小説

□雲
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「ねぇ、白菊のお母さんってどんな人だったの?」
「私のお母さん? そうね、あまり記憶にないのだけれど…昔お母さんが話してくれたことがあるわ。お母さんと、お父さんの話」



記−もう1人の雪女−


雲。それが彼女の名前だった。町でも美しいと評判の彼女は、性格も穏やかで優しく、誰にでも好かれていた。そんな彼女に求婚する者は絶えなかったが、彼女はいつも丁重にそれを断っていた。
そして彼女は今、困っていた。自分の家の前に男が倒れているのだ。放っておいても通れなくはないが、彼女の性格上それは選択肢になかった。

「あのう、大丈夫ですか?」

雲は倒れている男に声をかけるが、男はぴくりとも動かない。

「あのう…」

雲は男を足で軽く蹴りながら再度呼びかける。

「ん…」

男が呻いたので、とりあえず生きていると分かった。雲は男を家の中に引き入れた。




「ここは…?」
「あ、目覚めました?」

男が雲の声に反応してこちらを見る。そして目を丸くする。

「お雲さん…!」
「あら、私のこと御存知なんですか?」
「御存知も何も…あなたこの町では有名じゃないか…!」
「え? そうなんですか? …どうしてかしら?」
「それは…」

男は言葉を濁す。美しく、性格もよいからである。言い辛かった。

「まあいいわ。どうしてうちの前で倒れていたのかしら? お体の方は大丈夫?」
「え、ええ…少し空腹で…」
「そうでしたか。お粥、作ってみたのですけど、食べますか?」
「え、あ、いただきます!」

雲は微笑んで粥をよそい、男に差し出した。

「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ふふ、この町の方?」
「ええ、生まれてこの方、ずっとこの町に住んでます」

男は粥を冷ましながら答えた。

「あら、そうなの? 全然知らなかったわ」
「あー…あまり外に出ないので…」
「…へえ。ご病気か何か?」
「まあ、そんなものです」

男は笑う。

「そうですか。なら早く家に帰られた方がよいのかもしれませんね。お粥を食べたら、送っていって差し上げます」
「え、いやいいですよ! お粥をご馳走になった上送ってもらうなんて!」
「遠慮なさらないで。帰る途中で倒れられては困りますから」

雲に微笑まれて、男は折れたようだった。




「春彩!」

家を出たところでそんな声が聞こえた。男は声のした方を見る。髪の短い女が走ってきていた。

「お絹…」
「あら、お絹ちゃんとお知り合い?」
「ええ…幼馴染みです」

そう言っている間に、女――絹は2人の傍まできて立ち止まる。

「もう! 何処に行ったかと思って心配したんだからね! お雲ちゃん、この人迷惑かけなかった!?」
「いいえ。うちの前で倒れていただけよ。お腹が空いていたみたいだったからお粥を食べてもらったけど、よかったかしら」
「全然! ありがとうね、本当に。あんたちゃんとご飯食べないからこうなるのよ!」
「だってお絹の料理まずいんだよ…ねぇ、お雲さん」

男――春彩は雲に呼びかける。

「なあに?」
「よかったら…また、ご飯食べにきてもいいかな…?」

春彩が遠慮がちに言う。雲はにっこりと微笑んだ。

「断るわ」
「へ?」
「空腹の状態でうちまで来る間に倒れられては困るもの。だから私があなたの家に作りに行くわ。家を教えて頂戴?」
「…いいの?」
「勿論よ。私の料理でいいなら」



そうして春彩の家へ通い、ご飯を作っているうち、2人は恋仲となった。絹は春彩のことが好きだったようだが、幸せそうな2人の間には入れなかった。そして数年後、2人は結婚し、新たな家庭を築き始めた。




「春彩…?」

そんな矢先のことだった。

「春彩! 春彩!!」

春彩は病に倒れ、間もなく息を引き取った。周りからは同情の言葉を沢山かけられた。

「お雲…」
「お絹……ごめんね…私、私なんかと結婚したから…春彩…」
「何言ってんの! お雲のせいじゃないよ…春彩は小さい頃からそんなに長くないってずっと言われてたんだから…お雲のせいじゃない…むしろ春彩は幸せだったよ。こんな素敵なお嫁さんに看取ってもらえたんだから…ありがとう、春彩と結婚してくれて」

絹は泣きながら、雲を抱き締めた。

「ねぇ…お絹」
「ん…?」
「私…死んでもいいかしら…?」

絹は体を離し、雲を見た。

「え…?」

雲は哀しげに俯いていた。

「……」
「何、それ…後を追う、ってこと…?」

雲は黙って頷く。

「っ駄目よそんなの! そんなことっ…春彩は望んでないよ!!」

絹が雲の肩を掴んで言った。

「…でも…でもね、お絹…私…春彩がいない世界を…生きていたくないの…これから先…春彩以外の人を、愛したくないの…」
「…お雲…」
「ごめんなさい…」
「……好きにしなさい」

気付けば、絹は先程よりも大粒の涙を流していた。

「お絹…」
「だって、お雲の生き死に私には決められないわ…お雲の好きにしなさいよ…」
「…ありがとうお絹…好きにする」
「でも忘れないで…私も春彩のことは好きだったけど…お雲のことも同じくらい大切だったんだからね…!」
「…お絹…忘れないわ。ありがとう…」

2人は涙しながら、しっかりと抱き締め合った。











「――…で、お母さんは1人で雪山に…」
「雪山で死んだら、雪女になるの?」

白菊は頷いた。

「雪に埋もれて死んだ女の人が雪女になるのよ。殺されて雪に埋められた人や、お母さんみたいに自殺した人。殺されて埋められた人は人間を恨んでいることが多いから、怖い雪女になるみたい。日本の伝説になっているのはそういう人ね」
「なるほど…え、あれ白菊は? どうやって雪女になったの?」
「ああ、私はね、雪女二世なのよ。とても珍しいの」
「雪女二世?」
「雪女には普通、子供は生まれないのよ。触れられないのだから、当然その…子供を作ることも出来ないでしょう? 雪女は雪に埋もれて死んだ人がなるだけ」
「じゃあ…白菊はどうやって生まれたの?」
「お母さんが死んだとき、私はお腹にいたの。お父さんとの間に出来たのよ。そしてお母さんが死んで雪女になったあと、私も雪女として生まれたの」
「…へえ」
「お母さんはよく私にお父さんの話をしてくれた。そして私が1人で生きていけるようになったら、何も言わずに何処かへ行ったわ」
「…死んだのかな」
「多分ね」

話を聞き終えると、隆茂は後ろに手をついて伸びをした。

「なーんか、どっかで似たようなことあった気がするなあ」
「ふふ、そうね」
「白菊は、お母さんにそっくりなんだね。きっと」
「そうみたい。でもお父さんは、隆茂に似ている気がするわ」
「えー僕は血縁関係ないよ?」
「分かっているわよ。だから…私がお母さんと同じ趣味をしているってことなのだと思う」

白菊は微笑んだ。そして続ける。

「お母さんがね、お父さんの話をしたあと…いつも言っていたわ。『あなたもいつか分かるわよ』って。今なら私、お母さんの気持ち、分かるわ」
「白菊…」

隆茂は白菊を見て呟いたあと、視線を外してポケットから何かを取り出し、白菊と自分の間に置いた。白菊はそれを見る。小さな箱だった。

「…何?」

白菊が問う。

「開けてみて」

隆茂に言われ、白菊は箱を手にとってその蓋を開けた。

「! これ…何?」

箱の中身を見ても白菊には何か分からなかった。

「っ指輪だよ! 婚約指輪!」

隆茂が顔を真っ赤にして言う。

「こんやく…? …!」

白菊も顔を上げて頬を薄く染める。隆茂は顔を反らしたままだ。

「あああ貴方、さっき言ったこと理解していないの? 私と結婚しても、こ、子供を作ることはできないのよ?」
「そ、そんなのどうだっていいよ! 僕は白菊さえいれば、子供なんていらないから」

白菊の頬が更に染まる。隆茂は白菊の方を向いて、白菊の目を見て、口を開いた。

「結婚しよう」

白菊は凍りかけている箱を握り締めたまま、微笑んだ。


「はい」




END


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