小説
□炬燵
1ページ/1ページ
「こたつが欲しい」
突然隆茂が呟いた。
「こたつ?」
さて、こたつとは何だろう?
雪妖記−貴方と私とこたつ−
「却下よ」
こたつの説明を受けたあと、白菊ははっきりと言った。
「えーっ」
「りびんぐは私達2人の場所でしょう? 1人だけの為のものは置かないって言ったじゃない」
「そこをなんとかー!」
「駄目よ。暖房器具を置くなんて許しません」
白菊はぷいっと隆茂から視線を逸らして言う。
「…だってリビング寒いんだもん」
隆茂は机に突っ伏している。
「だったら自分の部屋で暖房つけていればいいでしょう?」
「だってそしたら白菊と…!」
隆茂がガバッと顔を上げて言いかけ、突然黙る。何か考えているようだった。
「?」
「…分かった」
隆茂は立ち上がる。
「隆茂?」
「寒いから、部屋戻る」
そして自分の部屋に入っていった。白菊は1人リビングに取り残される。
「……」
しかし1人でいてもすることもなく、白菊も自分の部屋に戻る。部屋に戻った白菊は冷房をつけた。布団と洋服箪笥のみの、飾り気のない部屋だ。布団の上に座り、隆茂が一緒に住もうと言ってくれたときのことを思い出す。躊躇う白菊に『白菊は自分の部屋では冷房つけてればいいし、それで2人で会うときはリビングで、リビングは暖房とかつけないようにして、ね? 雪とか氷とか欲しいなら自分の部屋に置いてくれてもいいし!』などと言い、必死で説得してくれた。本当に心から自分と一緒に住みたいと思ってくれているのだと感じた。なのに急にリビングにこたつが欲しいなどと言い出した。リビングは2人の場所だと言ったのに。
「…隆茂の嘘吐き」
白菊は呟いた。
部屋で1人でごろごろしたりぼーっとしたりしていると、お腹の鳴る時間になった。白菊は冷房を消して部屋を出る。部屋の外は当然白菊には暑い。廊下を歩いてリビングへ向かうが、隆茂はいない。冷蔵庫を開けて中を見る。見るだけですぐに閉めた。どうせ何も作れない。作ろうとしても、途中で材料や調理器具が凍ってしまう。次に冷凍室を開け、中のひんやりとした空気を味わう。そして閉めた。用はそれだけだ。
「…山が懐かしい」
白菊は呟いた。隆茂の部屋を振り返る。出てくる気配はない。白菊は1人で家を出て行った。
「白菊?」
歩いていると、声をかけられた。声のした方には見覚えのある人物がいる。
「…頼子?」
「久しぶりじゃん。元気?」
「ええ。頼子は?」
「あたしも元気だよ。何? どっか行くとこ?」
頼子は明るく話しかけてくる。白菊のことを友達の1人と認識してくれているようだった。
「ええ。ちょっと里帰りをしようかと」
頼子は眉をひそめる。
「…里帰り? 里って、そこの雪山のこと?」
白菊は頷いた。
「ええ」
「なら方向同じじゃん。一緒に行こ」
そして2人は歩き出す。歩き出してすぐ、頼子が口を開いた。
「喧嘩でもしたの? 隆くんと」
白菊は驚いて頼子を見る。
「えっ…そんなこと……いえ、喧嘩…なのかしら」
「何?」
「隆茂が、こたつが欲しいって言うの」
「こたつ? いいじゃん買えば」
「でも、暖房器具はりびんぐには置かないって…隆茂が、言ったのに」
白菊は黙る。その様子を見て、頼子は「なるほどね」と呟いた。
「白菊、こたつってどんなのか知ってる?」
「え? えっと…温かい机?」
「ぷっ…何ソレ。見たことないでしょ」
「…ないわ」
笑われたことに不満そうな顔をしながら、白菊は答えた。
「来て」
頼子は手招きをして、白菊を家具屋の前まで連れて行った。
「ここは…」
「知ってんの?」
「家具を買うときに隆茂と来たわ。でも中には入っていないの。隆茂が外にかたろぐを持ってきてくれて…」
「あー暖房効いてるから暑いのか」
白菊は頷いた。
「でも、今回は我慢してついてきてくれる? 直接見てみた方が絶対分かるから」
「……頑張るわ」
2人は中へ入っていった。中は地獄のように暑かったが、白菊は我慢して頼子についていった。やがて頼子は立ち止まり、置いてある家具の1つを指差した。
「あれがこたつ」
「…あれ、が?」
見たところ確かに机のようではあるが、布団と一体化していて実に奇妙だ。これは温かいのだろうか。白菊が考えていると、頼子はこたつに近付いて布団を捲ってみせた。机と同じように、脚が4本ついている。
「一応机ね」
「そうね」
白菊が中を覗くと、網で何か囲われているのが見えた。頼子が今度はそこを指差す。
「で、スイッチ入れたらここがあったかくなんの」
「この…網の中が?」
「そう」
そして頼子はこたつの下に足を伸ばし、布団を下ろす。
「これでこたつの中はあったかいでしょ?」
「そうね」
「足を中に入れたら、足があったかくなるわけ」
「なるわね」
「そういう暖房器具よ、こたつって」
「…それで終わりなの?」
「そうだよ」
「足以外のところは温かくないわ」
「足があったかければ結構全体的にあったかくなるよ」
「そうなの?」
「そうなの。つまり、こたつってどういうものか分かる?」
頼子の質問の意味が分からず、白菊は首を傾げる。
「こたつに足を入れなければ、暑くならないってこと」
「……なら、私は足を入れなければいいの?」
「そ。だから隆くんもこたつがいいって言ったんじゃないの?」
「…どういうこと?」
「白菊に暑い思いをさせずに、自分があったまれるものだから」
「でも、温まりたいのなら部屋に行けば」
「あーっ鈍感!!」
頼子はこたつから出て白菊に近寄る。
「隆くんもかなり鈍感だけどアンタもほんっと鈍感ね! 確かにあったまりたきゃ自分の部屋行けばいいだろうけど! …白菊と一緒にいたいから言ってんでしょ?」
「…一緒、に?」
「そ!」
頼子ははっきりと言った。白菊は頬を染める。
「…私も、一緒にいたいわ」
「ならこたつぐらい許してあげたら? 白菊のことも考えてこたつって言ったんだよ、隆くん」
「……隆茂…」
白菊はぽつりと呟く。頼子は溜め息を吐いた。
「出よ。暑いでしょ」
「…ええ」
「でもなんで急に里帰り?」
家具屋を出、再び歩き出して、頼子が聞いた。
「…雪が恋しくなったの。雪に思い切り倒れて転がりたいわ」
「…へ、へえ」
雪にダイブして転がり回る白菊を想像して、頼子は笑いそうになった。
「でもまさか、あの雪山で2人が出会ってたとは思わなかったわー」
「ふふ、私もこんな風に街で人間と暮らすことになるなんて思っていなかったわ」
「でも、白菊が隆くんを助けてくれたんだよね?」
「…そうなるわね」
「ありがとう」
白菊は目を開いて頼子を見た。
「…頼子にそんなことを言われる日がくるとは思わなかったわ」
「あのねぇ、あたしだって別にいつもツンツンしてるわけじゃないんだからね?」
「自覚してたのね」
「白菊…喧嘩売ってる?」
「喧嘩は売り物じゃないわよ」
「っ白菊!!」
白菊は楽しそうに走り出す。頼子は白菊を追いかけた。
「ふふふ」
「何笑ってんのよ!」
「だって楽しいんだもの」
「こっちは怒ってんのに!」
「こんな風に人間と走り回ったりすることなかったから!」
白菊は逃げながら笑う。
「……そうかもね」
頼子も笑った。ただ2人で走りながら山の入口まで行き、そこで頼子と別れた。春に隆茂と同棲を始めてからは1度も帰ってきていない。山に入るのは本当に久しぶりだった。冷たい風が心地良い。雪を踏む感覚が懐かしい。白菊は宣言通り雪にダイブし、転がり回った。
「…幸せ」
雪に埋もれたまま、白菊は微笑んで呟いた。
『白菊に暑い思いをさせずに、自分があったまれるものだから』
「……」
白菊は仰向けに寝転んだまま、頼子の言ったことを考えていた。
『白菊のことも考えてこたつって言ったんだよ』
「……隆茂…」
隆茂のことを思い浮かべながらぽつりと呟いた。やがて雪が降り出し、白菊の身体は白く染まっていく。ここに住んでいるときは白い服ばかり着ていたが、隆茂と一緒に暮らすようになって色のついた服を着るようになった。今は紫の薄いワンピースを着ている。
目を閉じて、部屋にこもったままの隆茂に思いを馳せた。隆茂のお陰で、白菊の世界は目まぐるしく変化した。大変なことも多いが、今まで生きていた200年よりもよっぽど濃く、充実した1年だった。全部、隆茂がくれた。
「…会いたい」
白菊は起き上がり、服に積もった雪を払った。
「帰りましょう」
そう呟いて山を後にする。街の暑さよりも、隆茂に会いたいという気持ちの方が断然上だった。
家につくと、居間に隆茂が座っていた。
「ただいま」
白菊が言うと、隆茂がこちらを向いた。その顔を見て白菊は目を丸くする。
「えっ、ちょ、ちょっと、隆茂!? どうしたの?」
「白菊ぅーど、どこ行ってたんだよぉー…!」
隆茂は涙をぼろぼろこぼしながら言う。
「何処って…ちょっと里帰りしていただけよ。雪が恋しくなったから」
「ぼ、僕…僕がワガママ言ったから白菊、に、嫌われて、で、出てっちゃったのかと思っ…」
隆茂は泣きじゃくりながら訴える。その姿を見て白菊は微笑んだ。
「馬鹿ね。そんなことで嫌いになったりしないわ」
そう言って、袖で涙を拭いてやる。隆茂は顔を上げた。
「白菊…」
「こたつ、買ってもいいわよ」
「え?」
「特別に許してあげる」
「…ホントに?」
白菊が頷くと、隆茂は顔を綻ばせた。
「ありがとう…! 白菊大好き!」
そう言ったのと同時に、隆茂のお腹が鳴る。隆茂は顔を真っ赤にしてお腹を押さえた。
「御飯食べていないの?」
「だってそれどころじゃなかったし…」
「食べて頂戴。御願いだから」
「うん、作るね」
隆茂は立ち上がって台所へ向かった。
「隆茂」
「んー?」
「私も貴方が大好きよ」
「!?」
隆茂が勢いよく振り返る。顔は再び真っ赤になっていた。
「こ、こたついつ買いに行こうかな!」
「いつでもいいわよ?」
「じゃっじゃあ、今度の休みね!」
「ええ」
耳まで真っ赤になって料理を始める隆茂を見て、白菊は可笑しそうに笑った。
end