03/29の日記
14:49
短編 近江の桜
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近江にも春が来る。
それを証明するように、ちらほらと桜が咲いた。
例年よりも少し桃色の強い桜は、近江の者に喜びをもたらしている。
「何をして居るのだ、市ィ!」
「長政様ごめんなさい、市…風邪を引いてしまって…」
小谷城で、市はしょんぼりとしていた。
折角綺麗に桜が咲いたという時期に、風邪を引いてしまったのだ。
彼女は体が弱いので、多分中々完治はしない。
桜の寿命は短いから、彼女は満開の桜を見ることが出来ないかも知れなかった。
少し厚着をし、何時にも増してぼーっとしている妻を、長政は呆れたように見た。
「全く、お前は体が弱いのだから気をつけろと何度云ったら分かる。
何度言い聞かせても分からぬなど悪だ」
「ごめんなさい…」
それきり、会話は途絶える。
「桜…咲いてるのね」
市が唐突に云う。彼女の元にも、春の到来を喜ぶ声は聞こえていた。
長政は、市が城から出られない事に気付いて黙る。
市は恍惚としたように微笑んだ。
「きっと綺麗よね…。小さな桃色の花を沢山咲かせているのよ」
長政は、少し残念そうな市を見て、すぐに立ち上がる。
「長政様…何処へ行くの?」
「五月蠅い、良いから寝ていろ」
悲しそうな顔をした市を一瞥し、長政は部屋を出た。
寝ていろと云われた市は、云われたままに目を閉じていた。
そうしている内に、本当に眠ってしまったらしい。
体の怠さが抜けた気が、しないでもない。
ゆっくりと体を起こして、枕元に誰かが居るのに気付いた。
「誰か」も、市が突然起きたのに驚いたらしい。
「…長政、さま…?」
「い、いや、これはだな。別に可哀想だから云々と云う事では無いのだぞ」
突然いい訳めいたことを言い出すので、市は首を傾げる。
そして、長政が何かを持っているのに気付いた。
それは桃色の花が付いた、桜の枝だった。
「…桜…、折っちゃったの?」
「な、何だ不満か」
「ううん…、嬉しい。有り難う長政様、とっても綺麗」
市が手を伸ばすと、長政がおどおどと枝を差し出す。
「有り難う…。市、大事にする。あと、来年は絶対に風邪、引かないから」
「………うむ」
市は、嬉しそうに笑った。
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