短 文

□道を違える事無く、ずっと。
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出立の準備中に文若殿は、執務室で私に愛の告白めいた言葉を仰った。

しかし、それは…本当の意味で私に向けられたものではないと理解している。
主と仰ぎ懸命に支えて来られた方からの 事実上の決別を言い渡された彼が、虚しさや寂しさに追い詰められて何かに縋ってしまいたくなった時に、偶々私が身近に居ただけの事。

私でなくとも、他の誰が近くに居ても、彼は同じ言葉を紡いだのだろう。



文若殿は長旅の馬車内でも私と隣同士に座ることを所望なさり、更には道中 こんな言葉を頂いた。


「あちらに着いたら、ひとときも離れず…ずっと私の傍に居てください。」


切なそうな、寂しそうな、お顔で。
優しく握られた手は、やはり とても冷たくて。


「…朝 目覚めたら腕の中に貴女が居て、一緒に食事をし、共に仕事をこなし、宵には貴女を抱きしめて眠り、夢の中でさえも…。それが、私の願いです。」

「何故、私に そのようなお言葉を…?」

「予感がしているのです。貴女ならば、それを叶えてくださると。いつまでも私と伴に歩んでくださる…と。」


私を見つめる瞳は、痛々しいほどに揺れていた。

私が想像する何倍も辛いだろう心境を察する。
そして、彼が見つめるのは'私そのもの'ではなく、彼を補佐できれば誰でも良いのだろうと察する。


両方の意味で彼を見ていられなくなって俯く私を、文若殿は優しく諌める。

「私から、目を逸らさないでください。…どうか、見捨てないでください。」

「そんな…。私などで宜しいのでしたら、ずっと文若殿にお仕えしたく存じます。」

「いいえ。…そうではなくて、」


言葉の続きを待っていたけれども、沈黙が流れる。
ちらり と様子を伺えば、文若殿は緩やかに首を横振なさった。


頬が、冷たい手に包まれた。

馬車の中には、積み荷の他は私達二人だけ。

文若殿は、お顔を静かに寄せてくる。

あまりの近さに。瓏々と冴える氷のような整った面立ちに。
思わず ぎゅっと目を閉じた。


「…すみません。怖がらせるつもりでは、なかったのですが…。」

おそるおそる目を開けて文若殿を見ると、以前のような穏やかな眼差しで私を見つめてくださっていた。

きっと、彼は私に、くちづけたかったのだろう。
それなのに、私が身を縮こませてしまったから。

私は、一時の慰み者に成る勇気すら持ち合わせていない。


「申し訳…ありません。」

「いえ。私の方こそ、軽率でした。…これから、いくらでも二人きりの時間が有るのですから、焦らぬように気を付けます。」


早めに言っておかなくてはならない。
私では、役不足だと。


「あの…っ。…私、……私には、文若殿の職務を補佐する事しか…出来ません。」

「…そうですか。……惨めに落ちぶれた今の私では、美しく聡明な貴女には相応しくありませんよね。…貴女の隣に立つことができるのは、地位も名誉も志も高い男性であり、私では…ないのでしょう。」

「いえ、私は、仰るほどの者ではありません。それに、文若殿は全てを備えていらっしゃると存じ上げております…!私が御伝えしたかったのは…文若殿の心の穴を埋める…などという大役は、私には務まりそうもない、という意味です…。」

文若殿は、私の発言に苦笑いを浮かべた。

「…お察しのとおり、私は空虚に苛まれていますが……私の心の穴が埋まるかどうかは、私が感じて私が決めることです。」

「ですが……私は、文若殿の御家柄や御立場には到底釣り合わず…。」

「そんな外聞は、関係ありません。私は、貴女を娶れなければ独り身を貫くつもりでいます。」

「娶…っ!?」

耳に飛び込んで来た言葉に、何としてでも思い直して頂かねば、と強く思う。

私ごときが、文若殿の妻になどなってはならないと、痛いほどに理解している。

「駄目です!文若殿は、もっと相応しい御方をお探しにならなければ…。」

「名無殿。…貴女以外の女性では、意味がありません。」

「…どうか、考えをお改め下さいませ。……私でしたら、幾らでも慰み者になりますから、だから奥方様になさるのは別の方に…。」

「慰み者、などと…。なぜ、そのような下卑た言葉を持ち出すのです。私は、貴女の身体だけが欲しいのではないのに。」

文若殿のお顔が、悲しげに歪む。

やはり見ていられなくて、私は俯いてしまう。


「貴女ならば、理解してくださっていると信じていたのですが。」


彼は僅かに腰を浮かせると、座る位置を私から半身分 遠ざけた。

かたかたと揺れる車輪の音が、やたらに騒々しく鳴っていた。


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ずっと、視線を感じる。

それに気付かない振りをして、荷解きに集中した。


在籍人数の少ない城内でも特に人通りのない一角の、離れのような建物。
ここは二人きりの執務室。

扉を隔てた隣には、居室となる小さな部屋が続いている。

つまりは文若殿は、城外に邸を持つことも許されず、此処に軟禁状態となるのだろう。


彼の付き人は私一人だったので、御自身も手を休めずに箱の中身を捌いていらっしゃる。

文若殿が作業を進める小さな音は確かに絶え間ないのに。

…見られている。


書棚に納める物を一旦全て箱から取り出し終えて、立ち上がった。

背後から、人が動く気配を感じる。

すぐそばに、ふわり と品のよい香が漂った。


「……やはり私は、貴女を諦めきれません。」


私の腹部あたりに、やんわりと腕が回される。

「貴女を想うと、此所が大きくなってしまいます。貴女に触れると、もっと大きくなってしまいます。」

静かに密着されて、臀部に感じる存在感に肩をびくつかせてしまう。

「だ…駄目です。…こんな場所では…。」

「別の場所…例えば、隣の部屋でならば、私を受け入れてくださいますか?」


長い沈黙を要したが。
決心を固める。

ほんのひとときでも、たとえ かりそめにでも。
貴方を満たすことが私に できるのならば。


「……はい。」

「でしたら此処でも、構わないでしょう?私達の他には、誰も居ないのですから。」


腕に力が加わった。
逃がさない、と言われているようだった。

尤も、私にも文若殿にも…逃げ場所などは、ない。


「どうか…浅ましい私を赦し、今すぐに愛を受け止めて頂けませんか?……夜まで、待てません。」

有無を言わせずに身体が反転させられる。

「出立前に、'落ち着いたら'と誓ったのに…。今すぐに、貴女に…挿れたい。」

そんな直接的な言葉…普段の清らかな文若殿からは想像できなくて、絶句してしまった。

「はやく、名無殿と ひとつに繋がりたい。」

しかし、私の襟を割り開きながら首筋に注がれるくちづけは 彼の印象そのもの。

ふわりと舞い降り、肌の上で溶けて儚く消えてしまう雪のような。


「どうか私と、道の違える事の無いよう ずっと傍に…。」

物腰柔らかに、唇が合わさる。
文若殿は、触れたまま微動だにしなかった。
しばらくそうして、二人ひとつになっていた。


どのくらいの時が経ったのか。
ゆっくりと離れていった彼の瞳は、微かに熱を帯びた輝きを湛えていた。

道中に怯えた様子を示した私に気を使って、だろう。
毀れものに触れるような、過剰なまでに優しく丁寧な愛撫を始める文若殿。

身体の芯から蕩け始めてしまった私は、彼の着物の袖を 強く握ってしまった。

慌てて、手を離す。

「あっ…。お召し物に、皺が…。」

「気になさらず、感じるまま…私に、身を委ねてください。」


まなざしも声もくちづけも触れる指先も、すべてが儚く 今にも消えてしまいそう。

わななきを抑えきれず崩れそうになる私の身体を支える為に 背中に回った彼の腕と、合わさった胸から伝わる鼓動だけが 私を逃がすまいと 力強い。

果たして私は、この御方の心の隙間を、埋めて差し上げられるのだろうか。


文若殿は、ぽつぽつと語りだす。

「名無殿でなければ、縋れなかった。ずっと寄り添っていてくださった貴女にだからこそ…私は全てを曝け出せる。そして心ばかりか身体まで望んでしまったのです。……私の元にいらしたその日に恋に落ちてからずっと、好きだったから。」


…こい…?

……恋、…?

やけに甘く、その二文字が心に響く。


「今日まで…正確に言えば都を去る日まで想いを伝える事を躊躇って居たのは…貴女を傷つけたくなくて、…いえ。……貴女に拒絶されたら、もう私は立ち直る事が不可能なまでに心が壊れてしまうから…です。」


愛撫を中断した文若殿は、淑やかに私の手を引く。

隣の部屋の寝具へと導かれるまま、横たわった。


「どうか、拒まないでください。こんなにも醜い、私ですが…。」

「文若殿は、醜くなどありません。」

「いいえ。醜く、浅ましい。私は、貴女と出逢ってから毎日…仕事中もずっと貴女の背中を目で追っていました。この腕に掻き抱きたい衝動を必死に抑えながら。」


こんなふうに、と覆い被さってくる文若殿に抱き締められる。


「名無殿。……名無。」

呼び直された時の声音の甘さに、鼓動が高まった。


「此処には、貴女と私しか居ないのですから…どうか貴女も、敬称を付けずに私を呼んでください。」

「ですが…。」

「お願いです。呼び方ひとつ取っても、何かが付いていると…貴女との距離が遠いようで……それが、怖い。」


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