読み物(漫才)
□4.甘い匂い
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薄闇の中、ふわりと薫る甘い匂いに誘われて、その匂いのする方にぼくは視線を移す。
「…歩?」
いつの間にか足を止め、ぼんやりと視線を漂わせたぼくを秋本は不思議そうに覗き込んだ。
「…なぁ、この匂い何だったっけ?」
訪ねながらも、ぼくははっきりとは思い出せない匂いの主を探していた。
「におい?」
秋本は鼻をくんくんと鳴らしながら、辺りを見回す。
「…ああ。…あれやな。」
思い当たる事があったのか、くんくんと匂いのする方に鼻先を向け、もうそんな時期か、と笑うとぼくの背中をポンと叩いた。
「あっちや。連れてったるわ。」
秋本はそう言うと、当たり前のようにぼくの手を握った。
最近、朝夕が少しずつ肌寒くなって来た事も手伝って指先が冷たくなってきていたぼくの手が、じんわりと温もりに包まれた。
「あっ、ちょ…こら、秋本!手、離せよ。」
ぼくは指先から拡がり始めた熱に驚き、慌てて手を振り払おうとする。
「気にせんかてかまんて。もう、薄暗うてあんまり見えとらんし、誰も居てへん。…それに、迷子になったらあかんやろ?」
振りほどこうとするぼくの手を更にぎゅっと強く握ると、振り向きながらニヤリと笑う。
「バカ!誰が迷子になるんだよ!」
「歩に決まっとるやないか。土地勘もあんまりないくせに。変な横道に逸れて、暗がりで変態さんにでも遭遇したら大変やで!」
ああっ…考えただけでゾッとするわっ!とか一人で盛り上がり始めた秋本に、ムカついたぼくは後頭部目掛けて鞄を振り上げた。
「おれは男だぞ。んな心配必要ないに決まってるだろ!」
バコンッといい音を立てて、上手い具合にヒットしたそれにぼくはちょっと満足する。
「うわっ痛っ!凶器はあかんで〜あゆむ〜。」
秋本は後頭部を擦りながらも、繋いだ手を離す気はないらしい。
ふらつきもしなかったし、手加減もしてやってたんだから、体して痛くはないのは分かりきっていた。
「おまえが、手を離さないからだろっ!片手が塞がってたんだから自業自得だよ。」
顔まで熱が上がってきたようで、なんだか耳まで熱い。
「心配しなくても、秋本ほどの変態には滅多にお目にかかれないだろうから、大丈夫だよ!」
フンッとそっぽを向いたのは、恐らく赤くなっている顔を隠すためだったのかもしれない。
「…変態って。このイケメンに、それはないやろ〜?!」
「誰がイケメンだよ!」
ぼくは可笑しくなって、ガックリと項垂れた秋本の背中をもう一度鞄で叩いてやった。
「歩、ここや。」
元いた場所から一本外れた通りに着くと、秋本は頭上を指差した。
そこには一軒の庭先からはみ出さんばかりに育った一本の樹。
むせ返るような甘い匂いを漂わせた橙色の花を咲き誇ろばせた樹が、佇んでいた。
「…あぁ。…金木犀だったのか。」
ぼくは胸のつかえが取れたようなスッキリとした気持ちで、金木犀を見上げた。
「それにしても凄いな。…風も殆んどないのに遠くまで薫るんだ。」
ぼくはすうっと大きく深呼吸する。甘いいい香りが胸の奥まで拡がる。
鮮やかな橙色は、薄闇の中でも強くその存在感を示していた。
「…咲いた思たら、一週間ほどで散って仕舞うんやけどな。でも一年に一回必ず、ここに居るんやでって、他の樹には真似できんほどの匂いさして、しっかり自己主張してるんやからオモロイ奴やで。」
秋本もぼくに倣うように大きく息を吸うと、繋いだ手にギュッと力を入れた。
樹に対してまで面白さを求めた秋本が可笑しくて、ぼくはぷっと吹き出した。
なぁ、歩と少し真剣な口調で静かに声を掛けられ、ぼくは秋本の方へ向き直る。
「甘い甘いこの匂いを、来年も一緒に見に来ような?」
「…えっ?」
一瞬、意味がわからなくて真っ白になった。
でも、次の瞬間一気に全身が発熱した。
「バカッ。何言ってんだよ。」
薄闇の中でも、見逃すことなんて出来ないくらい優しく微笑まれたその顔にどうしようもないほど胸が痛くなり、ぼくは慌てて手を振りほどこうとした。
でも、やっぱり秋本の力にはかなわなくって、仕方無く俯いた。
「…気が向いたら、…な。」
ぼくは、ぼそりとそんな言葉しか返せなかった。
あぁ、さっきまでの肌寒さはどこに行っちゃったんだろう‐‐‐
END
あとがき
甘々?(←疑問系かよっ!)
微妙な時期が書きたくて、書いたんですが、あゆあゆが乙女…(苦笑)