ちゃん!」
ナンバープレートを受け取った瞬間に走り出した神楽を新八が慌てて呼び止めるが、その小さな背中は止まる事なくすぐに消えてしまい。あとには、呼び止めるために伸ばされた手をそのままに立ち尽くす新八と、早速の神楽の暴走にため息をつく銀時、そして、朝早くからの騒ぎに額に青筋をたてて微笑む白衣の天使が残された。
そんな男共の事など気にする事なく、神楽はお目当ての扉を握り締めていたナンバープレートを使って開け放つ。
「トシちゃん、会いに来たアルヨ!」
ノックもせずにいきなり入って来た神楽に一瞬驚いた表情は、入ってきたのが神楽とわかるとすぐに苦笑いに変わる。
「おはようございます、神楽」
「おはようアル」
優しく微笑んで挨拶を口にするトシはまだ食事の途中のようで、上半身を起こして座っているベッドの上には、盆に乗せられた色とりどりの食事が置かれていた。
「なんだよ、まだ飯食ってんのか?」
「おはようございます、トシさん」
「おはようございます、銀時、新八さん」
白衣の天使の睨みをかわしながら先に行ってしまった神楽に遅れる事、数分。銀時と新八が病室に辿りついた。
さっさとトシの傍に行ってしまった銀時に続き、新八が苦笑いをしながらあとを追う。
記憶を取り戻し、銀時から紹介された時は「殿」だったのを、何とか説得して「さん」づけにしてもらったのだ。それでも、記憶を取り戻す前は呼び捨てだったので少しこそばゆい。
「トシちゃん、これ美味くないアルか?」
盆の上には、ほうれん草の胡麻和え、厚焼き玉子、焼き鮭といった典型的な和食の朝食が、ほとんど原型を留めたまま残っている。
病院食といっても怪我で入院している彼女に食事制限があるわけでもなく、量や質からしても本日の万事屋で出た朝食より豪華だ。
「いえ…美味しいのは美味しいんですが…あまり食欲が…」
困ったような表情でため息をつくトシの様子に、銀時達は顔を見合わせた。
「そういや、最近、あんまくってないみてーだけど…大丈夫か?」
「え、ええ…熱もあまり高くないようですし…」
彼女の言う通り、額に手を添えてみても銀時の手に感じる熱はそれほど高くない。
「……待ってるヨロシ!」
心配そうに眉をしかめて朝食を睨みつけていた神楽は、何かを思い付いたような表情をしたかと思うと病室から飛び出した。
「どうしたんでしょうか…」
「さあ…?」
不思議そうに神楽を見送ったトシと新八はお互いに首を捻るが、銀時は神楽が出ていった扉を見つめ眉をしかめると、新八を盗み見ながら小さくため息をついた。
銀時はトシが何故食欲がないのか原因に気付いていたが、敢えてその原因を教える事は控えていた。神楽はその原因に気付いたのかもしれない。出来ればそれを阻止するべくあとを追って行きたいところだが、そうすると新八を置いていく事になる。連れて行くにしてもその理由を話さなければならず、賛同してくれるかどうかわからないので連れて行くのは無理だろう。
「(違ってりゃ…いいんだけどよォ…)」
銀時の予想が外れていればいいが、その可能性はかなり低いだろう。銀時は再び小さくため息をついた。
そして。
銀時の願いも虚しく。暫くして戻ってきた神楽の手には銀時の予想通りの物があり、ため息と共に目を覆った。
「ただいまアル!」
「お帰りなさい」
「お帰り神楽ちゃん…あ、それ…」
神楽の手にある物を見て、新八もトシの食欲不振の原因に気付いたようで、納得をしたように頷いた。
「これさ…フガ」
「だァァァアアッ!」
手の中の物をトシに差し出そうとする神楽を遮り、その口を手で塞いだ銀時がそのまま部屋の隅へと連れ込む。
「銀時?」
「はぁ…」
突然の暴挙にトシが驚き、新八が深いため息をついて二人を見つめる。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと!何してくれちゃってんのォ!」
「フガ、フガ、フガ!」
小声で抗議する銀時に神楽が負けじと抗議をするが、口を塞がれたままなためきちんとした抗議にならない。それをいいことに、銀時が言葉を続ける。
「敢えて俺が教え…グボァ!」
神楽に殴られた腹を押さえながら銀時が床にしゃがむ。それを神楽は冷たい眼差しで見下ろすと、鼻で笑い振り返る。
「これをかけるヨロシ!」
「え、こ、これ…ですか?」
銀時に向けていたのとはまったく逆の笑顔で差し出された物を受け取ったトシは、不思議そうな表情で手の中の物を見つめながら小首を傾げた。
どうやら、それが何だかわからないようだ。
「これは…?」
「マヨ、アル」
「マヨ?」
それでも不思議そうに眺めるだけのトシに、神楽と新八がどうしたのかと首を傾げた。
「そ、それは…天人が持ってきたヤツだから、攘夷戦争時代はなかったんだよ」
痛みを押さえながら二人の疑問に銀時が答え、その言葉に、トシがどうして不思議そうな顔をしているのか納得する。記憶を取り戻したトシは攘夷時代までの記憶しかないので、それならば、天人がもたらしたマヨネーズを知らないのもしかたがない。
「これ、かけてみるヨロシ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ー…」
トシの手からマヨネーズを受け取った神楽が無惨にも朝食の上にかけてゆくのを、銀時は残念そうな声をあげながら見ている事しかできなかった。
「はい、食べアル」
「え、ええ…」
神楽が差し出したそれは、銀時の思いを受け取ったのかそれとも神楽の思いなのか、新八の記憶にあるかけかたよりも数倍も控えめだ。トシも初めてみる調味料に、どこか引いているようにもみえる。
しかし、神楽の楽しそうな笑顔をみたトシは覚悟を決めたのか、生唾を飲み込むと、両目を固くつぶって差し出されたほうれん草の胡麻和えを口にいれた。
パクッ。
一口入れた途端、トシは驚きに目を見開いた。
キラキラキラ。
トシはそのあまりの美味しさに、満面の笑顔をみせた。
「うおっ!眩しいアル」
神楽がそう呟いてしまうほど、トシの笑顔は眩しいほどに輝いて見えた。
「美味しいです」
次々に箸を進めていくトシの様子に、神楽は満足げに笑っていたが。反対に、銀時は涙を流しながら床を叩いていた。
「これを期に、トシの偏食を治そうとしてたのに!」
その悔しそうな叫びに、新八はだからマヨネーズの存在を教えなかったのかとため息をついた。
「ありがとうございます、神楽」
「気にすることないアル」
新八が嬉しそうに笑い合う二人に視線を移し、再び銀時へと戻す。
「自分の偏食を治さないで、他人のをやろうと考えるからですよ」
銀時の情けない姿に、新八は深いため息をついた。
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本編に入れようかと思いつつも、止めた話です。
マヨネーズは日本古来のものではないので、天人製なのかなと思いまして。
2007.12.28.