読み物(No.6)
□14.窓
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ざわざわと木々が揺れている。
一年前のあの嵐の夜程ではないが、強い風が時折吹き付けては木々をしならせ小さく唸り声を上げ、屋外の細々としたものを悪戯に転がして行く‐‐‐
ぼくは、ぼんやりと窓の外を眺める。
木の葉が互いに擦れ合い、ざわざわと音を立てる度に、ぼくの胸もざわざわと落ち着きなく騒いでいた。
こんな夜は、いつもあの日の事を…強い光を宿した明るい灰色の瞳に初めて出逢ったことを思い出す。
もしかしたら、あの少年がひょっこりと顔を出すのではないかと淡い期待を抱き、知らず知らずの内に窓に手を掛け開いていた。
この一年、何度も繰り返してきたその行為。
注意深く辺りを見回す。
クロノスを追われ、あの時とは住む場所も変わり手がかりのない状況の中、冷静に考えれば窓を開け放ってその姿を探したとしても、見つけ出せる可能性が限りなくゼロに近いことは分かりきっていた。
それにも拘らず、一定の条件が満たされた夜にはただ悪戯にそうすることを辞める事が出来ず、気が付くと窓から顔を覗かせていた。
濡れそぼった黒髪の細く小さな少年が何処かで困ってはいないだろうか…
何かに巻き込まれて、また怪我をしているのではないだろうかと‐‐‐
ざわざわと騒がしく揺れ動く胸の内に従うことがまるで儀式の様になっていた。
最新鋭の設備も、セキュリティシステムもない必要最低限の住まいでは、こんな日でも警戒音に邪魔されることなく窓を開け放てる。
いちいちセキュリティに気遣う必要もなくなり、己の気持ちが落ち着くまで窓を開け放っていた。
カァーン…カンカン‐‐‐
空き缶でも転がったのか、一段と高い大きな音が鳴り響き次第に小さく遠くなっていく。
ぼくは、音の鳴る方向に目を凝らし窓の外を見詰める。
今日はただ風が強いだけではない。
丁度、一年前のあの日と同じ日‐‐‐
…ぼくの誕生日。
もしかしたら…という想いが捨てきれない。
この一年、テレビや新聞が伝えるニュースにネズミのその後は語られることはなかった。
それは、ネズミが捕まらず逃げ切ることが出来ているということになるのか…それさえもぼくに判るはずもなく、ただ無事で居るに違いないという不思議な確信にも祈りにも似た感覚を抱いていた。
いつかまた再会できると信じることだけが、その頃のぼくの確かなモノだったんだと思う。
「…ネズミ…」
溜め息混じりに一人ごちる。
‐‐‐今、きみは何をして…何を想っているんだろうか…
「‐‐‐あい…たいな…」
屋外から吹き付ける風が一段と強くなり、あっと思った時には既に机の上に置いてあった資料が舞い上がり、ハラハラと空を舞っていた。
ぼくは急に現実に引き戻され、床にバラバラと落ちた資料を拾い集める。
机の下に滑り込んだ一枚を拾おうと、床に膝を付き屈み込んだ。
ふと、視界に飛び込んできたのは小さな生き物だった‐‐‐
「…?…ネズミ?」
ロストタウンですら殆んど…否、多分初めてだったのかもしれない生き物の姿に驚く。
実験用や剥製、図鑑などでは目にしていたが、実際に野生に生きているものを見たのは初めてで、思わず息をするのも忘れてジッと見詰めていた。
意外と柔らかそうな茶色い毛並みと小さな瞳が印象的で、ヒクヒクと鼻を動かしながら小ネズミもぼくの様子を伺うようにしていた。
「…おいで。」
ふっと息をつきながら手を伸ばす。
小さなネズミに触れてみたくなり差し出してはみたが、小ネズミは逃げるように机の奥に入り込む。
明らかに警戒されている。
「…当たり前か。」
何だか無性に可笑しくなり、笑いが溢れた。
あぁ…何か食べ物をと思い立ち、ぼくはその場を離れる。
母さんの売れ残りの一欠片のパンを持って来ると、もう一度机の下を覗く。
わくわくしていた。
小ネズミの所在を確認した途端に、ぱっと胸の奥が拓けたような気がした。
居てくれたことが、何よりも嬉しくてパンを小さく砕くと小ネズミより少し離れた所に置いてみる。
小ネズミは様子を伺うようにジッとぼくの顔を見詰める。
不思議な…
とても不思議な感覚がしていた。
懐かしいような…こそばゆいような上手く表現できない不思議な感覚にぼくは引き込まれるように小ネズミと向き合っていた。
ぼくがそうしている間、小ネズミは逃げようとはしないが、パン屑を口にすることもしなかった。