・短・
□*狡い男*
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井戸に近付くと確かに人影がそこにあった。
寝間着だろう着流し姿が目に映る。
闇に紛れる後ろ姿を一瞥しただけでは誰かまではわからなかった。
だが、月明かりに目が馴れた瞬間にそれが誰であるかは明確だった。
「……土方さん!?」
背中を覆う黒は夜の闇だと思ったが、それは漆黒の艶やかな髪だった。
長い髪を結っていない姿を見るのは稀過ぎて確信出来なかったが、その背格好を照らし合わせれば自分の記憶する人物と一致するのはただ、一人。
鬼の副長こと、土方歳三。
その一人しか居なかった。
普通ならばその姿を確認出来れば敵では無い事は明確なのだから肩の力が抜けてもいいはずなのに。
今はそれを許さなかった。
「……っう……げほっ……! 」
苦痛を訴える声を上げ、井戸の横でうずくまるように屈んでいる土方の姿はただ事では無いとわかったからだ。
原田は手にしていた長槍を地面に突き刺して土方の元へと駆け寄った。
「大丈夫か!土方さん!」
小さく丸まった両肩を掴み、その体を揺らしながら声をかけると両手を口にあてている土方の体がビクリと揺れた。
目だけがこちらを向く。
そして、一瞬だけ細められた。
それを見た瞬間、自分の胸の奥にふわりとした温度を感じた。
何故、目が覚めたのかわかった気がした。
「……原田か……。」
まだ苦しそうな息を必死に抑えながら土方は苦痛そうに歪む唇で自分の名前を呼んだ。
何故かはわからないが、ただそれだけで全て理解出来たような気がする。
「……平気か?今、水汲んでやる。」
先程よりもかなり抑え気味の囁くような声で問い掛け、軽く摩るように肩を撫でた後、傍らにある井戸から水を汲み上げる。
静かに片手を伸ばした土方がその水で口元を拭った。
何度か繰り返すと漸く落ち着いたのか、土方が深いため息をゆっくりと吐いて原田に顔を向ける。
「……すまねぇな。」
苦笑いを浮かべながら土方は原田に短い礼の言葉を口にした。
その表情が何を言いたいのかわかる気がして原田も同じように苦笑いを浮かべる。
「とりあえず部屋まで付き添うぜ。」
有無を言わせるつもりなど無い原田は土方の両肩を抱えるとその背中を庇うようにして立ち上がる。
土方はそんな原田に困ったように微笑んでその言葉に頷いた。
月明かりに浮かぶその顔は少しだけやつれたように映った。