小説

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決して不幸だったわけではない。
かと言って幸せだったかと問われれば、何とも言えない。

こうして家を出てきたわけだから。


「…どうしよう」

勢い余って家を飛び出したはいいが、行く当てがなかった。
友達と呼べるほどの知り合いがいなかったのだ。
少女は溜め息を吐く。
とぼとぼと夕暮れの道を歩いた。






「……い、おい」

それから何時間か経ったあと。
少女は誰かに揺り起こされて目を覚ました。歩き疲れていつの間にか眠ってしまったようだ。
辺りは暗くなっている。

「大丈夫か。こんなとこで何やってんだ」

また上から声が降ってくる。少女は顔を上げてその姿を見た。
整った顔立ちの青年。帽子を深く被っているが、下からならその表情がよく見えた。長い睫毛が妙に色っぽい。
少女が黙っていると、青年が再び口を開いた。

「こんなとこで寝てたら危ないだろ。家は何処だ」
「…家」

少女は呟いた。

「家、出てきた…」
「は?」

青年は眉をひそめる。

「出てきた、って何だ? 家出か? 上京か?」

上京。それもあったのか、と少女は思った。
少女は元々都内に住んでいたので、上京という言葉は当てはまらない。しかし家出と言うよりは上京と言う方がカッコいいと思った。

「…上京」
「ふぅん。で、家は? その様子だと、決まってないみたいだな」

そう言われたので、少女は頷いた。

「…行く当てがなくて」
「だからってこんなところで寝るな」
「じゃあ、何処で寝ればいいの!? ホテルに泊まるようなお金もないの!」

少女は訴える。青年は困ったように頭を掻いた。

「…なら、ウチに来るか?」
「…え?」
「新居が決まるまでぐらいなら、泊めてやってもいい」

少女は突然のことに驚いていた。今夜は本当にこのまま野宿か、諦めて家に帰るかしかないと思っていたが、思わぬところに救いの神が現れたものだ。
少女が黙っていると、青年はその沈黙を別の意味に取ったらしかった。

「べ、別に変なことはするつもりないから安心しろ!」
「えっ、あ、いや疑ってはいないけど…ホントに、いいん、ですか?」

少女は突然敬語になった。

「言っとくけど、新居が決まるまでだからな? ちゃんと住むとこ探せよ?」
「あ、はい! よ、よろしくお願いします!」

少女は立ち上がり、青年に向かって頭を下げた。

「ん。じゃあ、入るぞ」

青年は向きを変え、すぐ後ろの建物へ入っていった。

「え?」

少女は建物を見上げる。
25階建ての大きなマンション。しかもオートロックだ。

「何してる、早く入れ」

呆然と建物を見上げる少女に、青年が呼びかけた。

「え、あ、はいっ!」

少女は慌てて青年に近寄る。
エレベーターに乗り込むと、青年は『15』という数字の書かれたボタンを押した。

「15階、ですか…」
「あ? ああ」
「た、高いデスネ…」
「そうか?」

青年はさらりと言う。
まあ住んでいるのだから、これが当たり前なのだろう。
15階に着くと、青年は1番端の部屋の前に立った。財布からカードを取り出し、それでロックを解除した。

――カード式!?

少女は驚く。
扉を開けると、青年は

「入れ」

とだけ言った。
少女は中に入る。
部屋は恐ろしいほど広かった。
勿論恐ろしいと感じるのは少女だけであって、青年にとっては普通なのではあるが。
置いてある家具はそれほど多くなく、男の1人暮らしという感じだ。だがその1つ1つが、高級そうな雰囲気を漂わせている。

――こっ、この人、金持ち…!?

少女は先刻から驚きっぱなしだった。

「何突っ立ってんだ。座れよ」

ハッとして振り返ると、青年は既に部屋着に着替えていた。

「あ…はい」

少女は言われた通りソファに座る。

「どうせ飯食ってないんだろ? 今から作るから、待ってろ」

そう言いながら、青年はキッチンに立った。

「え、そんな! 悪いです! 泊まらせてもらってその上ご飯まで…私、作ります!」

少女は立ち上がって言った。

「いや、いい。他人にキッチンを使わせるの、あんまり好きじゃないんだ。俺が作る」

そう言われては、何も言い返せなかった。少女は大人しくソファに座り直す。

「そういや、お前、名前は?」

何かを切りながら、青年が訊いてきた。

「あ…村木、こやけです」
「…こやけ?」

青年は包丁を止めた。驚いたように少女――こやけを見る。

「はは…変な名前ですよね」

こやけは自嘲気味に笑う。

「あ、いや…そういうんじゃないんだ。その…俺の名前が、原、ゆうやけだから…」
「ゆうやけ? …あ」

こやけは昔音楽の授業で習った童謡のワンフレーズを思い出した。

「ゆうやけ、こやけ…」
「ああ。『赤とんぼ』だな。なんだ、運命みたいだな」

そう言って青年――ゆうやけは苦笑した。笑ったのを見たのは初めてで、こやけはその表情に目を奪われる。

「じゃあこやけ。テレビでも見て待っててくれ」

最後にそう言うと、ゆうやけは料理を再開した。

「あ、はい」

言われたので、こやけはテレビを点ける。テレビなんて見るのは久しぶりだった。テレビのあるリビングにはいつも家族がいたので、行きたくなかった。だから、テレビも見なかったのだ。
テレビが点くと明るい笑い声が聞こえてきた。特に見たい番組があるわけでもないので、そのまま見ることにする。クイズ番組のようだった。

「あ」

ゆうやけがそう呟いたが、こやけには聞こえていなかった。

『それでは本日のゲスト、原祐也!』

拍手と歓声の中登場した人物を見て、こやけは目を見開く。そして振り返った。
ゆうやけはまたも包丁を止めて、こやけを見ていた。

「あ、あの、この原祐也って人、ゆうやけさんにそっくりですね!」
「……それ、俺」

ゆうやけはこやけから目を反らして言う。
沈黙が訪れた。

「えっ、え? い今、何て…」
「だから、それ俺だって」
「そ、それって…」
「原祐也」
「でっ、でも、祐也って…」
「芸名。ゆうやけじゃなんか変だろ」

こやけは口を開けたまま黙った。つまり自分は今、芸能人の家にいるということか。

「え、あ、あの、私ホントに泊まってていいんですか!?」

テレビの中のゆうやけは、客席の若い女の子達から黄色い歓声を浴びている。そして歓声に笑顔で答えるゆうやけからも、その人気が窺える。“原祐也”の家にいるとあのファンの女の子達に知れたら、殺されそうだ。

「別に構わないよ。その様子だと、やっぱ俺のこと知らなかった?」

ゆうやけに訊かれ、こやけは勢いよく頷いた。

「テレビ全然見なかったから…あの、なんかすいません」
「いや、別に謝らなくていいけど。俺のこと知らないみたいだったから、泊めようと思ったんだし」
「え?」
「ファンとか言われたら、泊めてないよ」
「どうして、ですか?」
「家でまで芸能人の顔しなきゃいけないのは誰だって嫌だよ」

そう言ったゆうやけの表情は、どことなく憂いを帯びていた。それを見てこやけは、芸能人も大変なんだな、と思った。

「あー、うー、でも、何だかファンの子に悪いです…」
「バレなきゃいいだろ。それに、こやけには俺が芸能人だってことは忘れてほしいくらいだ」
「え?」
「知らないんなら言うつもりなかったし」
「え、なんでですか?」
「さっきも言っただろ。こやけが家見つけるまでは一緒に暮らすわけだし、芸能人“原祐也”としてじゃなくて、“原ゆうやけ”っていう1人の人間として俺と接してほしいからさ」
「……分かり、ました。芸能人ってこと知っちゃったから、もう忘れるのは無理だけど、気にしないようにします」
「ああ、頼む。それと、別に敬語じゃなくていいから」

ゆうやけが微笑んでそう言ったので、こやけも微笑んで頷いた。

「うん」




から醒めた夢 #1



芸能人との内緒の同居生活の始まり。



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