tokiya/long

木漏れ日の ballade
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教室に現れた転入生、○○××は、一見どこにでもいそうなただの少女だった。

けれど、彼女が教室に入って来た瞬間、その場の空気がふわりと優しく、しかし確実に変化したのを私は感じ取った。それは、彼女が転入生だからというだけのものではないようでした。

これは後で知ったことですが、作曲家ならまだしも、彼女はアイドル志望だという。彼女は華やかで目立つタイプの人間とは決して言えなかった。これからアイドルを目指す人間には見えない、といえばそうでしょう。

しかし、彼女には何か人の目を引くものがあった。この学園に入り、アイドルを目指すという者なら、誰もが、いわゆるオーラと呼ばれる特有の空気を持っている。それがなければ、これから先ステージで人を惹きつけることなどできませんからね。そして確かに、彼女もそれを持っていたのです。

何もせずともそこにいるだけで、皆の視線をひとりで奪ってしまう。思わず彼女に意識を持っていかれる。その物静かさの中に強い独特のなにかを秘めていて、それに自然と惹かれてしまう…一般にアイドルとして想像されるであろう光輝くようなまぶしさはないかもしれませんが、彼女を見ていてそんな印象を受けました。

そうとは言え、彼女はこれで本当にアイドルになるというのでしょうか。彼女の振る舞いや他人に対する受け答えなどを観察してみるに、とてもそうなれるとは思えない。いつも所在なさげにうつむいて委縮していますし、周囲に対し何かしらひどく遠慮しているように見える。

アイドルとは誰かに夢を与え、常にまぶしく輝く存在です。まず自分に自信がなければ、人の前に立ち笑顔を振りまくことなどできないでしょう。
私はもちろん、レンや翔、音也など、アイドルを目指す誰もが自信に満ち溢れ、自分こそがステージで光を浴びるのだと、日々牽制し合い切磋琢磨しています。そんな中で、彼女はこれから生き抜いていけるのでしょうか。クラス全員の注意が向いていたとは言え、アイドルになればそれより遥かに多くの人間の視線にさらされることになるのです。自己紹介程度であのように緊張しているようでは、ステージライトに包まれての十分なパフォーマンスなどできるはずがありません。
朝礼後の教室。隣の席に座る転入生の存在を視界の隅にとらえる。
はあ、私がそう考えているうちにも、あっという間にレンや翔に絡まれ、なす術もなく途方に暮れているではありませんか。

レンと翔は真っ先に彼女に絡んでいきましたが、その他の人たちは彼女に近づくのをためらっているようでした。確かに彼女はまさに、高嶺の花、というのでしょうか。純真すぎて近寄れないといいますか…触れていいものかどうかこちらが迷うような雰囲気がある。しかし、芸能界に出ていこうという者がそれほどのことで躊躇していては先が知れたというものです。レンと翔はその点、見所があると言っていいのでしょうね。
もっとも、彼らのことです、ただ単に彼女に興味を抱いただけかもしれませんが…。

しかし私らしくもなく、困った表情の彼女に思わず助け船を出してしまいました。私も彼女のその雰囲気に、知らず知らず飲まれてしまっていたのでしょうか?その後のレン達とのやりとりから察するに、雰囲気だけではなく、彼女自身もずいぶん人の興味を引く人間のようです。
…それに、私のこの顔を見てHAYATOの弟だと知り、あれほど落ち着いた反応を返す人などめったにいませんし…。

いえ、あのままあの騒ぎを放置していれば、きっと収集がつかず授業開始の妨げになったに違いない。だから彼女に関わった、ただそれだけ…そういうことにしておきましょう。



その後彼女は、今度は様々なクラスメイトに囲まれてあたふたしていました。自己紹介では名前しか知らされなかったのですから、もっと詳しい情報を知りたいと皆が質問をぶつけるのも無理はない。翔たちが話しかけるのを見て、自らも彼女に接触する勇気が出たのでしょう。
…しかし、少々困りますね。隣の席でこのように騒がれては、私が読書にあてる静かで貴重な時間が妨害されるというものです。

彼女がひたすら皆の質問に答えている声を聞きながら、思わず私がため息をついたのと同時。レンが私の席の前、翔の席に座り、どこか楽しげに私に話しかけてきました。
…いつもながら不愉快な笑みですね。


「なあ、聞いてたかい?彼女、どうやらボスのスカウトで入学したみたいだぜ」

そう言いながら、視線で彼女…○○さんを示す。

「…なんですって?」

つい聞き返してしまった私を見て、一層愉快そうにその笑みを深めたレンは、私に顔を近づけるとひっそりとした小声で話し始めた。

「彼女とクラスの皆とのやりとりを傍で聞いてたんだけどさ。彼女、どうして一か月も遅れて入学してきたのかって質問に、いろいろと手続きに手間取ってしまって、って答えたんだ。それは何でなのかって聞かれたら、ちょっと事情がありまして…って、言葉を濁した。問題はその事情が何かってことだが…」

そこでもったいぶるように言葉を切ったレン。見ると、意地の悪い目でこちらを見ています。もったいぶっていないでさっさと言いなさい、まったく。
私はレンを無言でにらみ、その先を早く言うようにと促した。

「…彼女ははっきりとは言わないが、俺たちと同じように普通に入学するはずだったなら、手続きにこんなに時間がかかるとは思えない。つまりあの試験を受けてないってことじゃないか?入学試験を受けていないのにこの学園に入って来たってことはつまり、入学予定ではなかったが、ボスに引き抜かれて急に入学が決まり、そしてこの学園にやって来たと、そう考えるのが自然だ。目をつけたのがボスでなきゃ、こんなに遅れての入学なんて普通認められないだろう」


「ほう…。」

私は顎に手を当てうなずいた。なるほど、なかなかの推理力ですね。あながち間違っているとは言えないでしょう。もしそれが本当なら、非常に興味深い事実です。確かにこれは表立って話すことではない。


「…何故、それを私に?」

しかし、レンは何故私にこんな話をしたのでしょう。この男のことです、何か企んでいるのでは?


「さあ、何故だろうねえ…これが事実だとしたら、かなりのスクープだ。彼女がはっきりそのことを言わないのも、自分が異例だと自覚してのことなのだろうし。イッチーも彼女には興味を引かれたみたいだったから言ってみただけさ。深い意味はないよ」

そう言って軽く手を上げ去っていくレンを見ながら、私はまた考える。
レンが私にこんな話をした理由よりも、もっとひっかかることがあった。


早乙女さんは私にも学園に来るよう声をかけてくれましたが、競争率の高い入学試験を自分で乗り越えてみせろと言った。私の実力を信じていたと言えばそうなのでしょうが、換言すればつまり私でさえスカウトするには値しない人物だということです。

しかし、彼女…○○さんは違うというのか。
彼女がそれほどの価値のある人材だと?

私を…超えるような?


早乙女さんがそう言うのなら、間違いなくそうなのでしょうが…。

このときの私はそのことで頭がいっぱいで、まったく気がついていませんでした。そんな私を楽しげに見ているレンの視線に…。ああ、情けないことです。

そうとも知らず、軽い敗北感と悔しさを抱いた私は、もう一度、人波の中あたふたしている○○さんを見やった。

まだ、レンの話が事実だと決まったわけではない。しかし…。

私にはとても、彼女がそんな素質を秘めているようには見えなかった。


こんな私の考えは、この後のとある学校行事ですっかり覆されることになる。




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