tokiya/long

ある歌姫のprelude
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5月、初夏。

桜なんてとうに散り、吹き抜ける風には新緑の爽やかさが舞う。
入学式の雰囲気なんてかけらも残っていないその場所に、私はひとり静かに訪れた。

校門をくぐる直前で足を止め、佇み、早乙女学園、と彫られたレリーフをじっと見つめる。


そこで私は、改めて自分の格好を確認してみた。

ふわふわでかわいいオレンジのスカート。かっちりした着慣れない上着。胸の前のリボンはきゅっと結んで、ほどけないように。その側で光る3つの星が、太陽を反射してきらりと輝いた。

夢じゃない。
私は今日から、この学園の生徒になるんだ。

実際にこの学園の門前に立ってやっと、それが現実なんだとじわじわ実感しはじめる。

そうして自然と思い出されるのは、約2ヶ月ほど前のこと。
私、○○××が高校を卒業した日のこと…。
















式はなんの問題もなく終了した。
卒業の余韻に浸り、互いに笑い涙を流し拭う同級生たちを尻目に、私はその合間を縫い淡々と足を進める。

高校時代、それなりに思い出がなかったわけではない。
友達と呼べる人もいたし、勉強もそつなくこなした。

ただ、今、笑顔も涙も湧いては来ない。

笑い涙する皆の心に共通してあるのは、思い思いの過ぎ去りし高校時代だろう。
しかしそれはもう過去のこと。
過ぎ去った日々を懐かしみ、惜しんで、一体何が生まれるのか。

それが無駄なことだとは思わないが、
これは終わりとともに、新たな始まりの時でもある。むしろ後者だ。
これも人生の、数あるひとつの小さな通過点に過ぎないから、
私は過去を思い返すよりも、未来に思考を巡らせる方を選ぶというだけ。



私にはどこか冷めたところがある。それは自分が一番よくわかっている。
これまでに幾度感じたことか…肌をじくじくと刺す周囲との温度差と、冷めた自分への嫌気を振り払うように、私は歩調を速めた。











その足で向かったのは、通学路からは少し逸れた道の先にある、小高い丸い丘。

ここは私がよく訪れる場所だった。

青々と地面にしがみつく芝生を踏み締めながら、登り慣れたその頂上を目指す。見上げる先にそびえるのは、一本の大きな楠。

それ以外には見渡す限り何もない、物寂しいこの丘。私はこの飾らない場所がすきだった。静かで、この楠以外には目に見えるものは何もない。だから滅多に人が来ることはなかった。
…この時、私があんなにも油断していたのはそのせいもあるだろう。

そうしてたどりついた丘の頂上で、眼下に広がるこの街を見下ろす。
優しい斜陽の中の街は、帰宅する人々の気配でそわそわしている。
どこまでも広がるかのような空には、夕闇の色が漂い始めていた。
その見慣れた風景をすいっと見渡して、楠の下、目を閉じる。


一人きりになりたいとき、私は学校帰りにここに立ち寄った。
ひとりは楽だ。ずっと他人の中で過ごしていると、苦しくて、息が詰まる。
私がここに立ち寄るのは、考えをまとめたいとき。悩みがあったとき。なんとなくぼーっとしたいとき…そして、

歌を歌いたいとき。


思い切り息を吸い込んで、

私はそっと歌い始める。

唇からこぼれた曲は、穏やかなバラード。
優しいけれど切ない、別れの曲。
今、私は何を感じて、何を思っているのか。
思いがそのまま、歌になる。
何も考えずとも、心のままに、自然に音が私からあふれだして。
どうしてこの歌を歌うのかとか、そういうのはどうだっていい。
歌いたいから歌う。それでいい。

歌はすきだ。
ときに、言葉よりも雄弁に私の気持ちを表してくれる。
はっきりとかたちにできない感情をメロディに託して、胸の中にあるものを外に紡ぎだす。
思いを言葉にするのは、ときどき難しくて、もどかしい。
そんなとき私は、言葉を紡ぐ代わりに歌を歌う。

言葉は人を傷つけることがあるけれど…歌はそんなことはしない。
言葉はそれを受け止めてくれる相手を必要とするけれど、歌は一人でも歌える。
この丘でひとり、感情に身を任せ、何も考えずただ音を風に乗せる。
私の、心安らぐ時間。






歌い終わって、眼を開けた。
ほう、と、ため息がこぼれる。
気持ちが少し、楽になった。


私はこの春から大学生になるはずだ。
将来したいこともないし、就きたい具体的な職業もない。
夢、が、ない。
いつの間にか先生の言うがまま、無難に大学に進学することになった。
ここからは遠く離れた、都会の喧騒にまみれた街に移る。
もうここへは、しばらく来られない。

夕凪に誘われて、その場にすとんと腰を落とすと、傍らに咲く花が目に入った。
風に揺れる薄桃の花びらを見つめ、膝を抱え込む。

大学に行ったところで、私のしたいことなんて見つかるんだろうか。
他人に決められたも同然の私の未来はおぼろげで、なんだか他人事のよう。

私の本当にしたいことってなんだろう。大学で見つけなくちゃ。見つかるだろうか。見知らぬ、新しい場所で生きていくんだ。この丘に代わる、ひとりになれる場所はあるかな…。

ぼうっととめどない思案にふけっていた私は気がつかなかった。私の背後ににじり寄る、怪しく大きな人影に…。





「す〜すすすすすんばらしいデース!!!!!!」

「!?!?!?」

突然耳元で大きな声がして、私はとっさに声も出ず硬直した。
な、なに…!?
びっくりして心臓が飛び出るかと思った…!
動悸のおさまらない胸を抑えて後ろを振り返ると、そこにいたのは…。

「シャ、シャイニング早乙女!?」

瞬間びしっと決めポーズを固めるその人。

「イエェス、そのとーおーり!!!ミーはシャイニング早乙女デース!」

こんなにも存在感がありすぎる人を間違えるはずがない。
ダンディな低音ボイスに、キラリと光るサングラス。奇抜なスーツ、人間とは思えない体躯。
生で見るとオーラがすごくて圧倒されるなあ…。
それにしても、TVでもよく見るあの有名な人が、なんでこんなところに…。

「ふっふっふ、ちょーっとこの近くを通りかかったのヨン!」

…心まで読めるんだろうか、この人…。


「そ・れ・よ・り・モ!」

ひっ!
目の前の出来事についていけず茫然としていると、突然シャイニングさんの顔がずいっと急接近した。近い!近いです!
やっと動悸がおさまりかけてたのに…この人、心臓に悪い…!

「アナタの歌、すんばらしいデース!!!心に響きマシター!!」

「え…!?」

聞かれてた…私の歌!?
ここには誰も来ないと思って油断してた…今日は考え事してて上の空だったし…。
しまった。ひとりで歌を歌ってるところを人に見られるなんて、恥ずかしいし気まずいから気をつけてたつもりだったのに!
後悔と反省に暮れる私を余所に、シャイニングさんはぶつぶつと何かしゃべっていた。

「これはすンばらしい逸材デース…声、表現力、そして何よりこの、伝わってくるココロ!」

顎に手を当てて、何事か思案している様子だ。声は小さくて、よく聞き取れない。

「これからもっと伸びる素材…これはゼヒうちの事務所にぃ…」

まだ独り言をつぶやいているシャイニングさん…どうしたらいいんだろう。すごく、居辛い…もう帰ってもいいかな…?

「他の生徒の士気を上げることにもなるか…むーん」

よし、これは逃げよう。いたたまれなくなってその場から駆け出そうとしたときだった。

「ヘイYOU!アナタ!」

「は、はい!?」

走り出そうとした腕をガシッと勢いよくつかまれ、逃がさないとばかりにそのままずずいっと迫られる。

うわわわ、さっきよりも、ち、近いいぃ…!

「アナタの〜お名前は?」

近すぎてもう焦点が合わない距離で尋ねられ、戸惑いながら自分の名前を口にする。

「え……○○××、ですが…」

「ほほう。では、○○サーン」

するとシャイニングさんは、満足げににんまりと笑って、言った。
私の運命を変えることになった、信じられない一言を。

「私の学園に来ませんカ〜!?」




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