treasures

□スターダスト・ラバー
1ページ/1ページ


ゆっくりと教会の扉を開けた先に待っていたのは、小さな二つの人影だった。
奇跡の泉の周りに咲く花々と共に佇む少女の髪には、リボンが揺れていた。
まるで自分の願いを形にしたような光景に、クラウドの心は震える。
だが、そんなことはあり得ない。
クラウドは自嘲するように薄い唇を持ち上げた。
「クラウド!遅いんだからっ!」
教会の天井に空いた大きな穴から降り注ぐ月明かりが、少女の満面の笑みを照らした。
隣にいる少年は生意気に肩を竦めた。
「何?クラウド、寝坊…?」
「…寝癖つけた奴が何言ってんだ…」
冷たい返答に、デンゼルは慌てて後頭部を触った。
マリンは腕を組んで深々と溜め息を吐いて言った。
「大変だったのよ…起こす!こんな大事な日に『後五分〜』って何回言われたことかっ」
出来の悪い生徒に言い含めるよう教師のように、彼女は殊更ゆったりと話した。
自分に向いた矛先を逸らそうと、デンゼルは口早に言った。
「何だよっ!クラウドの方が遅かったじゃないか!何やってたんだよ!」
クラウドは小さく肩を竦めて、手に持つ花束を掲げた。
真っ赤な薔薇が数十本。
暗闇の中でも艶やかな赤が映えていた。
「手ぶらなんて、恥ずかしい真似出来るかよ」
「…こんな時間にやってる花屋なんてあるのね…」
もう午前零時も間近な深夜。
だが、彼の持つ花束は美しく今まさに包まれたようだった。
「まぁ、大人にはいろんな方法があるんだよ…」
デンゼルとマリンは人差し指と親指で小さな円を作って、首を振った。
「金だな…」
「お金ね…」
クラウドはまた肩を竦めて、後は何も言わなかった。ゆっくりと顔を上げれば、天井の大穴からちかちかと瞬く星々が彼に微笑みかけていた。いつか彼女と見た星空と違って、冬の星座が煌めく夜空。
確実に移ろいゆく季節が二人の間に隔たる溝のようで憎らしかった。
だが、クラウドは笑っていた。
何処にいても、何をしていても彼女を思える自分が誇らしく思えて静かに笑った。
「どうして、今日なんだろうな…」
その言葉が合図だったかのように、マリンたちもそっと空を見上げた。
都市に近い空の輝きは、少し控えめだった。
「どうして…この日に星が降るんだろうな…」
話す度に白い息が冷えた空気中を舞った。
小さな星は白いもやで更に霞んでいった。
故郷の空よりも、あの時彼女たちと見上げた流星が躍る空よりも、弱々しい星たちがそこにいた。
「そう言えば…ティファは?」
ぽつりと零れた呟きが白い息と共に空に消える。
薄い雲の合間から見え隠れする三日月が三人を照らす。
「女二人で過ごさせてって言われたわ!」
「……そうか」
マリンは不満そうに呟いていたが、笑っていた。
「やっぱり、お姉ちゃんは見てくれてるんだね…」
彼女は小さな腕を空に向かって広げた。これから降り注ぐ星屑を一つも漏らさず受け止めようと、力一杯。
「ばぁちゃんも見てるといいよな!」
デンゼルは望遠鏡を覗き込み、星の動きに目を凝らした。
携帯端末を開くと、ディスプレイの日付が変わった。
午前零時、ついにやって来たこの瞬間にクラウドは泉にそっと花束を浮かべた。
月明かりに照らされて、真っ赤な花弁と揺れる水面が輝いていた。
「誕生日…おめでとう…」
返事をするように花束が風に揺れたその時、星が降り始めた。
「あっ!来た来たっ!」
デンゼルの声に空を見上げると、星が降り注いでいた。
マリンはカメラを構えて、必死にシャッターチャンスを狙っている。
次から次へとやって来る星が眩しかった。
同じように星が降る空を眺める彼女の横顔がくっきりと思い出させた。
吹き付けてきた冷たい風に乗って思い出の中の彼女が振り返って言った。


『ね、クラウド…。どうして、あなたに1ギルでお花売ったか…分かる?』


他愛もない会話だった。
余りにも他愛もなくて、思い出の奥に埋もれてしまった言葉。
そんな彼女の柔らかい問い掛けが、今になって意味を持ちきらきらと輝き出した。
「………どうしてだろうな…」
「えっ…?」
「どうして…俺はいつも貰ってばかりなんだろうな…」
マリンが振り返ると、力無く笑うクラウドが空を眺めていた。
遥か彼方、星の彼方へと旅立った後も次々とやって来る彼女からの温かな贈り物。その温もりに彼は目眩さえ感じた。
「……どうして、俺はいつも遅いんだろう…。どうして…いつも気付けないんだろうな…」
「………」
マリンは弱々しい声にじっと耳を傾けた。
きゅっと彼の手を握り、笑顔を浮かべる。どれだけ彼の手を握り締めても共有できない想い。言い様のない寂しさが彼女を襲った。
「どうして……」


『……定価だからだろ?』

『今はそういうことに、しといてあげる!でも、教えて、ね?何でか分かったら教えて、ね?約束、だよ?』


そう言って笑った彼女は何を思っていたのだろうか。
瞼の裏の彼女は、自分にとって都合の良い満面の笑顔。記憶を辿れば辿る程に真実が遠ざかり、彼が愛した笑顔が鮮明になる。
彼女の答え。彼女の想い。
自分の思う通りであったなら、どれだけ幸せなことか。
だが、もう彼には確かめる術はなかった。徐々に記憶が霞んでいくように、緩やかに向かう星の果てに辿り着くその時まで。
「もらった分…他の人にあげてるよ?クラウドは私たちに、たくさんたくさんくれてるよ…」
マリンの世界は、最早クラウドと彼を取り巻く思い出抜きには考えられないものだ。
いつもは必要以上によく動く口もこんな時は巧く回らない。それでもマリンは、自分の想いを伝えようと必死に喋った。
「だから…そんな顔しないで?クラウド、また私たちにちょうだい?お姉ちゃんからの贈り物、私たちにも…くれるよね?」
言葉の最後は懇願に近かった。
デンゼルがクラウドの空いた手をぎゅっと握って、マリンの言葉を受け継いだ。
「俺たちも、クラウドから貰ってばっかりだ…。それを、いつか誰かにあげたいよ…」
クラウドが漸く顔を上げた時、マリンは歯を食いしばって泣いていた。声を圧し殺して泣く様は、まるで自分そのもののように思えた。
「…何でマリンが泣くんだ…?」
「もう…っ!クラウド…ったら、本当…に、オ、オンナゴコ、ロが分から…ないんだから!」
嗚咽で切々になりながらも、マリンはくしゃくしゃと顔を歪めて笑った。
クラウドはぽんぽん、と小さな頭を撫でた。彼女の頭でピンク色のリボンが困ったように揺れていた。
「ありがとう…。俺の代わりに泣いてくれてるんだろう…?」
「ひっく…!そう、いう…こと、にして…あげるっ」
再び訪れた小さな奇跡に彼は目を見開く。そして、ゆっくりと口の端を持ち上げてから、珍しく声を上げて笑った。
何故笑われたのか分からないマリンは憮然とした表情をしていたが、やがて同じように笑った。デンゼルもゆっくりと笑みを浮かべた。
三人でひとしきり笑った後、マリンは息を整えてから言った。
「ねぇ…クラウド?明日のバースデーパーティーは、盛大にお祝いしよう?それでね、思いっきり言おう?ありがとうって!」
「……おめでとうじゃなくて、か?」
「そうっ!ありがとう!」
マリンはクラウドとデンゼルの手を握って笑った。
「私たちに出逢ってくれて、ありがとうってお姉ちゃんに言わなくちゃっ!」
きらきらと輝く蒼い瞳は夜闇に紛れ込まなかった。
クラウドは静かに笑った。あの空の向こう側、何億光年も遠くで笑っている彼女に向かって柔らかく目を細めた。
「本当だな…。ありがとう…だな…」
いつまでも、優しい贈り物をくれる愛しい人。
共に過ごした時間が、交わした会話が、見せてくれた微笑みが…全てが、星空から降り注ぐ贈り物だとクラウドは思った。
小さな二つの手を握り締めて、彼は困ったように微笑んだ。
泉に浮かぶ赤い花びらが踊るように揺れていた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ