*アイタイ。

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「風呂はこっち。トイレはこっち。
服は…あんまり持ってねぇから臨也の家に後で取りに行く」

臨也はまるで餌付けされた仔猫のように静雄に付いて回りながら、静雄の言葉に頷いては歩いた。
これから記憶を取り戻すまで、家で一緒に暮すためだ。
少々、丁寧すぎる気はしなくも無いが。

…と、不意に臨也が確かめるような口調で言葉を紡いだ。

「静雄、さん?」

一瞬、誰の事か分からなかった。
そうだ、シズちゃんなんて馬鹿げた呼び方をするのは臨也だけだから、
シズちゃんなんて呼び方思い出しもしないのか。
静雄さんと呼んで来る奴は沢山いる。少なくとも、シズちゃんと呼ぶ奴よりは。
それなのに、妙な違和感が心を揺らした。

「…何だ?」

静雄が間を開けて返事をする。
臨也は、静雄の瞳を真っ直ぐ見て言った。
何処か心配そうに。

「本当に良いんですか?
別に、家まで帰れれば記憶なんか無くても暮らせ」

「黙れ」

静雄の声に、臨也の口はぴたりと止まった。
手首を掴んで握ってやれば、臨也の顔が僅かに苦痛で歪められる。
その頬を更に抓ると、流石に痛みに堪えられなかったのだろう、
臨也の手が静雄の手を振り払った。
しかし臨也は直ぐにハッとして、静雄を申し訳無さそうな眼で見た。

「ご、ごめ――んぐ」

謝罪の言葉を紡ごうとした唇を、掌で塞いでやった。
焦りつつもどうすれば良いか解らない状況に、困ったように上目気味に静雄を見上げた臨也へ、笑ってやった。
全てを押し切るような、強かな笑顔で。

「反抗ばっかりなのが臨也だ。
全部肯定されたり、素直に言う事を聞かれると違和感がする」

静雄の言葉に臨也は一瞬ポカンとし、
言葉の咀嚼と同時に笑った。
眩しいような、暗闇の中の光みたいな。
そういえば、高校の頃の休戦代わりの昼休みに、見たことがあった気がする。

「判りました、静雄さん」

なんだかほっとして、
記憶のある臨也とダブってはブレて、胸が少し痛んだ。


俺は、変だ。
臨也の記憶が戻らない方が、今の素直な臨也のほうが、都合は良いはずなのに。
何かが途切れてしまった気しかしなくて、妙に孤独で、
思い出して欲しい、と思っている。

『テメエは俺をシズちゃんなんていう馬鹿げた呼び方をしていた』
そう言わなかったのは、
『無理矢理に思い出させたくなかったから』
…そんなのは、上辺だけで。




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