Novel3

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「で?今日も静雄に会いに行ったの?」

新羅の言葉に、臨也はこくりと頷いた。満遍なく水滴のついたグラスは、臨也の指を濡らす。
静雄はどう?そう尋ねられ、臨也はグラスを握り締めて俯いた。コースターに雫が落ちて、小さな水溜まりを作る。

「…一昨日、付き合った記念日だった」

「そうだったね、おめでとう」

「昨日も、会いに行った。でも、やっぱりシズちゃんは憶えてなかった」

「…そう」

眼鏡越しの瞳が臨也を優しく包む。今まで散々迷惑もかけてきた。協力もしてもらってきた。だからこそ、その瞳が切ない。
瞼を閉ざせば、昨日のことが蘇る。
キスをした。突き飛ばされた。手前なんか知らないと言われた。
けれど今日も、どちら様、から始まった。臨也に刺した棘など、何一つ忘れて。
何度忘れ去られても傍にいようと決めたのに、今はその覚悟すらも遠い。日増しに増えていく胸の傷が痛くて辛い。
苦しくなった喉を通すようにグラスを仰げば、新羅が口を開いた。

「今の臨也は見ていられないよ。
…好きな気持ちが見てるだけで分かるから、痛い。」

何、新羅らしくないね。ズキリと痛みの走った胸を誤魔化すようにそう言おうとしたのだけれど。
臨也の言葉を遮るように、新羅は至極真剣な瞳で言った。


「ねぇ、静雄を忘れなよ」


は、と声が漏れた。あまりに唐突な言葉に、臨也の思考はシャットダウンする。
固まったまま新羅を見る臨也に、新羅は瞼を閉ざすと小さく微笑んだ。まるで、静雄を愛するがために焦燥する臨也を赦すかのように。

「友達に戻るのだって良い。喧嘩相手になるのだって、いっそ他人になるのだって。誰も責めたりしないんだから」

反対したかった。自分がしたくてしているのだからいいのだと、言い切りたかった。けれど、新羅の声があまりにも優しくて。
恋人でいたい。友達にも喧嘩相手にも戻りたくない。他人になんてなりたくない。
けれど、唇が震えて喉が苦しくて、声が出なくて。
そんな臨也に、新羅は静かに言う。

「静雄の記憶が戻る確証が無い今、臨也は静雄を忘れるべきだよ。だっていくら臨也が愛しても、静雄が臨也を意識しても、次の日には赤の他人になっちゃうんだから」

「そんな、こと、ない」

どうにか紡ぎ出した声は、震えた。
シズちゃんにとっては赤の他人であっても、俺にとっては大切な恋人。どんなに突き放されても、傍にいたい人。
だから、記憶を無くしているとしても、静雄を独りにしたくない。

…そこで、ふと過った。
自分が、静雄の迷惑になっているのではないか。
所詮、これは静雄と離れたくない自分本位のわがまま。それを、毎日記憶を塗り替えるのをいいことに押し付けているだけなのではないか。
毎日初対面の静雄を困惑させて、自分まで小さなことで傷付いて。
静雄を困らせるなら、いっそのこと、

「静雄よりも、臨也が可哀想だ。静雄が記憶を無くしていると知ったときにすぐに離れることを提案してあげられなかった僕も悪かったけど…。忘れられやしないのに、毎日毎日愛しい人に訝しげな顔で見られるなんて、耐えられない」

「俺は大丈夫だよ。
でも…もう、止めた方がいいのかな…」

ぽつりと紡がれた細い声に、新羅は小さく微笑んだ。

「臨也が思うようにすればいいよ。何したって、ちゃんと臨也の味方でいてあげるから」

優しい声が痛い。
臨也は何も言えないまま、小さく頷いてグラスを握り締めた。
指が、冷たかった。



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