意味深な音楽

□意味深な音楽
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牧のピアノレッスンは滞り無く進んで・・・いない事も無く・・・



「んー・・・指番号ふりますね。ちょっとピアノいいですか?」

牧は素直に椅子を譲る。桜は椅子の高さを調整すると、彼がたどたどしく弾いていた“Fly Me To The Moon”を軽々と初見でこなしていく。

「さすがですよね・・・」

ピアノをある程度弾く度に音符に番号をふるという行為を繰り返していた桜は、キョトンと牧を見つめた後ふわりと笑った。

「私、一応ピアノ専攻ですもの」

「でも、凄いですよ」

牧は一応学校のピアノをコソコソと使って、それなりに練習しているのに、と思うと悲しくもあるが・・・しかし、やはり感心してしまうのだ。

何の気なしにピアノを奏でる桜の手や腕を眺める。



きっと手は白魚の様に華奢でいて、しなやかなんだろう・・・な?



その手は意外にも女性としてはかなり大きく、筋張っていた。牧は自分が抱いていたイメージと違って、かなり驚いてしまった。

桜は牧の表情を不思議そうに見つめ、彼の視線を追うと、自分の手に辿り着くことに気付く。鍵盤から指を離し、苦笑しながらヒラヒラと掌を振った。

「ゴツゴツした手でしょう?」

「え?あ・・・まぁ」

そんなこと無いですよ、とは言えない牧に、桜は今度は声を上げて笑った。

「気になさらないでください。私の手が女らしくない事は、私自身がよく解ってますから」

「はぁ・・・」

牧はまいったな、という気持ちで軽く前髪をかきあげる。

「ピアノは演奏するために筋肉が必要なんです。“ピアニストは白魚の様な手”って話は嘘ですよ。細いと音量の面とか、音を響かせることは難しいです」

「音を響かせる?」

牧の質問にコクリと頷く。

「弱く柔らかく、尚且つ会場中に響く音を演奏する事は至難の技です。全身の力を指先に集めて、力む事無く鍵盤に届く様に・・・」

桜が話ながら奏でた美しい音は、突然空間に現われた後、部屋中に余韻を漂わせながら消えていった。

「俺の音と全然違う・・・」

牧は音質や音色の違いに溜息を吐く。同じピアノを弾いているのに、こんなにも異なるものか。

「違わなくちゃ、困ります」

桜の悪戯っぽい口調に、牧はそれもそうだな、と苦笑する。



「・・・紳一さんって、思った事は隠せないタイプですか?」

桜の視線に、少しからかいの色含まれた。

「え?んー・・・そう言われることがありますね」

牧は彼女の唐突な謎かけに、戸惑いながら答える。

彼のあたふたした様子に、桜はふわりと笑って、こう続けた。

「さぁ、指番号書いておきましたから。次はこの指使いで見てくださいね。指使いをこの通りにするとミスタッチも少なくなりますし、メロディの流れ方もスムーズに行きますよ。今日はお疲れさまでした」





***



「ここの左の伴奏は、まず和音で取ってもらえますか?音の位置を確かめる練習が必要ですね」

桜は指摘した小節に赤鉛筆でチェックを入れる。

「こうですか?」

牧は言われたように和音を弾いてみた。

「そうです。その位置感覚が掴めたら、指を一本ずつ動かしてください」

何度か和音を掴んだ後、指を上げて一音ずつバラバラに弾いてみる。

「少し指を上げすぎですね。動きを押さえて・・・」

そう言うと、桜は牧の左手をそっと押さえる。牧は心臓が口から飛び出るかと思ったが、ただ単に牧の指の動きをセーブするために添えたにすぎない。

「そう、そうです。バタバタ無駄に動かすと、ミスタッチの元になります」

桜はいたって平然と話を続けていた。

牧は彼女の少しひんやりとした手の平を意識しながら、言われたように指の動きを押さえた。

「そうです、前よりずっと良くなりましたね。じゃあ、そこを右手だけ弾いてもらえますか?」

メロディを飾る内声部の流れを意識するあまり、メロディが弱くなっている。

「内声ばかり気にすると、メロディが聞こえなくなりますから・・・少し音を削っちゃいましょう」

桜は内声の音を考えながらバツ印を付けていき、空いている高音部の鍵盤で音を確かめていた。

「何で音をパッパと削れるんですか?」

音を少なくしても、曲のアレンジに何ら問題無い。牧はその判断能力に舌を巻いた。

「私・・・前にホロヴィッツが好きだってお話した事覚えてます?」

「ええ。天才ピアニストでしたよね」

あの時の桜の、熱っぽい眼差しが思い出された。

「ホロヴィッツは、もともと作曲専攻だったんです。だから、自分で色々な曲をピアノ用に編曲してコンサートで演奏してました」

「へぇ・・・」

「私もホロヴィッツみたいに自分で編曲したり、作曲してみたかったので、作曲の勉強もしていたんです」

桜は話しをしながらも音を削っていく。話ながらも作業の手が止まない彼女を、牧はまじまじと見つめていた。

「凄い技術ですよね」

桜は手を止めて、首を傾げながら牧に向かい、微笑みながら首を柔らかく横に振る。

「紳一さんのバスケだって、凄い技術ですよ」

「え?」

牧はいきなりバスケの話が出て目を丸くした。

「バスケの試合は始まると待った無しでしょう?音楽も同じ面がありますけれど・・・全身の筋肉を使って、五感を最大限働かせて、しかもそれは瞬間の判断で、瞬時に行われて。私からしたら、そんな能力の存在なんて信じられません」

桜は言うだけ言うと、呆気に取られる牧を余所に、再び楽譜に向き合った。

「さあ、音が少なくなりましたよ。この通りに弾くと、前よりずっとメロディが聞こえやすくなります。今日はお疲れさまでした」



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