魔法が解けるまで

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携帯で設定していたアラームが鳴り響いた。朝、6時。眠気に負けじとあくびを繰り返し脳へ酸素を供給する。低血圧の私は朝に弱い、でも仕事があるのだから起きないわけにもいかない、学生の時より増して平日は社会人にとって鬱陶しいものである。ただでさえ鬱陶しい平日、ましてや月曜日なんて職場なんかに赴くことすら億劫である。ああ、このまま一日中寝て入られたらなあ。なんてクズもいいところだ。
そんなこと考えてないで起きるか、と徐に腕を伸ばせばベッドの中で暖かくて何か硬いものに腕がぶつかった。


「…あんたねえ」


またいるの、という言葉までは紡がなかった。どうせ聞いてないし、聞いていたとしてもきっと勘の良いこいつなら言いたいことはわかるはずである。存外に呆れたような声が出た。しかし、隣で眠りこけている彼は私のそんな呟きに気がつくはずもなく、穏やかな顔で眠っている。

こんなことになったのも何度目であろうか。もう随分と既視感を覚える展開である。確かに夕べの私は一人で仕事から帰ってきて家事を済ませて一人で寝たはずなのに、朝になったらこの男が私の布団へと潜り込んできている。施錠もちゃんとしたはずだった、もういっそのことチェーンでもかけないとダメか。

最初こそびっくりしたものの、もう最近慣れてきてしまったあたり私も感覚が鈍ってきたのかもしれない。急に再会したかと思えばいつの間にか彼は私の家に寄り付くようになり、いつの間にか合鍵を作っていて、このように気が付いたら私の隣で寝ているのだ。訴えれば勝てるんじゃないのとは思うんだけど、彼のことは嫌いではないし、むしろ長年の愛着というか。彼氏かと問われれば、決してそうではない。彼はただの、そう、ただの幼馴染みである。


「ちょっと。今日は練習はないわけ?」
「…んん」
「起きなさいって」
「…ある」
「はあ。寝坊なんかしても知らないから」


のそのそと起き上がり、洗面所へ向かおうとすると、私の手に彼の手が絡まる。その手がなんとなく妖艶で…ってあほか。…私は仕事あるんだから、とその手を振り払う。振り払われた彼の手は力なくベッドの上を小さくバウンドした。起きる気はないようだ、小さく呻き声が聞こえたが寝返りを打って私に背を向けられた。全く、こいつ起きる気ないな。

彼の背中はTシャツ越しでもわかるくらい鍛えられている。高校の頃も力強くて、細身ながらも引き締まっていた身体は会わないうちにさらに逞しくなっていた。未完成だったそれは、さらに色気というオプションまでつけて帰ってきたのだ。なんとまあ厄介な。

あの頃からキャーキャーと黄色い声援を送られていたけれど、今となってはその何倍何十倍もの注目を集めているのだと思うと、やはり彼はいろんな意味で頭一つ秀でているのだろう。重圧に押し負けるでもなく、なお輝く。彼の凄いところだと思った。彼の隣で寝たいなんて思っている女は掃いて捨てるほどいるだろう、でも現実はそんな甘いものじゃない。私、いつかこれがばれたら刺されないだろうか。

するりとブラウスに腕を通し、ボタンを留める。くたくたのジャージを脱いでストッキングを履く。


「いい尻」
「……っ!」
「今日のパンツは白か。嫌いじゃない」


恐る恐る振り返るとニヤニヤした顔をこちらに向けた奴がいて、反射的に机の上にあった未開封の500mlのペットボトルを投げつけた。


「うっお、あぶねーだろ!」
「ヘンタイめ!」
「こっちに尻突き出してる方が悪いだろ、見てくれと言わんばかりだったじゃねえか」
「はぁ?あんたは一生寝てなさいよ!」


ヘンタイ。いつか付き合ってきた女に刺されろ!なんて暴言を浴びせてみれば、まあそうならないように気をつけるわ、なんて手をひらひらさせる。

心当たりでもあるんだろうか。昔っから女の子に愛想がよくて、誰にでも愛敬ふりまいてたからいつ刺されてもおかしくないと思う。有名になったんだから気をつけなさいよなんていったって聞く耳持ちやしない。ていうかそういう相手がいるんだったらうちに泊まり込むなっつの。こんな男と付き合ってすらないのに、私刺されたくないわよ。


「なあ七瀬。時間やべーんじゃねーの?」
「えっ、もうこんな時間!?あんたが構ってくるからもう…!」
「へいへーい」
「戸締りだけはよろしく」
「へーい」


気の無い返事なんてのはいつものこと。そういえば昔から私は彼に振り回されていて、なんだかんだ彼の面倒を見てしまう、結局歳ばかりくって大人になったって、根本的なところは全く変わっていないのだ、私も彼も。

だからこそ、惰性でこんな関係を続けている。彼氏でもないのに奴とともに過ごして面倒を見ているのは、きっとつまり、そういうこと。

鏡をチェック、メイクよし服装よし。いつもの私だ。


「じゃあ、いってきます」


この扉さえ閉まってしまうと、まるで彼と私の住む世界が隔てられたように感じる。いや、確かに私と彼の住む世界は違うのだ。…考えても無駄、はやく仕事に行こう。



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