読み物(漫才)

□1.笑ろうて
1ページ/2ページ

振り返ったその表情に、おれは言葉を失った。




「ばかやろう」



いつもより少し掠れた声が震えていた‐‐‐



形の良い綺麗な唇が噛み締められ、今にも切れそうで痛々しい。



悔しさと苦しさと恥ずかしさに…今にも泣き出して仕舞いそうな表情を浮かべていた歩に、思わず息を飲んだ。



潤んだ瞳を縁取る朱が薄闇の中でも鮮やかすぎて、思わず目を細める。



どうしても…どうしても知らない振りなど出来る筈がなかった‐‐‐















その日、『おたやん』に来た歩は、恐らく自分とメグ以外にはいつも通りに映っていた筈だと思っていた。




メグは置いといても、少なくとも自分にとってはどこかぎこちなく、落ち着かない感じに映っていた。




歩を見ていることで、自然とその周辺から発せられる歩への視線も何とはなしに気付くようになっていたこともあり、何故かメグが歩の事を必要以上に見ている気がして、その事も酷く気になっていた。



二人の様子が気にかかる上に、また歩が何や要らんこと考えとるんやないか等と心配になり、こっそりメグを送る歩の後を追っていた。



一人になった歩を自宅に送りがてら様子を窺おうと、ついでにあわよくば送り狼にでもなれんかなと下心を覗かせていた途端に聞こえてきたメグの声。




『うち、瀬田くんのこと好きや』



心臓が大きく跳ねた。


キーーンと小さな電子音が響き始め、数秒遅れて耳鳴りだと気付く。



思わず、『ちょい待てぇ〜!』とか言いながら、飛び出しそうな自分を無理矢理落ち着かせ、息を潜めていた。


‐‐‐知らん間に、メグがライバルになっとった!あかん〜!あゆむ〜の可愛らしさにやられたんはやっぱりおれだけやなかった〜!ピンチや!!と暫しパニクる。



が、息を潜めている自分が酷く滑稽に映り、頭を抱える。



‐‐‐何やおれ、アホみたいやんけ…情けな…



深く落ち込みかけたおれを他所に続けられた会話から、事態を飲み込めはしたが、途端に気になり始めた歩の様子。





本当は、知らん訳がなかった‐‐‐





歩が引っ越して来て以来、ずっとその姿を追っていた。


わざと照れ隠しに冷たくする素振りも、人の気持ちの機微を必要以上に察してしまう所も、誰よりも優しく、可愛いいくせに意外と男気もある所もおれを魅了してやまなかった。



勿論、歩のその視線の先に誰が居るのかなんて、分かりすぎるぐらい分かっていた‐‐‐


生まれ育った環境も手伝って、おれは他人の気持ちなど、そう簡単に思い通りにならないと痛い程に知っていた。



メグが歩を振った事実は、今さらどうしようもない。



でも、その事で歩が傷付いているとなると話が違う。



他の人間なら、知らない振りで見過ごすことも出来た‐‐‐



が、歩は余りにも自分の中で特別な位置に居すぎていた。




知らず知らずの内に、足が動いていた。



泣いとるんやないかと思った。



いつもみたいに、抱き寄せて大丈夫やって、肩を叩きたかった。



でも、そんなことをしても今の歩が喜ぶ筈がないということも、判っていた。



どうすればいいのかなんて判らないままに気が付けば、歩のすぐ後ろに立っていた。






「ばかやろう……」






三度繰り返されたそのセリフの後に、胸元に寄せられた可愛い額がとんと触れる。



心臓が益々落ち着きを無くし、やかましいくらいに響いていた。



触れた胸元から、歩の体温が伝わり、思わず抱き締めてしまいそうになる。




でも、今そうすることは何だか弱味に付け入るような気がして抱き締める直前に、グッと拳を握って堪えた。



‐‐‐おれは弱った歩をどうにかしたい訳やない。ただ、どんな時も傍に居てるて知ってほしいだけなんや。





「歩」



握り締めていた拳を開くと、歩の背中を軽く叩く。



歩の泣き顔よりも、可愛いその笑顔が見たい。



‐‐‐辛い時や悲しい時に、他の誰でもなくおれの前で泣いてくれたらええ。その代わり、その泣き顔を笑顔に変えるんもおれの役目にさせてほしい。



でも、その事を伝えるのは今じゃない方がいい。


伝える代わりに、おれは目一杯の笑顔を歩に贈る。



「失恋ネタ。なんでやねんってツッコミいれる失恋ネタを連発、どうや?」



呆れる歩の声…



涙は止まったみたいやな。



なあ歩、嫌なことあっても、笑お。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ