秘密請負人

□春風の人
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『春風の人』




目の前には満開の桜。
早坂香(はやさかこう)は、感激の言葉が思い浮かばず、その美しさにただ圧倒されていた。

「す………すっごーいっ!」

やっと言葉にできたのはその一言だけ。

「すごい、すごい!!すっごーい!」

小さな子供のようにはしゃぐ香を見て、日高柚介(ひだかゆうすけ)は苦笑を浮かべた。


「早坂さん、あんまりはしゃぎまわると転びますよ。」


桃色のアーチをくぐって走る香には、柚介の忠告すらも聞こえておらず、

「先生っ、早く早く!」

教師を満面の笑みで急かす。




今日も柚介は副業のために香を連れ回したのだが、時間が余ったので見頃の桜を観に来た。

思いの外喜ぶ香に、柚介も心が暖かくなる。


「急いだら桜を満喫できる時間が減りますよ。」

「!」

「アホですか。」

「うぅ、うるさい!」

文句を言いつつも、ゆっくりと歩きはじめた香。

穏やかな風に乗って、ひらりと花びらが頬を撫でていく。時間の流れが何時もよりゆっくりと感じられた。


「日高先生もたまには優しいんですね。」

「僕はいつでも誰にでも優しいですよ?」

……うそつけ、変態め。

声には出さずに、柚介を横目で見る。


「早坂さん、失礼なこと言わないでくださいね。」

「……だから、私、声に出してないのに……なんで(泣」

「おや、心の中で失礼なこと考えてたんですか。」


あれ、今気温が二度くらい下がったぞ?


そんな言葉を交わしながら、学園から少し離れた場所にある桜並木を、歩調を合わせて歩けば、すれ違う人々から羨望の眼差しで見られてしまう。

整った柚介の顔が原因なのは明白だ。

しかもオプションで桜がついているのだから、いつもより三割増美しく見える。
もちろん、柚介が。


「桜"が"オプションなのが腹立たしいよね」

「何か言いました?」

「いえ何も」


今日、香にとって特別な日に、柚介が桜を見に連れてきたのは気まぐれか、偶然なのか。

少し気になるところではあったが、目の前の桜の美しさに心は奪われる。


落ちてきた花びらを捕まえようと、そっと手を伸ばした瞬間、
「きゃっ!?」

先程まで穏やかに吹いていた風が、あたりの花びらと香りをさらうように勢いよく駆け抜けていった。

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