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□1st.日常
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 食欲が落ちたかもしれない。
 時刻は正午を少し過ぎた頃。広々とした公園の端に設置されている木陰のベンチで背もたれに体を預けたまま、遊馬崎倖貴は他人事のようにそう思った。

 幼児から高齢者まで幅広い世代が利用できるように造られたこの公園は、児童用のアスレチック玩具などはなく、葉を繁らせた木や青い芝の広大な広場をウォーキングやジョギングの為の道路がぐるりと囲むようになっている。
 住宅街とオフィス街のちょうど中間あたりに造られているため、午前中は元気に走り回る子供達のはしゃぐ声が響く。そして、今この正午を過ぎた時間帯は、午後に体力を繋げるために社員達が食事を取っていた。園内の端には弁当を売りに来る車もこの時間帯はいるらしい。
 また、倖貴もここで食事をとるのが日課だった。
 倖貴の周りには同じタイプのベンチが数個並んでいる。だが倖貴を避けるように喧騒は遠い。社員達のとある杞憂のおかげで、倖貴はコンピュータや報告書から解放され、静かに過ごせるこの時間に癒されていた。
 倖貴は背もたれに預けていた体を起こし、ディスプレイを見過ぎて疲れきっていた目を開けた。木漏れ日が、瞼の裏を見つめていた瞳に眩しい。2、3度瞬きをして周りの明るさに慣れさせると、倖貴は膝に置いたコンビニ弁当を見下ろした。3分の1ほどしか減っていなかったが、もうとうに食欲は無くなっていた。
 彼は別に少食という訳ではなかった。
 倖貴は溜息をひとつ落とし、数分前のように背もたれに身を預け目を閉じる。
 瞼の裏の薄ら赤い闇を見つめながら、鳥の鳴き声や風に揺らされた木の立てるさわやかな音に心を埋めた。

 これが倖貴の日常だ。
 朝早く出勤し、夜遅くまでまた働く。会社を立ち上げた当時のように、忙しさに目を回して体調を崩す、ということは少なくなった。が、その頃よりも精神の摩耗は激しくなった。正体の分からない漠然とした不安が徐々に肩の上に乗っていくようで、その重さで体力を削がれるのだ。
 今年、倖貴は26歳になる。
 大学を卒業したあと直ぐに立ち上げた会社は、坂をボールが転がっていくような早さで発展し、今では胸を張れるほどの一流企業にまで成長した。しかし、それが家の七光でないとは言えないのだ。
 仕事は好きだ。全力で打ち込んでいける。それでも時々、自分の中で隙間風が吹いているような気がした。ただただ疲労し、それに見合う満足感も得られない。それでも仕事以外に大して興味も湧かない。
 毎日食べて働いて寝る。それ以外に何もない。
 倖貴自身、この空虚とも言える感情を満たされる日が来るとは思っていないのだ。

 重たい腕を目の高さまで持ち上げて時刻を確認する。まだ時間はあったが、昼食も終わってやることが無い。帰って仕事の続きをしようと思い立ち上がった。
 食べ残した弁当にもう一度プラスチックの蓋をして、すぐ傍に設置されているごみ箱へと食べ残しもまとめて放り込んだ。別に買った物だった。捨てても惜しくない。
 軽く肩を回して体をほぐす。何処かの骨が小気味よくポキポキと鳴る。最後にぐるりと一周首を回して、倖貴は会社へ足を向けた。

 ベンチには木漏れ日だけが残された。
 小鳥の囀りが聴こえる。








end.

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