読み物(No.6)
□8.イブとネズミ
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紫苑は、テーブルの上に置かれた紙袋や箱の山をぼんやりと眺めていた。
あるとこには…あるものだな。と、呟くと何だかモヤモヤとする胃の辺りに手をやる。
ネズミが舞台へ上がった日は必ずと言っていいほど、贈り物を抱えて帰ってくる。
それにしても、今日はいつもより量が多い。
ネズミの仕事が何か知らなかった時も気になってはいたが、その時とは明らかに違う意味で、最近無性に気になって仕方がない。
「…紫苑、なんて顔してるんだ?」
紫苑は知らず知らずの内に眉間に皺を寄せていたのをネズミに指摘される。
シャワーを浴び終えたネズミが、タオルで髪を拭きながらストーブの前に座る。
「そんなに中身が気になるのか?」
からかいを含んだ口調で言うと、後ろ手で箱の一つに手を伸ばす。
風呂上がりにジーンズを履いた上には、素肌にシャツを軽く羽織っていただけのせいで、仰け反った拍子に引き締まった腹部が露になり、紫苑は慌てて目線を逸らす。
「そういうわけじゃないけど…今日はプレゼントが特別に多いなって思って…」
妙に脈拍が上がってしまったことを隠そうと、少しぞんざいな物言いになっていた。
「ああ…、これでも花束とかの扱いに困るものは置いて来てるんだけどな。」
ネズミは箱の蓋を開ける。
劇場から持ち出す前に必ず点検をしてから持ち帰るようにしていると、以前ネズミは言っていた。
過激なファンがたまにろくでもないものをくれると。
持って帰るものといえば、開封して確認済の安全そうな食品と衣料品のみということもあり、紫苑は当分の間、その正体を知らずにいた。
西ブロックの現状を紫苑なりに認識し始めた今、ネズミが持ち帰るものが如何に貴重で価値のあるものであるかということを知った。
だからこそ…余計にそれらの存在が気にかかる。
「紫苑、林檎食うか?」
呼び掛けに顔を挙げると、目の前に飛んできた林檎を慌てて受け取る。
「…有難う。…綺麗な林檎だね。」
西ブロックでは珍しい瑞々しく張りのある新鮮な林檎が箱の中には三個も入っていた。
自分が食べることにも事欠く者が大半のこの世界で、これだけの品物を贈るということ。
贈った相手のネズミへの深い想いが見え隠れし、強い焦燥感に襲われる。
紫苑は言い様のない不安を振り払うように林檎にかじりついた。
口の中にジュワッと甘酸っぱい林檎の果汁と薫りが広がり、懐かしい味がした。
No.6にいた時には、当たり前に食べていたその味‐‐‐
「…旨いな。かなり上等な林檎だ。」
「…すごいね。こんな高価なものまで貰えるんだ。」
「ああ、今回は特別なんだ。イブのバースデー特別公演だそうだ。」
ネズミはシャクリと音をたてて林檎にかじりつく。
「えっ?!ネズミの誕生日なの?!」
紫苑は慌てて立ち上がる。
何も用意してない!
と、言うより先にネズミが先を続ける。
「おれのじゃないよ。イブのだ。」
可笑しそうに笑うネズミに、紫苑がわけがわからないといった表情を浮かべる。
「ネズミが…イブだよね?」
「だから、支配人が集客アップの為に考えたイベントの一つだよ。イブは劇場の花形だからな。」
他人事の様に言う。
「…なんだ。」
紫苑はホッと息を吐くと、椅子の上にトスンと腰を落とす。
「それにしてもこれだけのお祝いを貰えるなんて、ネズミは本当にファンが多いんだね。」
モヤモヤとした苦い想いが、紫苑を締め付ける。
「…なんか遠い人みたいだ。」
ポツリと本音が溢れる。
ネズミは芯だけになった林檎を小ネズミ達の為に足元へ置く。
すぐに近くにいたハムレットとツキヨが林檎にかじりつく。
「‐‐‐あんた、バカか?」
ネズミはわざとらしく溜め息を吐くと、紫苑を見据える。
「…ネズミ?」
戸惑いの表情を隠せない紫苑。
「おれじゃない。イブのファンだ。舞台の上で演じているイブに、皆が好きなように幻想を描いているだけだ。」
ネズミは立ち上がり、紫苑に近づくと、ストーブの赤い炎に染まった白髪をさらりと撫でる。
紫苑の手の中に収まったままの林檎の芯を取ると、小ネズミ達に差し出す。
「あんたがいつまでもぼぅっとしてるから、こいつらがヨダレが垂れそうな勢いで見てるだろ。」
気付いてやれよ。と、くくっと喉を鳴らす。
「誰も生身のおれを見ているわけじゃない。」