小説

□BLOODY DAYS
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それまで、私は普通の子供だった。
本当に普通の。
何処にでもいるような。
それなのにある日、ある時、ある瞬間から――

私の世界は、血まみれになってしまった。


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BLOODY DAYS


その時10歳だった私には、何が起きたのか全く分からなかった。
突然大きな事故か何か起きたのかとも思ったが、道ゆく人々は平然と生きていた。他の人にとっては、世界は何一つ変化していなかった。変わってしまったのは私なんだと悟った。


それから、5年の月日が経った。
私の世界は相変わらず血まみれだった。

「亜敏ーっ何してんのー?」

戸口田拡子が私を呼んでいる。彼女も勿論血まみれだ。

「…何でもないよ」

と言いながら、私は窓の外を見る。

「何? 何かあるの?」

拡子が私に近付いてきて、同じように窓の外を見た。校門に向かって歩いている女の子がいる。

「あのコ…病気なのかな」
「え? …ああ、鵜戸さんね」
「知ってるの?」
「知ってるの? ってアンタねぇ…有名じゃん、あのコ。なんかもう…治らない病気だって。名前は忘れたけど」
「ふぅん…そうだったんだ」
「亜敏アンタ、周りに関心なさすぎなのよ」
「拡子、あのコ…鵜戸さんのフルネームは?」
「フルネーム? 鵜戸美緒子だよ」
「みおこ…綺麗な名前だね」
「え? うん、まあ、そうだね」

鵜戸さん、もうすぐ死ぬな。私は思った。
だからフルネームを知っておこうと思ったのだ。
私の思ったとおり、鵜戸さんはその5日後に死んだ。
棺の中で眠る鵜戸さんは、とても可愛らしい顔をしていた。

「とっても可愛い子だったのに…やっぱり何か違うね」

拡子は横で目を腫らしてそう言ったが、私は生きていた頃の鵜戸さんが分からないので何も言えない。
私が見た鵜戸さんは、顔も分からないくらい血まみれだったから。死ぬ間際の人ほど血まみれに見える。だから私には鵜戸さんがもうすぐ死ぬと分かったのだ。
生きている――いつかは終わりがくる――ものには、少なからず血がついて見えた。
生まれたばかりの子にも、建物とか植物とかそういうのも。勿論、私にも。
だから死んでしまったものには、逆にもう血はついていなかった。
血に汚れた私の世界の中で、今鵜戸さんだけは綺麗だったのだ。

そういうワケで私はこの5年間、生きている綺麗なものに出会ったことがなかった。

そんなある日、いつものように血まみれの道を歩いていると、

遠くに、綺麗な人が見えた。

私は自分の目を疑った。いや、目なら今までに何度も何度も疑ってきたが。
血まみれの世界の中に、綺麗な人が立っている。立っている。死んでない。生きているのだ。
私は嬉しさのあまり駆け出していた。そしてその人に近付くと、思い切り抱きついた。

「っ!?」

その人は私が走ってきていることには気付いていたようだが、そのまま通り過ぎると思っていたようで異常に驚いていた。

「あなたは誰ですか?」

自分から抱きついておいてそんなことを訊く私は、かなりの変人に見えただろう。
その人は少し黙ったあと、

「お前こそ誰だ」

と言った。

「亜敏。吉見亜敏」
「あとし? 変な名前だな」
「ねぇ、あなたは?」

『変な名前』は無視して訊いた。自覚しているから。

「西森、舟陽」
「ふなあき?」
「そうだ」
「…何それ」
「何だ?」
「自分だって変な名前じゃんかー! 人のこと言えないよ!?」
「ひどいな。自分から訊いておいて」
「お互い様!」

私は嬉しくてテンションが高かった。普段だったらこんなに言い返したりしない。

「で、何だ」

また少し黙ったあと、舟陽が言った。

「あなた、何者?」

私がそう訊くと、舟陽は一瞬驚いて、

「何故だ」

と言った。

「綺麗だから」

私は真っ直ぐ舟陽を見た。

「汚いよ、俺は」

舟陽は私から目を反らした。

「綺麗だよ」
「汚いよ」
「綺麗だよ」
「汚いんだよ!」
「綺麗なの!」

どうして舟陽がそんなにも『綺麗』を否定するのか分からなかった。私の事情もまだ話してないのに。
なんだか、くやしくて泣きそうだ。

「っ俺の何処が綺麗だと言うんだ…何も知らないクセに」
「そっちだって私のこと知らないでしょ!? ホントに私の世界では…あなただけが綺麗なんだよ」
「だけ? 俺だけとは、どういう意味だ?」

私は私のことを話した。5年前から、世界は血まみれで、生きている綺麗なものには出会ったことがなかったと。

「成程…そういうことか。皮肉だな」
「え?」
「場所を変えよう。こんな街中で、他人に聞かれたい話じゃない」

そう言って舟陽は、私を路地裏へと連れて行った。昼間なのに薄暗くて、誰も来なさそうな。

「舟陽? こんなところでするような話なの?」

私が後ろからそう尋ねると、前を歩いていた舟陽が振り返った。

「俺は吸血鬼なんだって言ったら、信じるか?」
「え?」

突然のことで、何を言われたのか分からなかった。

「吸血鬼」

舟陽はもう一度言う。

「きゅー…けつ、き?」

その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。

「太陽が苦手で、人の生き血を吸って生きる人の形をした化物だ」

私が黙っていると、舟陽はそう説明を入れた。
そう、それは知っている。吸血鬼。――化物。
で、それが何だって? 吸血鬼? 誰が?

「誰が…、吸血鬼?」
「俺だ」

即答だった。

「ホント、に?」
「ああ」

また即答だった。

「どう、して?」
「どうして? その質問はおかしいな。どうしても何も、ただ吸血鬼だから、吸血鬼だった。それだけだ。まあそれでも強いて言うとしたら…遺伝だな」
「遺伝…」
「親から受け継いだ。そうとしか言い様がない」
「吸血鬼だと、どうして綺麗なの? どうして血が見えないの?」
「吸血鬼が不死身だから、じゃないか?」
「…不死身」
「不死身。つまり、終わりがない。だから、血も見えないんだろう」
「成程…」

舟陽は相変わらず綺麗だ。初めて綺麗で生きている人間に会えたと喜んだのも束の間。舟陽は人間ではなかった。
でも、それでも。生きていることには、変わりなかった。この空の下で、生きて――…
生きて? ちょっと待った。この空の下で?

「舟陽、太陽は?」
「え?」
「さっき自分で言ったじゃない。吸血鬼は『太陽が苦手で、人の生き血を吸って生きる化物だ』って。だったら舟陽、さっきあそこに居られるワケないじゃない。陰になってるココならまだしも、さっきの場所には太陽が照りつけてた」
「ああ…確かに、その通りだな」
「じゃあ、どうしてあそこに居られたの?」
「居られたワケじゃ、ない」
「どういうこと?」
「溶けて、死にそうだった」
「不死身なのに?」
「正確には、“ほぼ”不死身だからな」
「それじゃああれって、自殺行為じゃない!」
「ああ」

またしても、舟陽は即答だった。
『自殺行為』という言葉に対して、即答だった。

「自殺、しようとしてたの…?」
「ああ」
「どうして!」

私はショックを受けていた。そんなにもあっさりと自殺だと認められるとは思わなかった。

「亜敏は、何歳だ」

舟陽は突然そう尋ねてきた。

「え?」
「何歳だ」

舟陽は繰り返す。

「じゅ、15…」
「15、か。俺は、もう…750年は生きてるよ」
「え? な、750…年…?」

あまりにケタ違いな数字に、私はそれ以上何も言えなかった。

「同い年ぐらいに見えるだろう? 750年も生きて、見た目は人間の15年。あとどれだけ、生きればいいんだろうな」
「……」
「死ねるものなら、死にたいよ」
「……」
「永遠なんて、欲しくなかった」
「……でも、」
「?」
「でも、あれでもあなたは死ねないよ。残念だけど。だって、あなたは綺麗だったから」

それがどういう意味か、舟陽も分かったようだ。

「死ぬ直前の人には、顔も判別できないくらいの血がついてるんだったな」

私は頷いた。

「前触れのない事故とか自殺でも」
「だったら俺が自殺しようとしてたのが分からないのも納得だな」
「ねぇ、もう自殺なんてやめてよ」
「何故だ」
「初めてだから。あの、世界が血まみれになった日から、生きてる綺麗な人に会ったの、初めてだったから。嬉しかったの。もう、血なんて見たくない…!」

それは不可能だけど。無理な話だけど。
せめて視界の中心に舟陽が居てくれれば。

ほんの少しだけ、普通でいられる気がするから。

舟陽は、優しく抱きしめてくれた。
その時の私の視界は、舟陽でいっぱいだった。
だから、5年振りに綺麗だった。


「おはよう、拡子」
「え、おはよー亜敏。どうしたの? そっちから挨拶なんて珍しー…」
「まあね」

そう言って私は少しだけ笑ってみせた。拡子は声も出せずに驚いている。流石に失礼すぎる。

「何、そんなにいいことがあったの?」
「さあね」

拡子には私の視界の話はしていないから、綺麗な人に出会ったことも内緒だ。

「えー何? 教えてよー」
「イ、ヤ」
「オラーおまえらー早く席に着け!」

担任が入ってきた。
がやがやとみんな席に着く。

「えー、今日はまず転校生を紹介する」

担任が教壇に立って言う。

「こんな時期に転校生?」
「3年で転校生?」

あちこちでそういう声が聞こえてくる。担任の呼びかけで、廊下で待機していたらしい転校生が入ってきた。

「あっ…」
「初めまして、西森舟陽です。よろしく」

それはまぎれもなく舟陽だった。
その声も、顔も、表情も。勿論、一番決定的なのは血が一滴もついていないということだけど。

「え、カッコいいー!」
「ラッキー!」

男子も喜んでいるようだったが、女子はもっと喜んでいた。そして多分、私が一番喜んでいる。
顔には出していないけど。

「じゃあ西森の席は――…」
「あ、俺、あそこがいいです」

そう言って舟陽が指差したのは、私の前の席だった。隣の席は拡子だ。



 
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